誰もがインターネットやSNSで監視され、さらされてしまうこの時代。

特に有名人たちは、憧れの眼差しで注目される代わりに、些細な失敗でバッシングされ、その立場をほんの一瞬で失うこともある。

世間から「パーフェクト・カップル」と呼ばれている隼人と怜子は、一挙一動が話題になり「理想の夫婦」ランキングの常連として、幸せに暮らしていたが…。

結婚6年目。「世間の目」に囚われ、「理想の夫婦」を演じ続ける「偽りのパーフェクト・カップル」の行く末とは?




「試しに、キスしてみない?」

テキーラで有名な恵比寿のバー。常連だけが予約できる個室のソファー席で、私がそう言った相手は、10年来の親友と言うべき男友達の堀河隼人(ほりかわはやと)だった。

葉巻をくわえていた彼が、私の言葉にむせて笑いだす。その笑い声に一瞬怯みそうになったけれど、私は何とか笑顔を作ると、精一杯軽い口調で言った。

「で、もしキスできたら、結婚しない?」

「怜子、お前何言ってんの?今日そんなに飲んだっけ?」

笑いながら私を酔っ払い扱いする、呆れたような声さえ心地良く聞こえるのは、彼の職業柄だろう。

―爽やかなのにセクシーな声、か…。

世間でそう言われている隼人の声は、今、全国の主婦層を虜にしているらしい。スポーツの取材を得意とするキー局のアナウンサーだ。

高校、大学とアメフトで活躍した長身の体に、さわやかな甘い顔立ち。体当たりの取材スタイルで好感度を上げ、好きなアナウンサーランキングでは常にトップ3を争っている。

今年28歳になった私達は、大学の同級生。

1年生の時に、お互い友達の推薦でミスターとミスに選ばれると、何かと同じイベントに駆り出されるようになり、ある日、隼人が私に言った。

「俺たちって似てない?」

それは私も感じていた。2人とも社交的だと思われているけれど、本当は大勢でいるのは苦手。周囲が思っている程自分に自信があるわけでは無く、本当は小心者。その癖、弱さを人に見せることができない。

そして上昇志向が強く、常に将来の目的を見据えて動く。ミスター・ミスコンテストに出たのもそのためだった。

「野心あります、って感じの子の方が信用できるんだよね、俺。」

彼の言葉に一瞬戸惑った私を、隼人が笑い、私もつられて笑った。それ以来、私達は2人で会い、語りあう事が多くなり、時には恋人にも言えないダークな部分さえさらけ出した。

そして、私達はいつのまにか、秘密を共有することのできる「親友」になった。それは決して「恋」になることは無い。その距離感が、お互い心地良かった。

在学中にモデルにスカウトされたとき、私は隼人に相談し学業を優先させ、事務所には卒業まで待ってもらう事にした。そして卒業した後、人気女性誌でデビューすることができた。

隼人が在京キー局のアナウンサー試験に全て受かった時は、「怜子の勘を信じる」と言って、最終的に私が勧めた局を選んだ。

そんな風に10年以上支え合ってきた親友に、今、突然「キス」を持ちかけるなんて、自分でもおかしくて驚いている。でも…

私達には、「正気を失う程」の出来事が起こってしまった。


正気を失う程の出来事が「10年来の親友」を「男と女」に変える。


「試しにキスしてみよう、って言うけどさ。」

そこまで言うと隼人は、言葉を探すように黙り、葉巻を口にはさんだ。彼の薄い唇からゆっくりと煙がこぼれ落ち、彼の日に焼けた顔に白い煙がまとわりついていく。




葉巻の煙は一気に吐き出すものでないことや、タバコの煙より濃く重いことを、私は彼に教わったが、彼が本当は葉巻が好きではない事も知っている。

―時々無性に、世間の俺へのイメージを裏切りたくなるんだよ。息抜きの時間ってやつ。葉巻なんて俺っぽくないだろ。

以前そう言っていた彼の気持ちが、私には痛い程理解できる。世間には、とことんいい顔をしてしまう、似た者同士の私達。そんな事を考えていると、声がした。

「俺と怜子って、今さら男と女になれる?子供、欲しいだろ?」

そう言って隼人は、一気にテキーラを飲み干した。カンッと激しくテーブルに置かれた、ショットグラスの音に苛立ちを感じ取る。平静を装っている彼が、実は相当まいっていることが分かる。

彼は、結婚を決めていた恋人に捨てられたばかりなのだ。そしてそれは私も同じ、だった。いくら私達が似ていると言っても、こんなところまで一緒じゃなくていいのに。

私は、婚約者を…ほんの数日前、他の女に奪われてしまった。

結婚を決めていた相手に捨てられる。それは、私と隼人の心も、そしてプライドもズタズタにした。

私は、結婚式の日取りをすでに周囲に伝えていて、女性誌の編集者に「怜子も、そのうちママモデルデビューだね」と言われてその気になっていたのに。

―結婚しなくなった、なんて伝えたくない。

そんな風に自分がみじめで仕方なくなっていた時、どういう訳か、隼人も恋人に捨てられてしまって、私を慰める会のはずが、お互いの傷をなめ合うヤケ酒になった。

そして、私は…。同じ傷を負った親友を眺めているうちに、ふと、思ってしまったのだ。

―1番好きな男と、結婚できないのなら…。

もう、誰でも同じ。ならば誰よりも気の合う「親友と結婚する」ということもありではないか、と。

正気を失っているのかもしれない。でも1度考え始めると、それが今、最良の解決策のように思えてきた。

問題は、隼人も言うように「今更、男と女になれるか」だけ。だから「試しのキス」、と言ってみた。

彼に笑い飛ばされ、あっさりと拒まれたなら、この提案ごと無かったことにすればいい、と半ばヤケになり言い出したこと。

けれど、すぐに否定されなかったことで、私は止まらなくなった。そして言った。

「2人同時に捨てられるなんて、ある意味私たちの運命かも、って思わない?」

私の言葉に、ソファーにもたれ、空のテキーラグラスを触っていた隼人の手が止まる。

彼が上司に「近々婚約者を紹介させてほしい」と結婚をほのめかしたことは知っている。今更、その話を無かったことにはしたくないはずだ。ずるいとは思ったが、彼の、私と同じ高すぎるプライドを刺激してみる。

「このままじゃ、悔しくないの?裏切った彼女を見返したいでしょ。見返すには、私って結構いい相手だと思うけど。」

煙のせいか、うっすらともやがかかった木目調の部屋。ソファーから身を起こした隼人の顔が、オレンジのライトに照らされ、影が落ちる。その影の中で彼はゆっくりと私を見た。そして。

「お前が、悔しいんだろ?このままじゃ。俺も、お前が彼を見返すためには、いい条件の男だから、ってことだよな。」

そう言って、薄く笑った隼人に思わず見とれる。見目麗しく、日本中から愛される男。彼が私の夫になるのなら、失恋なんて、いつかきっと忘れる。それが生涯最高の恋だと思ったほどの相手でも。

私を捨てた男の顔をまた思い出してしまった。

こみ上げてきたものを押さえたくて、喉の奥に力を入れ、マルガリータの入ったグラスを手に取る。

その瞬間。隼人の手が私の肩に置かれ、そのままグッと引き寄せられた。彼の唇がゆっくりと近づいてきて、私はそっと目を閉じた。


親友が理想のカップルに。だが幸せな日々を揺るがす事件が…。




舌先に葉巻の苦み。少しバニラのような香りもした気がする。私が飲んだマルガリータの甘さも彼に伝わってるのだろうか。

そんなことを考えていると、隼人の唇が耳元で動いた。

「キスできたじゃん、俺ら。」

聞きなれたはずの声が、妙に色っぽく聞こえる。

隼人が私の前で初めて「ずるい男」になった。早くなった動悸が恥ずかしくて、視線を泳がせると、彼の肩ごしに灰皿が目に入る。

葉巻の先端から立ち上る、か細く弱い煙。まるでスローモーションのように、静かに灰が落ちて舞う。

―いつか…後悔するかな…。

でも、今はこれでいい。自分にそう言い聞かせながら、隼人の肩に顔を埋めた。



「じゃあ今日、翔太のお迎えよろしくね。」

「了解。怜子の帰りは何時?」

「今日はロケ、遅くなっちゃうな。夕食、冷蔵庫の中に作り置きしてあるから、適当に温めて食べてくれると助かるわ。」

午前3時。夫になった隼人は、平日毎朝この時間に出勤していく。今や朝のニュースのメインキャスターだ。そんな彼を見送った後、玄関に置いた写真たてが目に入る。

ウェディングドレスの私と隼人。この写真を撮ったのももう6年前で、私達は35歳になった。

私達は、あのキスの翌年にスイスの古城で式を挙げた。挙式の後のパーティには沢山の取材が入り、私たちカップルは一躍日本中の注目を集める夫婦になった。

結婚の翌年に生まれた息子の翔太は今年4歳になり、お受験の準備を始めている。

悔しさと、プライド、そして打算で結婚した私達ではあったけれど、結婚生活は驚く程上手く行った。

入籍の前日には「もし子供ができないとか、どちらかに好きな人ができたとかした時には、お互いに笑って別れよう」なんてことさえ話していたのに。

翔太が生まれ、守るべき存在が私達の絆を強くしたし、「結婚と出産」は、お互いのキャリアにも良い影響を与えた。

私は「雑誌やインスタで着たものが飛ぶように売れる」という、ママモデルとしてトップの地位を確立。

イクメンとしての肩書が足された隼人は、理想のアナウンサーの殿堂入り。最近では「フリーに転身」のウワサが流れる程、国民的な人気者になった。

常に、週刊誌に追われる私達を「パーフェクト・カップル」と呼ぶ人さえいる。

出産以来、私達に男女の関係は無い。けれど出会って15年以上経つ親友への信頼は絶対で、私は十分幸せだった。

そう、この日までは。

私もロケ出発まであと1時間。シャワーを浴びようと思った時、携帯が鳴った。隼人が忘れ物をしたのかと画面を見ると、私の所属事務所の社長からだった。

「もしもし」

出発時間の変更だろうか、と思いながら電話に出ると、いつもは明るい社長が出発前にごめんね、と沈んだ声で言って続けた。

「落ち着いて聞いてね。ご主人の記事が週刊誌に出るかも。女の子と撮られたみたい。」

その後、自分がどう返事したのか、よく覚えていない。そして…。

私達夫婦は、この時、まだ知らなかったのだ。常に「注目を集める存在」でいることの…本当の怖さ、を。

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パーフェクト・カップルに訪れた最初の試練。そして偽りの生活が始まっていく。