タイ遠征組の8名とU-20組などの15名で挑んだ今大会。それぞれがらしさを見せた。(C)Getty Images

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「当初はタイでフィールド20人+GK3人、中国で同じく20人+GK3人で、合計46人を選ぶつもりだった」
 
 森保一監督は、昨年12月のタイ遠征(M-150杯)から今年1月の中国でのAFC U-23選手権へと続いた一連のウインターシリーズの“そもそもの計画”について、そんなことを語っていた。まずはラージグループを観ようという構想で、タイと中国が”続き物”になるイメージはなかったのだと言う。まずはタイでU-20ワールドカップに選ばれていない選手を発掘して刺激を与え、U-23アジア選手権ではワールドカップ組を中心にしながら、そこにJリーグで結果を残している新しい選手数名も加え、結果も意識して戦う。そういうプランニングだった。

 
 ところが、この構想は徐々に修正を余儀なくされることになる。1月のオフシーズンを利用しての大会参加について、多くのクラブから再考を求める声が上がったからだ。1年を通してフル稼働してきた選手も少なくないなかで、昨年は多くの国際大会も行なわれていた。久保建英(FC東京)のようにU-20とU-17ワールドカップの世界大会に出場した選手もいる。結果として、森保監督と日本サッカー協会はこうした要請を呑む形で方針を変更。誰も選手を潰したいわけではないので、穏当かつ妥当な決定だったのは確かだが、誤算ではあった。
 
 結局、DF中山雄太(柏)、冨安健洋(福岡→シント・トロイデン/ベルギー)杉岡大暉(湘南)、そして久保らがメンバーから外れ、タイ遠征から6名の選手を中国行きのメンバーとして選出することとなった。
 
 もっとも、いざ招集が実現してからも思わぬ展開が待っていた。J2で大暴れを見せて初の代表選出となったFW前田大然(水戸→松本)と、東アジアE-1選手権でこの世代初のA代表選手になったDF初瀬亮(G大阪)が負傷と体調不良で途中離脱。結果としてタイ遠征組は8名に増えることとなり、指揮官の当初構想とはかなりの様変わりとなった。また、実はJリーグでの活躍を見初められて招集リストに入った選手は前田以外にもいたそうだが、こちらも水面下で打診を断られてしまい、招集が実現しなかった。
 
 ただ、結果としてネガティブな面ばかりではなかったように思う。U-23アジア選手権に臨んだ23名の選手の中で、戦術理解という意味ではタイでワンクッションを踏んでいた“タイ組”の8名にアドバンテージがあるのは明らかで、選手の序列が期せずしてリセットされることとなった。完全に分けていたら、「タイ組がBチームで、中国組がAチーム」という印象しか残らなかっただろうが、ミックスされたことで選手の競争意識にも刺激が入った。それは下克上を狙う選手たちにとっても同じこと。いきなり中国組に混じっていたら厳しかったであろう選手も、タイでワンクッションを入れられていたことで、まず自信をつけて臨んできていた。

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 タイ遠征組の中でシンボリックな選手は、中盤の中央を担った神谷優太(湘南→愛媛)と井上潮音(東京V)のふたりだろう。かつて、東京Vユースで神谷がアタッカーで井上が舵取り役だった両名だが、このウインターシリーズでは神谷が労働をいとわぬ守備的MFとして奮戦し、井上がボールに絡みながら高い位置を取って攻撃を作るという役割分担でよく機能。後方からのビルドアップを重んじる森保システムの要として機能することとなった。
 
 3バックのリベロを務めた188センチの長身DF立田悠悟(清水)も、そのポテンシャルをあらためて証明してみせた。中山と冨安のふたりを欠いた最終ラインで「あのふたりがいないから出られているのだと思っている」と謙虚に語りつつも、試合を重ねるごとに自信をつけてクオリティを上げてみせた。0-4と惨敗した準々決勝のウズベキスタン戦は立田自身の致命的なミスもあったが、あのレベルの試合を体感できたのも彼の今後にとってはきっとプラスだろう。
 
 逆にU-20ワールドカップで主軸として戦ってきた選手たちは軒並み「危機感」を強調していたのも印象的だ。椅子が保証されていない、ここから逆転を狙う選手たちが多々いるのだという実感は、理屈としては当然分かっていたことであっても、肌で感じるモノがあればまた違ってくるもの。そういう効果を上げるシリーズとなったのは間違いない。
 
 代表チームの強化というのは時間も限られていて、しかも試合は一発勝負ばかりなので、思わぬ方向に転がりやすい。その中で災い転じて福と成せるかどうかが肝心だ。思うような選手招集ができなかったことでかえってポジティブな刺激が生まれ、壊滅的な惨敗を受けて新たなモチベーションと危機感を得ることができた。
 
 2年半後に迎える東京の夏、そう振り返ることができるような成長をチームと選手が遂げてくれることを強く期待している。

取材・文●川端暁彦(フリーライター)