一見、何の問題もなく幸せそうに見える仲良し夫婦。

けれども彼らの中には、さまざまな問題を抱えていることが多いのだ。

北岡あゆみ、32歳。大手電機メーカーの企画開発部に所属する彼女も、昨日までは、この幸せな生活が永遠に続くものだと信じていた。

ある一通のメールを見るまでは…。

妻たちは、どのような思いで夫の裏切りを耐え抜き、行動に出るのだろうか?




苦しみの幕開け


「あなたの旦那さん、浮気しています。」

この文字が並んだ白いパソコン画面が、あゆみの脳裏に焼き付いて離れない。これは昨晩、突然会社のメールアドレスに届いたものだった。

衝撃的なメールのせいで一睡もできなかったあゆみは、ぼーっとした頭の中、8階にある部屋のリビングの窓から、明けたばかりの空を眺めていた。

ここは、中目黒にある10階建てマンションの一室。結婚と同時に引っ越した物件で、築年数は15年と新しくはないが、1LDKで駅から歩いて5分と立地が良く、あゆみのお気に入りだった。

「おはよう、早いね。」

そう言って起きてきたのは、夫である北岡樹(いつき)だ。樹は2つ年上の34歳で、二人の出身大学である横浜国立大学で出会った。樹の友人があゆみに声をかけてきたのがきっかけで二人は付き合い始め、3年前に結婚。樹は、日系の製薬会社でMRをしている。

「どうしたの?顔色悪くない?」

樹はいつものように、デロンギのエスプレッソマシーンをセットしながら、心配そうにあゆみの顔を覗き込んだ。

「ううん、大丈夫。」

樹に悟られないようにと、必死で笑顔を返す。けれども、寝不足のあゆみの顔はたしかに血色を失くし、目の下にうっすらと見えるクマが、32歳という年を隠しきれていない。

「ほんと?最近風邪が流行っているみたいだし、気をつけてね。コーヒー、いる?」

樹はいつの間にか、あゆみの好きなカプチーノを作ってくれていた。甘やかなコーヒーの香りを嗅ぎながら、あゆみは“やはり昨日のメールはただのイタズラだよね”と思う。

樹とは、あゆみが22歳、彼が24歳から付き合い始め、もうすでに10年も経つ。途中5年ほど別れていた期間はあったが、再会してからはトントン拍子に、結婚に至った。

樹は昔から穏やかで優しく、怒ったところを見たことがない。肩幅の広い彼にハグをされると、嫌なことが浄化され、穏やかな気持ちになれた。そんな彼と結婚できたことを、あゆみは心から幸せに思っている。

ー大丈夫。こんな優しい人が浮気なんてするはずないじゃない……。長い付き合いだけど、今までだって一度もそんなことはなかったもの。それに、夫婦関係も良好だし。

そうは思ったものの、よく考えると、最近妙に帰りが遅かったり、出張が多かったりすることが少し気になった。

しかしあゆみは、それについて聞こうとは思わなかった。自分の分身のような樹が浮気しているなんて、全く想像ができなかったのである。


友人との会話で、あゆみはさらに不安に…?



「あゆみ、今日、ヨガは?」

樹にそう聞かれてハッとした。気がつけば、もう8時を過ぎている。

「うわ、もうこんな時間…用意しなきゃ。」

あゆみは毎週土曜日の朝9時から、恵比寿にある、色とりどりのハンモックを使ったエアリアルヨガに通っている。

「じゃあ、行ってくるね。いつもみたいに友達とご飯を食べてくるから、帰りはお昼過ぎるね。」

「了解、俺もちょっと仕事片付けに会社行ってくる。夜ももしかしたら食べて帰るかも。」

「……うん。また連絡してね。」

あゆみと樹のいつもの会話だ。二人にはまだ子供がおらず、基本的に日曜日の夜以外の食事は別々、週末も各々好きに過ごす。何となく当日にお互いの予定を報告し合うが、細かいところまでは気にしない。

しかし今日は樹の一言ひとことが、妙に引っかかっる。“仕事を片付けに会社”なんて、今まで聞き流していたのに。

家を出て恵比寿に向かう中、あゆみの足取りは重かった。中目黒駅まで、いつもと同じ道なのに、まるで違う景色に見える。

あのメールのせいで、昨日までと見える世界がまるで変わり、どんよりとした色味を帯びているようだったのだ。


妻会議の議題:夫の不倫について


ヨガが終わった後、いつものように『ダルマット恵比寿』で友人二人とブランチを取ることにした。

「うわ、このリゾット美味しい……!」

そう言ったのは、食品メーカーで知的財産部に所属する堀口清香である。28歳の清香には商社マンの婚約者がおり、そのふんわりとした可愛い容姿と雰囲気に似合わず、たまにズバッと鋭いツッコミを入れる。

「あら、本当ね。なかなかイケるわね。」

そう言いながらリゾットを口に運んだのは、江崎紀子。彼女は、10歳と7歳の子持ちの専業主婦である。

40歳には見えない白くきめ細かい肌に美しい顔立ち、さらに細長い手足と、見た目は完璧なのだが、思ったことは口から全て出てしまうタイプだ。夫の徹は、不動産投資会社を経営し、広尾に一軒家を持っている。

二人とは年代も職業も、置かれている環境も全く異なるのだが、なぜかウマが合う。しかし今日、あゆみは二人といてもどうも楽しめなかった。

それは、もちろん昨日のメールがずっと頭から離れないからだ。

「どうしたんですか、あゆみさん。今日は何だか元気がないみたい。食事も全然進んでいないですし…。」

清香が心配そうにそう言うと、紀子もいつもの調子で言った。

「そうよ、早く食べないと冷めちゃうわよ。どうしたの、何かあった?」

そう言われたあゆみは、昨日のメールのことを二人に話すことにした。

「えー、何それ!気持ち悪いですね…。何だろう、イタズラ?それとも新手の詐欺とか…?」

「どうかな?でもそれなら何で、会社のメールに来たんだろう?迷惑メールとしてはじかれる可能性もあるのに。」

清香とあゆみがさまざまな推測を繰り広げていると、いつもより少し低い声で、紀子が言った。

「それ、きっと旦那さん、クロね。」

その自信たっぷりな物言いに、あゆみは少し苛立ちを感じ、「何でそう思うんですか?」と聞き返してみた。

「女の勘っていうか、長年の勘かな?私の旦那、浮気常習犯だから。」

あまりにもあっけらかんと答える紀子に、あゆみと清香は目を丸くした。

「え、常習犯って…。紀子さん、平気なんですか?」

あゆみが驚きながら尋ねると、紀子は眉根を歪ませながら、少し口を尖らせた。

「そりゃぁね、初めの1、2回は全然平気じゃなかったわ。生きた心地がしなかったし、何より私の全てを否定された気がしたもの。でも、子供のこともあるし、別れる気がないのなら、知らないふりをするのが一番だって思ったのよ。」

先ほどとは違って、どこか諦めたような、寂しそうな表情をする紀子を見て他人事とは思えず、胸が苦しくなった。

「あゆみさんは、これからどうするんですか?証拠を探したり、旦那さんにそれとなく聞いてみたり…?」

清香にそう聞かれたことで、これまで想像などしなかった“夫の浮気”という問題に直面していることを実感した。しかし今はどうしたいのか、まだ考えられない。

「あゆみちゃん、見ないふりをして忘れるのもアリだと思うよ?もしかしたら、本当にただのイタズラかも知れないし…。

でもきっと、モヤモヤして、本当かどうか確かめたいと思う日が来ると思う。その時はよく考えて。一度証拠を掴んでしまったら、もう知らずに過ごしていた日には戻れないから。」

紀子の珍しく真面目なトーンに、あゆみは“この人もこう見えて、苦しみを乗り越えて来たのだろうな”と思うと同時に、自分にも同じ苦しみが待っているのかと、急に怖くなってきた。


あゆみが見つけてしまった物とは…?


不倫の手がかり


予定通り、あゆみは14時過ぎに家に到着したが、樹はすでにいなかった。

いつもの見慣れたこの家に、何だか急に居心地の悪さを感じて、あゆみは不安を煽られた。

ー私は、どうするべきなのだろう…。

あゆみの気持ちとしては、こんなことで愛する夫を疑いたくなどないし、そもそも考えたくもない、というのが本音だ。しかしあのメールが、どうしても頭から離れないのだ。

不安な気持ちはなかなか収まらずソファでぼんやりしていたら、いつの間にか日が暮れて、あたりが暗くなっていた。普段切り替えの早いあゆみにとっては、珍しいことである。

何とか他に気をそらそうと、ネットでAmazonビデオのページを開く。

ー映画でも見ようかな…。

あゆみが映画のカテゴリーで探していると、少し前の作品が目に入った。それは、ある男女の不倫を、純愛として描いたもので、多くの人を魅了した映画だ。

しかし、今のあゆみには、この作品は憎たらしいものでしかなかった。

ーどうして世の中に溢れる不倫の物語は、純愛として描かれているのだろう?傷つく側など、どうでもいいのだろうか?

そう思った途端、急に悲しみがあゆみを襲った。映画を見るのを止め、その代わりにと、部屋の掃除をすることにした。いつもはルンバに任せっぱなしで、一見綺麗に見えるのだが、家具の隙間には少々埃が溜まっている。

掃除をしていると、ソファと壁の間に、クチャクチャっと丸まった白い紙を見つけた。捨てようと思って拾い上げると、何やら文字が印刷されている。

何となく嫌な予感がし、あゆみは考えるよりも先に、中身を見てしまった。それは、銀座にあるフレンチレストランのレシートだった。

12月23日、客数“2”、単価27,000……。

ー客数“2”……?たしかこの日は、男友達“数人”と忘年会と言って、朝まで帰らなかった…。

そこまで考えたところで、これまで経験したことのないくらい、心臓の鼓動がドクンと体を波打った。

「あなたの旦那さん、浮気しています」

この言葉が、あゆみの頭を駆け巡る。

樹は普段、自分から好んで高級フレンチには行かない。男友達と行くわけないし、会食で使うような店でもないのだ。

ーこれ、絶対女性とだわ…。私に嘘をついてまで、イブの前日の土曜日に二人きりで…?

目の前が真っ白になり、手が小さく震えた。心のどこかで、“血の気が引くってこういうことなんだな”、と考えながら、あゆみは呆然と立ちつくした。

▶NEXT:2月1日 木曜更新予定
あゆみは、夫の嘘を暴こうと躍起になるが…。