1月19日、引退を表明し、記者からの質問に耳を傾ける小室哲哉さん(写真:日刊スポーツ新聞社)

ワイドショーやネット上のネタとして代表的な「不倫」。タレントや有名人の不倫報道が出ると、非常に激しいバッシングが起こるのが、最近の傾向だ。脳科学者・中野信子氏が、最新刊『シャーデンフロイデ』で、「不倫を許せないと思う人間の脳の仕組み」を解説する。

タレントの不倫報道が後を絶ちません。記憶に新しいところでは、斉藤由貴さん、小室哲哉さんらがワイドショーを賑わせました。

タレントや有名人の不倫報道が出ると、バッシングを受けるのが世の常ですが、最近では特に大きなバッシングを受けたのが、ベッキーさんです。おそらく、それまで非常に好感度が高く、いわば「いい子代表」として認知されていたベッキーさんだったからこそ、人々に与えたショックが大きかったのでしょう。

ホルモンの受容体を調べれば浮気性かどうかがわかる

オーストラリアの大学で行われた研究によると、「アルギニン・バソプレシン・レセプター(AVPR)」というホルモンの受容体を調べることで、どうやら、浮気性かどうかといったことも、ある程度まではわかるようです。

AVPRのある型を持っていると、男女ともに長期的な人間関係を結ぶのが難しく、パートナーに対して不満度を高め、不親切な振る舞いをすることがわかりました。

この型は、AVPR遺伝子のうちの塩基の1つが置き換えられています。そのため、アルギニン・バソプレシンのシグナルが入りにくくなり、親切心などが生まれにくくなるのだと考えられています。

要するに結婚生活、共同生活にあまり向いていないタイプと言えるかもしれません。実際に、この型を持つ男性では未婚率・離婚率が高く、このタイプのAVPR遺伝子は「離婚遺伝子」(女性の場合、離婚よりもパートナー以外の男性との関係が増えることから「不倫遺伝子」)などと呼ばれています。

もちろん、人間の行動は遺伝子だけで100%決まるわけではありませんし、育った環境などにも大きく左右されます。その遺伝子を持っているからといって、必ずしもその人が離婚、不倫する、あるいは婚姻できないというわけではありませんので、その点はご理解ください。

また、「プレーリーハタネズミ」と「アメリカハタネズミ」という、近縁の哺乳類を用いた、こんな実験もあります。近縁とはいえ、両者はとても異なった行動をとります。プレーリーハタネズミは一夫一婦型なのに対し、アメリカハタネズミは乱婚型なのです。

両者の、中脳におけるAVPRの発現密度を調べると、プレーリーハタネズミはたくさんあるのに、アメリカハタネズミは少ないことがわかっています。アルギニン・バソプレシンは交尾の最中にオスの脳で分泌されメスへの愛着を形成することが知られています。そのため、AVPRが多くてアルギニン・バソプレシンのシグナルを受容しやすいプレーリーハタネズミは、一定のパートナーに愛情を注ぎ続けることができるのだと考えられています。

そこで、乱婚型のアメリカハタネズミの脳にたくさんのAVPRを発現させると、一夫一婦型の婚姻形態をとることがわかりました。

我々、哺乳類はすべて「種を残す」ことを目的とし、その道を選んでいます。一夫一婦型では、「自分たちの共同体(家族)を守る」ことが種の保存に必須と考えられます。夫婦で協力し合い、時に邪魔をするものと戦うことで子どもを育てていきます。一方、浮気性の人たちや乱婚型の動物は、少しでも多くの個体と交わることで、いろいろな形で自分の遺伝子を残そうとしています。

「二つの制度」がぶつかることは、人間特有の現象

方法は違えども、どちらも種の保存を第一に考えているわけです。このとき、一夫一婦型の人たちにとって、浮気性の人たちは脅威となります。自分たちが守っている共同体に介入してきて、ルールを壊すかもしれないからです。このように、「二つの制度」がぶつかることは、人間特有の現象と言えるでしょう。

動物の場合は、一夫一婦型なら一夫一婦型、乱婚型なら乱婚型と種類ごとにルールが決まっており、そのルールの中でパートナーを求めて争うにすぎません。ところが、人間はそうではありません。一夫一婦というルールの下でペアをつくっておきながら、乱婚型の行動をとってしまう人がままいます。それは、一夫一婦のルールを厳格に守っている側の人間からすれば、とてつもない脅威なのです。だから、不倫は徹底的に糾弾されてしまうのです。

それにしても不思議なのは、「ベッキーさんがあなたの夫の浮気相手でもないのに、なぜそこまで怒るのか」ということではないでしょうか。不倫騒動があると、まさに老いも若きも男も女もいきり立ってその対象をバッシングします。こうした攻撃が度を越したものになっていくのは、向社会性という一見「正しいもの」に暴力的な力が潜んでいるからです。


「不倫を許せないと思う人間の脳の仕組み」とは?(写真 : ふじよ / PIXTA)

ニューヨーク市立大学バルーク校の研究グループが、マクドナルドの模擬店舗を用いて面白い実験を行いました。

その模擬店舗を訪れた被験者には、用意された2種類のメニューリストのなかから一方が渡されます。サラダなど健康を連想させるメニューが載ったリストと、それが載っていないリストのうち、いずれかです。その上で、最も太りそうな「ビッグマック」を選ぶ割合について調べました。

すると、一般的な予想とは逆の結果が出ました。すなわち、サラダが掲載されていないリストを受け取った群では約10%だったビッグマックの注文率が、サラダが掲載されているリストを受け取った群では約50%にも上ったというのです。

これは、人間が「良いこと」または「倫理的に正しい」なにかを想像しただけで、免罪符を得たような気分になってしまうことを表しています。

この実験では、「健康」という「倫理的正しさ」を扱っています。サラダが載っているリストを目にした人たちは、そこで健康という倫理的正しさを想像します。ただそれだけのことで、「私は健康について倫理的に正しいことを考えている」と判断し、「だから、ビッグマックを食べてもいいや」と自分を許すのです。サラダが載っていないリストならばそんなことは起きないのに、なまじ載っていただけに免罪符を得てしまうわけです。

社会は人間にとって非常に重要なもの

これと同様のことが、私たちの日常でも起こります。それが健康という個人的な問題で済んでいるならまだいいとして、そうではない「倫理的正しさ」に及んだとき、どういうことになるでしょうか。


「社会とはこうあるべきだ」「人間とはこうあるべきだ」というように、常日頃より「倫理的に正しいこと」を考えている人ほど、脳にはたくさんの免罪符が貼り付けられており、結果的に「倫理的に正しくない」残虐な行動に走ってしまう可能性があるということなのです。

社会は人間にとって非常に重要なものです。時には、個体の存続よりも重要視されることがあります。社会を形成して生きていくという戦略が、私たち人類の大きな繁栄の礎にあったことを考えれば、ある意味、当然のことともいえるでしょう。

反社会的であるよりは、向社会的であることのほうを好ましいと認知する性質を備えた個体が長い年月をかけて、さらに淘汰され、生き延びてきたのが人類の歴史であったといえるのではないでしょうか。