一橋大学名誉教授の野中郁次郎氏(左)と元キリンビール副社長の田村潤氏(写真:『Voice』編集部提供)

利益至上主義に陥った日本企業の問題点とは何か。一橋大学名誉教授で「知識創造経営」の生みの親としても名高い経営学者の野中郁次郎氏と元キリンビール副社長、『キリンビール高知支店の奇跡』(講談社+α新書)の著者でアサヒビールからシェアを奪還した田村潤氏。「表面的な数字ばかり追う会社の致命的な欠点」(1月22日配信)に続いて、2人が総合論壇誌『Voice』2017年3月号(PHP研究所)で対談した内容を一部加筆修正して抜粋する。

全員で問題解決を試みるシステム

野中郁次郎(以下、野中):もともと高知県は山内氏の長い独自の歴史をもつ土佐藩であり、その特殊性から「1つの国」と捉えることもできます。そうであればなおさら、ヘッドクオーター(司令部)を中心に、地域を十把一絡(じっぱひとから)げに捉える大企業の戦略は危険です。田村さんも本社で働き続けていたら、地域のコンテクスト(文脈)は見えてこなかったかもしれません。

田村潤(以下、田村):営業本部は全国の支店のデータをパソコンで眺めているだけです。私たちは、市場をダイナミックなものとして捉え、さらにダイナミズムを自分たちで生み出そうと試みたから、奇跡を起こすことができた。しかし、本社はある1つの時点の傾向を捉えて、そこから類推した戦略を練って指示を下すだけです。お客さまに本気で向き合えば向き合うほど、「敵は官僚的な本社の風土にあり」との思いが強くなりました。

野中:企業経営にはサイエンスとアートを融合させる考え方が求められますが、どちらかというとアートの比重が大きい。いうまでもなく、アートは暗黙知に依拠します。しかし現在はサイエンスばかり教えているから、なかなか新しいコンセプトが生まれないのです。

田村:私もサイエンスで経営を捉えるのは望ましくない、と思います。現場はつねに激しく動いています。気候次第で消費者の嗜好は変わりますし、いつライバル社が新製品を発売するかわからない。膨大な変数のなかで、ある一時のデータだけを捉えて戦略を練っても、変化する消費者の心を掴むことはできません。

野中:稲盛和夫さんが創り出した「アメーバ経営」は、ご承知のように組織をアメーバと呼ぶ小集団に分解して、自主的に「全員参加経営」を促す経営管理手法です。アメーバ経営では、「時間当たり採算制度」を導入することで、社員1人ひとりが、採算(時間当たり付加価値)を上げるには何をすればよいかを考えるようになります。

また、自部門では対処できない課題に直面した場合は、他部門と協力して問題解決を試みる。アメーバ経営はつまり、メンバーが主体的に動いたうえで、リーダーがメンバー全員の知を総動員しなければ成立しないシステムなのです。

田村:個人が動くことであらゆるものが繋がり、大きなオープンシステムになっていくのですね。

野中:こうした環境下に身を置くと、メンバーは主体的に顧客と向き合うようになります。全身全霊で顧客と接することで、それまで見えなかった情報が五感で捉えられるようになる。本部にいては捉えられない地域ごとの嗜好や習慣を掴むには、高知支店の事例のようにまずは全員で徹底的に現場を回ることが必要です。

「暗黙知」を共有する場が減少している


野中 郁次郎(のなか いくじろう)/1935年、東京都生まれ。早稲田大学政治経済学部卒業。富士電機製造勤務ののち、カリフォルニア大学経営大学院(バークレー校)にて修士号(MBA)、博士号(Ph.D)を取得。南山大学経営学部教授、防衛大学校社会科学教室教授、一橋大学産業経済研究所教授、北陸先端科学技術大学院大学教授、一橋大学大学院国際企業戦略研究科教授を経て現職。 田村潤氏との対談イベントが2018年2月8日(木)に東京・有楽町で開催予定。(写真:『Voice』編集部提供)

田村:6年間の高知勤務を終え、四国四県を統括する四国地区本部長を務めたのですが、そのとき感じたのが、「高知で成功した手法が他県でも通じるのか」ということでした。しかし私は、「1人でも多くの高知の人に、おいしいキリンビールを飲んで喜んでいただきたい」という理念のもとに、徹底して現場を回るというスタイルを変えませんでした。しかし結果的にその後の東海地区と本社での成功に繋がり、高知での経験は間違っていないことがわかりました。

野中:地域の「暗黙知」を「形式知」にして普遍化したわけですね。田村さんが実践したように、特定の地域での活動を通して見抜いた本質をビジネスモデルや物語などの「形式知」に落とし込み、普遍化することは、経営を行なううえできわめて重要です。

普遍化にあたり、当然、意見が衝突することもあるでしょう。しかし異なる主観をもつ者同士でも、全身全霊で相手と向き合っていると、ある瞬間に本当の共感が生まれる。これは経験が普遍化されるということです。このように他者との関係性のなかで異なる主観をぶつけ合うことで、互いの視点や価値が共有され、「われわれ」の主観が構築されることを「相互主観性」と呼びます。

ホンダが取り入れている「ワイガヤ」も、三日三晩かけて多いに飲み、語り、議論することで、個々の主観を相互主観性に高めています。多大な労力と時間を要しますが、このようにして身体が共振、共鳴、共感し合わなければ生まれえないものです。

田村:たしかに高知支店でも、若くても男でも女でも「とにかく自分の感じた考えを率直に言う」スタイルを貫いていました。これは議論や創発の場を通して、新たに価値観が生まれる条件だった。

野中:他者と向き合ったときに初めて、自分がやりたいことが見えてくる。それと同時に、「君」や「あなた」の二人称のやりとりを媒介にした共感が起これば、組織はそれを吸収・発散し全体として三人称のかたちに高めてくれる。その意味では、対話による共感の確立が最も重要な経営の種なのです。にもかかわらず現在、ICT(情報通信技術)への依存により、全人的に向き合い「暗黙知」を共有する場が減少しているのは、とても嘆かわしいことです。

田村さんの場合は、場の連鎖を地域で終わらせることなく、全国あるいは世界へと繋げていったという点で、まさにスパイラル運動を実践したといえます。その過程で理念やビジョンをわかりやすく言語化し、メンバーに伝えたことが大きい。何度も同じことを聞かされていくうちに、メンバーのなかで田村さんの言葉が身体化されて、具体的な行動が促されたのです。

シンプルに伝えるには、考え抜かないといけない


田村 潤(たむら じゅん)/元キリンビール株式会社副社長。1950年、東京都生まれ。成城大学経済学部卒業後、1973年にキリンビール株式会社入社。1995年に支店長として高知に赴任したのち、就任6年で県内トップシェアを奪回、V字回復させる。四国4県の地区本部長、東海地区本部長を経て、2007年に代表取締役副社長兼営業本部長に就任。全国の営業の指揮を執り、2009年、キリンビールのシェア首位奪回を実現した。2011年に独立、100年プランニング代表。2018年6月にPHP研究所より新刊発売予定(写真:『Voice』編集部提供)

田村:理念やビジョンと今日の仕事との繋がりをできるだけシンプルに伝えることは大事ですね。現場が理解できる言葉で伝えないと、営業マンも動けないし、その先にいるお客さまにも通じない。ただしシンプルに伝えるには、徹底して考え抜かないといけませんね。

野中:ええ。理念を考え抜いて凝縮したかたちで言語化する作業は、ものすごく難しい。実際、グローバル企業の理念はそうとう考え抜かれています。

たとえばトヨタの豊田章男社長は、“Creating Ever-better Cars(もっといい車づくり)” というスローガンを掲げています。経営を自動車の比喩で述べれば、スピードに応じて運転席から見える「風景」が変わるなかで、ドライバーである社員1人ひとりに「もっといい車とは何か」を熟考させ、“better” の意味を深掘りさせるという、豊田社長の志が伝わってきます。

田村:理念によって前進するエネルギーが生まれ、お客さまとの関係も強化されます。すると、理念がまた強固になる。理念が強まれば強まるほど、ますます活動のエッジが鋭くなり、井戸を掘り下げるように、深く世界に浸透する考えが生まれてくると思います。