村主章枝氏

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28日放送、テレビ朝日「しくじり先生 俺みたいになるな!!」では、元フィギュアスケート村主章枝氏がゲスト出演。2006年のトリノ五輪後に引退をしなかった理由や、その後の厳しい競技生活を振り返った。

のっけから「無収入で父親の退職金と母親の貯金を使い込む」と読み上げた村主氏に対し、吉村崇や澤部佑からは「クズじゃん」という声が。現役時代の後半、無収入の時期があったという村主氏は「頑なに現役を引退しなかった」ことで、「正直、総額幾ら借りたかも分からない」と続けた。

そんな村主氏は、16歳で全日本選手権優勝。2002年のソルトレークシティ五輪代表に入り、5位という結果に。「力を出し切っての5位だった。ただ上位の選手の姿を見て初めてメダルの重みを感じるようになった」と、世界の上位に食い込む手応えを掴んだという。それでも迎えたトリノ五輪では、会心の演技を見せるも不本意な4位に。この節目で引退せず、33歳まで現役を続けることになる。

「(トリノ五輪後)私のもとを離れていく人がすごい多くて。その中でも16歳の時に出会ったローリー・ニコル(振付師)、自分のコーチというのはずっと離れずに見てくれていた。その方がバンクーバー五輪がかかった全日本選手権が終わった後に『ずっと作品にこだわってやっていたのに、この出来で辞めるのは本当に不甲斐ない』ってことをボソッと言った。その時に唯一自分の周りに残ってくれたチームの人がこういう気持ちになっているのだから、これで辞めたらいけないんだなっていう気持ちがあって終わるに終われない状況」

トリノ五輪で引退しなかった理由をこう明かした村主氏。その後、8年間現役を続けたが、浅田真央氏や安藤美姫氏といった次世代選手の台頭や、加齢によるパフォーマンスの低下、スポンサーも撤退し、いよいよ競技生活は厳しいものに。

2010年のバンクーバー五輪や2014年のソチ五輪代表に入ることもできず、それでも引退するつもりはなかったという村主氏だが、ローリー・ニコル氏から振付師の仕事に誘われ、妹・千香氏から「有終の美を飾って終われる選手なんてほんの一握り」と言われたことで、ようやく引退を決断した。

引退後はコーチや振付師として活動すべく単身カナダへ。「カナダはコーチとして振付師として指導する場合、きちんとした免許、資格がないと教えられない。ゼロから勉強したいと思ってカナダの地を選んで、今ちょうどカナダ選手権の最高峰のところに選手を連れていける資格までは取りました」という。

苦しい時期もあったが、その経験が糧になっているという村主氏は「トリノの後に8年間、苦労して続けてよかった」としみじみ。「8年間がなかったら、お金の有り難みっていうのも本当に分からなかった。26歳までの時は何も考えずに簡単にできていたことができなくなって、なんでできなくなったかっていうことも8年間の中ですごく考えた」と話すと、そんな競技人生の教訓を「引き際は自分で決められない。今を一生懸命に生きるしかない」と紹介した。