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世界各地で右派・保守が台頭し、左派・リベラルが退潮している。なぜなのか。その背景には、理性的な判断を求める左派の政治家より、感情的な言葉で訴える右派の政治家のほうに「人間味を感じる」という構造がある。ライターの斎藤哲也氏が哲学の視座から考える――。

■理性と直観のどちらが主か

理性と直観の関係について、相反する見方を示した2人の哲学者がいる。

古代ギリシアの哲学者プラトンは、理性と直観(感情)の関係を、御者と馬との関係にたとえて説明した。つまり、理性が主人となって、直観や感情をコントロールすべきだということだ。

それに対して、18世紀に活躍したスコットランドの哲学者デイヴィッド・ヒュームは、『人間本性論』のなかで、「理性は情念の奴隷であり、そうあるべきだ」と述べている。

古代ギリシアから始まった西洋哲学の歴史を振り返ると、ヒュームのような考え方は少数派だった。そりゃそうだろう。衝動的な直観や感情に振り回されていたら、真理の探求なんてできやしない。直観は真理を探求する目を曇らせる。さまざまな偏見やバイアスから抜け出すには理性を適切に使わなければならない──というのが、西洋哲学において支配的な考え方だった。

■「理性は情熱の召使いにすぎない」

しかし、この連載でも繰り返し述べてきたように、近年、理性の旗色は悪くなっている。たとえば、アメリカの社会心理学者、ジョナサン・ハイトは、著書『社会はなぜ左と右にわかれるのか』(紀伊國屋書店)のなかで、西洋哲学の理性崇拝を「合理主義者の妄想」と呼び、ヒュームに軍配を上げている。

<純粋なカルト信者は、現実離れした神聖なファンタジーを生むが、やがて外部から誰かがやってきて、偶像を台座から叩き落とす。まさにそれが、「理性は情熱の召使いにすぎない」という、当時の哲学を冒瀆(ぼうとく)する叫びを高らかにあげたヒュームのしたことだ>

ハイトは、ヒュームのモデルを継承して、理性と直観の関係を<象>と<乗り手>にたとえている。なぜ馬ではなく象なのか。「象のほうが馬よりもはるかに大きく、かつ賢いから」だ。<乗り手>は、<象>を思いどおりに操ることなどできない。むしろ逆に、人間は直観的な判断を後から理由づけるために、理性的な思考を使う。理性が直観を統御するのではなく、直観を意味づけるために理性が用いられる。「そもそも<乗り手>は<象>に仕えるために配置されている」というわけだ。

■共和党と民主党の違いとは

だが、理性に対する直観の優位を実証する研究は、現代であれば珍しくない。ハイトの『社会はなぜ左と右にわかれるのか』が面白いのは、この直観モデルにもとづいて、アメリカの共和党と民主党の違いを説明するくだりだ。

ハイトによれば、私たちの道徳的判断も、理性ではなく直観が支配している。

<道徳的な判断は、危害、権利、正義などに対する関心の度合いを測定するなどといった、純粋に理性的な働きではない。それは、動物が草原を移動し、さまざまな事象に引き寄せられたり、それらから遠ざかったりする際に下す判断に似た、突発的で無意識的なプロセスである。つまり道徳的な判断のほとんどは、<象>が下すのだ>

政治家のスピーチや政党の訴えに対する判断にも同じことがいえる。簡単な話だ。ある政治家が、いくら精緻な論理で訴えようとも、学術論文を朗読するようなスピーチだったら、聴衆の共感を得ることは難しいだろう。それよりも、印象的なフレーズをちりばめて、直観や感情に訴えかけるほうが、つまり<乗り手>ではなく<象>に語りかけるほうが、スピーチとしては効果的だ。

重要なのはここからだ。ハイトは、リベラルな民主党よりも保守主義的な共和党のほうが「直接、<象>に訴えかける術を心得ている」という。なぜか。共和党のほうが、人間が持つすべての道徳スイッチに刺激を与えようとしているからだ。

■直感に影響する6つの「基盤」

ハイトによると、直観(=象)には、進化的に獲得した6つの道徳的な「基盤」がある。簡単に要約しておこう。

・<ケア/危害>基盤……残虐行為を非難し、他者の苦痛をケアしたい
・<公正/欺瞞>基盤……ペテン師を罰し、働きや貢献に応じて報われるべきだ
・<自由/抑圧>基盤……互いに結束して、いばり屋や暴君を打ち倒したい
・<忠誠/背信>基盤……チームの結束力を高めるために、裏切り者は罰しなければならない
・<権威/転覆>基盤……階級や地位に対して、人々が分相応に振る舞っているかどうか
・<神聖/堕落>基盤……非合理的で神聖な価値を持つ何かを大切にしなければならない

上記のなかで、リベラル(民主党)は、ケアや公正、自由に重きを置くが、保守(共和党)は、6つの基本的な道徳基盤すべてに訴えかけている、というのがハイトの見立てだ。とりわけ「<忠誠>基盤(とくに愛国主義や英雄主義)と<権威>基盤(両親、教師、年長者、警察、そして伝統の尊重など)へのアピールに関しては、ニクソン以来ほぼ共和党の専売特許だった」と解説している。

■分が悪いリベラルへの処方箋

ハイトが直接述べているわけではないが、リベラルが重きを置く3つの基盤(ケア・公正・自由)は、理性的な説明とも結びつきやすい。とすると、相対的な比較としては、リベラルは<乗り手=理性>に訴えかけるのに対して、保守は<象=直観>に訴えかけると捉えることもできるだろう。そして「理性は情熱の召使いにすぎない」のであれば、リベラルはどうしても負け戦になってしまう。

このハイトの議論には、かなりの説得力を感じるのではないだろうか。同書がアメリカで刊行されたのは2012年だが、2016年に起きたイギリスのEU離脱やトランプ現象、さらに世界各地での右翼勢力の台頭などを見ると、左派・リベラルの退潮と右派・保守の勢力拡大は、さらに加速しているようにも思える。

以前、とあるヨーロッパ政治の研究者は、EUのゆくえを展望する講演のなかで、「右派の政治家は左派・リベラルの政治家に比べて人間味が感じられる」とこぼしていた。ハイトの主張を裏付けるような発言だ。

では、リベラルはどうすればいいのだろうか。ハイトが提出するリベラルへの処方箋は、リベラルも保守と同様に、すべての道徳基盤に対応すべき、というものである。煎じ詰めれば、理性ではなく直観に訴えかけよ、ということになるだろう。

<したがって、道徳や政治に関して、誰かの考えを変えたければ、まず<象>に語りかけるべきである。直観に反することを信じさせようとしても、その人は全力でそれを回避しよう(あなたの論拠を疑う理由を見つけよう)とするだろう。この回避の試みは、ほぼどんな場合でも成功する>

だが、直観主義者ハイトに対して、痛烈な批判を浴びせた哲学者がいる。それが、この連載でもたびたび言及しているジョセフ・ヒースだ。次回は、ハイトに対するヒースの批判を見ていこう。

(編集者・ライター 斎藤 哲也 写真=iStock.com)