相撲取りからホテルオーナーに!フレンチを食して人生の可能性を知る

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日本の誰もが知っているホテル、「ホテルニューオータニ」。この創業者の意外すぎる経歴をご存じだろうか? 人生の可能性は計り知れない--そんな想いを馳せながら、高級フレンチの草分け的な店での食事はいかがだろう。

【食を制すもの、ビジネスを制す】



第24回 フレンチを食べて人生と世の中の可能性を知る


 


ホテルニューオータニの創業者は相撲取りだった


日本を代表するホテル御三家の一つ、ホテルニューオータニの創業者は相撲取りだった――。そう聞くと驚くかもしれない。帝国ホテルは、財界の巨頭である渋沢栄一と大倉財閥の創始者である大倉喜八郎がともに設立に関わったものであり、ホテルオークラはその喜八郎の長男である男爵、大倉喜七郎がつくり上げたものだと考えると、高級ホテルの創業者としては、少し毛色が違っているように見えるのではないか。

実は、このホテルニューオータニの創業者である大谷米太郎氏のビジネスはホテルだけではない。彼のビジネスには五反田のTOCビルなどを展開するテーオーシー、鉄鋼製品メーカーの大谷工業、星薬科大学などがあり、いずれも創業家である大谷家が今も経営に関わっている。いわば、大谷グループとも言える企業群を形成しているのである。ちなみにショートショートの神様と言われるSF作家、星新一の父である星一が興した星製薬は経営危機後、大谷氏が傘下に収めた。TOCビルは、この星製薬の本社工場の跡地に建ったものだ。


人生はどう転ぶかわからない。ピンチはチャンスだ


大谷氏はもともと富山県の貧農に生まれた苦労人だった。31歳のときに故郷から20銭とにぎりめしだけを持って上京。荷揚げ仕事や店の奉公人となって生活を凌いだ。やがて精米店で働くようになると、力自慢でならしていた大谷氏に相撲取りにならないかと声がかかる。そこで大相撲の力士となり、砺波山という四股名で褌担ぎから幕下筆頭にまでなったが、手の指に障害を負っていたことが原因で幕内に上ることをあきらめてしまう。

結局、上京はしたものの、すべてはうまくいかず人生の転機を迎えるのである。しかし、大谷氏は相撲界に縁を持っていたため、国技館を取引先として酒店を商ってから、そこで得た資金を元手に、今度は鉄鋼圧延用のロールを生産する東京ロール製作所を起業する。

次第に事業はうまく回り始めるが、大水害が発生し、工場は全壊。復旧を目指して再び復活するも、今度は1923年の関東大震災で工場が焼失してしまう。42歳のときのことだ。

だが、人生はどう転ぶかわからない。まさにピンチはチャンスだ。飲食店や雑貨店をしながら危機を凌ぎ、震災後の復興需要に着目。建築関連の鉄鋼事業に乗り出し、関連会社を統合し大谷重工業として生まれ変わり、今度こそ本格的な成功を収めるのである。

その後、太平洋戦争で満州での事業の大半を失ったものの、今度は朝鮮戦争に伴う朝鮮特需で大きく生き返る。そこから経営不振に陥っていた星製薬の再建を手掛け、さらには東京オリンピック開催に伴うホテル不足を解消するために、財界からの要請を受けホテルニューオータニを建設するのである。その結果、今では本業だった重工業よりも、後から始めたホテル事業のほうがビジネスとして有名になってしまったのである。

「トゥールダルジャン東京」でフレンチを食すという経験


そんなホテルニューオータニにフレンチの名店がある。それが「トゥールダルジャン東京」だ。こちらの名物は鴨料理であり、手掛けた鴨の一羽ごとに番号を付けるというユニークな試みで、トゥールダルジャンは世界に名を広めることになった。

出典:珠さん

日本との縁ができたのは1921年6月21日だった。当時、皇太子だった昭和天皇がパリ本店で食したときの鴨の番号が「53211」。この番号を記念すべき番号として、この次の番号を、後に誕生する東京店での最初の番号としている。その東京店はホテルニューオータニ開業20周年記念事業として1984年に世界唯一の支店として誕生した。

出典:マダム・チェチーリアさん

今も政財界などの食通たちが訪れ、とても格式の高い店だ。私も一度だけ知り合いに連れて行ってもらったことがあるが、本当に緊張した。店内には訪れた有名人たちのサインが飾られており、漫画家の手塚治虫の名があったことを覚えている。

こちらの店では男性は上着着用というドレスコードがある。だが、私は季節が夏だったこともあり、許してくれるだろうと思って、ジャケットを持たずに訪れてしまったのである。店の人はすばやかった。私がジャケットを持っていないことを入口で確認すると、さっとジャケットを用意してくれたのである。正直、自分が恥ずかしかった。やはり決まりは決まりとして守るべきだったと後悔した。知り合いも浮かない顔をしていた。

しかし、料理は最高だった。「これが本当のフレンチか」と自分がこの店にいることを心から感謝できるような味だった。もちろん料金は高い。お酒を入れて1人5万円以上はかかると考えたほうがいい。でも、人生で一度は経験してみるといい。これこそ、次元の異なる経験であり、私も食事後はしばらくの間、夢心地だったことを覚えている。

富山の貧農に生まれた1人の子供が、長じて相撲取りから経営者となり、日本を代表するホテルをつくった。そこに昭和天皇も食した鴨料理を供する店ができ、今も日本の政財界のグルメたちが集まってくる。そう考えると、なんだか人生や世の中は可能性に満ちていて面白いと思う。