雨宮処凛さん(左)と小林エリコさんに女性の貧困について語ってもらった対談の後編(撮影:尾形文繁)

ブラック企業での勤務による貧困、うつ病発症、自殺未遂、生活保護、そして生活保護を切るまでの凄まじい体験を綴った自伝的エッセイ『この地獄を生きるのだ うつ病、生活保護。死ねなかった私が「再生」するまで。』(イースト・プレス)を上梓した小林エリコさん。
「月収12万円の私が自覚してなかった貧困の真実」(1月23日配信)では、貧困問題に取り組んでいる作家・活動家の雨宮処凛(あまみや・かりん)さんと女性の貧困や生活保護バッシングの問題について語ってもらった。続く後編では、生活保護を切るときの苦労や、小林さんが働けない原因となった精神障害への偏見などについて踏み込む。

実家との距離を置くことも生き残る方法の一つ

――生活保護を切る際、一番苦労したことは何ですか?

小林 エリコ(以下、小林):担当のケースワーカーが勝手に書類を作成していたことです。本来なら収入が出たら「これだけ収入があります」という内容を記入した書類を役所に送るのですが、「今月分をお送りします」と言ったら「もうその分はこっちで作ったので」と言われてしまったんです。しかも、「ハンコは役所内の小林という名字の者から借りました」と。

雨宮 処凛(以下、雨宮):ひどい!

小林:勝手に金額を書かれているから、私がどれくらい働いたかというのははっきりしていないと思います。だから、生活保護を切らせてくれなかったのかなと。それに、「どうせ精神障害の人は働けない」と言われてしまったんです。

そのときは障害者の差別団体の人に来てもらい、役所に注意してもらいました。ワーカーがもっと積極的に働けるよう助言や応援をしてくれたら、もう少し生活保護を切るのが早かったかもしれないし、支えになったのではないかと思います。

雨宮:支援団体の人に入ってもらえなかったら生活保護を切れなかった可能性もありますよね。そう思うととんでもない話です。そうやって、切りたいのに切れない人って他にもいるのでしょうね。受けられなくて困っている人がいる一方で、切れなくて困っている人もいるなんて。小林さんはブラック企業で働いている間はひとり暮らしで、心を病んで実家に戻り、その後20代の間はずっと実家暮らしだったんでしたっけ?

小林:はい、ずっと実家で暮らしていました。当時はクリニックを転々としていました。クリニックを変えて良い薬を出してもらえれば病気が良くなると思っていたのですが、多分いちばん健康に良いのは働くことだとやっと気づきました。


「生活保護を受けて実家を脱出し、そこから働いて自立した人もいます」(雨宮さん)(撮影:尾形文繁)

雨宮:私の周りで1990年代後半から2000年代に亡くなった人の中には、小林さんのようにブラックな会社で働いたり、フリーターで働いたりしていたけど、生活ができなくなって実家に帰って、そこで親との関係がめちゃくちゃにこじれて家庭内暴力にまで発展してしまい、自殺するケースがありました。

実家が安心できる環境ならばいいですが、実家にいることによって「うつ」が悪化したりする場合も多いです。だから、「実家にいると病気が悪化するから」と主治医に診断書を書いてもらい、生活保護を受けて実家を脱出し、そこから働いて自立した人もいます。そういう時、生活保護は使える手だと思います。でもそこに、小林さんのようにクリニックが介入するとまた面倒くさくなるのかなと、今回著書を読んで改めて気づきました。

小林:私の場合、実家がすごく田舎だったので、周囲で仕事を見つけるのも難しい状態だったのもありました。生活保護を受けて家を出られたのはすごく良かったと思います。環境を変えて、もう少し都心に住んだら仕事も見つけやすかったです。うちの親は厳しい親ではないので「働け」とか「家を出て行け」とかは言わないのですが、母親との共依存関係はありました。「あなたは病気だから、働かずにずっと家にいてもいいのよ」という感じになってしまって。

母はそれでいいと思っているけど、私自身はこんな自分がすごく嫌で、どうにかしたいけど、どうすればいいのか、何をすればいいのかもわからないという状態でした。だから、ひとり暮らしをして生活保護を受け、母親と物理的に距離を置いたのがとても良かったです。母親といることによって本人の生活力が奪われていってしまうんですよね。ゴミ出しの仕方もわからないし、料理も親が作るし。

雨宮:ずっとその調子で40代まできている方もいますよね。

小林:そしてそのまま親の介護に突入というパターンもありますよね。

偏見があるため精神障害を隠さないといけない

――当時、精神障害は現在よりも偏見が強かったのではないでしょうか。

小林:そうですね。本の中でも触れたのですが、当時、小学校に精神障害の男が乱入してたくさんの児童を刺殺した池田小事件がありました。マスコミの論調も「精神障害者を排除しよう」といった感じでいたたまれなかったです。

特にこの手の病気だと、親も私の周囲に病気のことを言わないように隠したりします。仕事をする際も、病気のことを伝えるべきか伝えないべきか、という悩みもありました。まず、精神障害を隠すという、スティグマの問題がすごくあります。そこがつらかったです。

――小林さんがうつ病でデイケアに通っていたクリニックは、当初は就職支援をしてくれるという話だったんですよね?

小林:はい。それなのに全く就職の話は出ず、いよいよおカネがなくなってどうしようもなくなったとき「じゃあ生活保護を受けましょう」となったんです。私が通っていたクリニックは利益重視のところでした。たぶん、クリニック側はたくさん患者が来ると儲かるので、就職支援をしたくなかったのかもしれません。

雨宮:本人の負担なしでクリニックには国からおカネが入りますからね。貧困ビジネスですよね。でもそういう問題って、生活保護を受けることを前提に話しているわけじゃないですか。若い子にも「20歳になったら生活保護を受けられるから、それまで頑張れ」と。あらゆる可能性をその人から奪っていますよね。出口がなくなってしまう。


「クリニック側も生活保護を切るために頑張っていきましょうという方向には導いてくれなかった」(小林さん)(撮影:尾形文繁)

小林:そうなんです。クリニック側も生活保護を切るために頑張っていきましょうという方向には導いてくれなかったです。クリニックを替えたかったのですが、生活保護の人は決められた地域のクリニックしか行ってはいけないと当時は思っていました。のちに、指定外のクリニックに通ってもいいと知りましたが。

雨宮:昔、とある病院がホームレスの人を連れてきて生活保護を受けさせ、保険点数の高い必要のない手術をして、病院が何億も儲けているという事件がありましたが、それに似ていますね。

――小林さんが生活保護を受けられていたのは今から7〜8年前とのことですが、当時と現在とでは、生活保護の受け方や切り方などの現状は変わっているのでしょうか?

雨宮:そんなに変わっていないと思います。10年前の年末に年越し派遣村があったわけですが、それ以来、少しは受けやすくなった部分はあるとは思います。それまではホームレスだと受けられないとか、間違った運用がありました。今も水際で生活保護を受けさせないようにする水際作戦の話は聞きますが、小林さんのように、クリニックがついているケースなどは、受けやすいというのはあると思います。

その先どうやって生きていくかのモデルとなった

――地域によって生活保護の受け方や切り方の違いはあるのでしょうか。

小林:私は自分の地域以外のことはよくわからないですけど、どうなんでしょう。

雨宮:基本はどこも同じだと思います。でも、精神障害のあるなしで就労指導などは違ったりすると思います。

やはり「精神障害の人にはあまり就労指導を厳しくしない」といった雰囲気はあると思います。私の周りでも精神的な障害を抱えながら生活保護を受けていたけど、今は普通に働いている人もたくさんいます。

雨宮:ただ、生活保護を受けるまでの事情は一人ひとり違います。貧困の問題が注目されて10年ちょっと経ちますが、「生活保護を受けて生きるという、最低限死なない方法はわかったけど、じゃあこれからどうやって生きていくかがまだ確立されていないよね」ということです。

うつ病で10年間生活保護という人もいれば、生活保護を脱却して派遣で働いている人もいる。でも、短期の派遣の仕事はすぐに切られるので、また生活保護に戻る、というのを繰り返している人もいます。

そして、繰り返せば繰り返すほど「どうせ働いても、また3カ月後生活保護でしょ」という中で、就労意欲が奪われていくケースもある。短期じゃない仕事がなかなか見つからない。働いても展望が見えないのはきついです。そういう中で、安定的に働いているモデルが確立していなくて困っていたので、小林さんは一つのモデルになったと思います。

自分自身があきらめきれなかった


人から信じてもらえたら、人間って意外となんでもできる(撮影:尾形文繁)

――著書の後半は、小林さんがどんどん元気を取り戻していく様が描かれていて気持ちが良かったです。あきらめずに生活保護から脱せたのはなぜだと思いますか?

小林:自分でメンタルヘルスに関する冊子を発行しているNPOに電話をして「雇ってもらえませんか?」と行動を起こしたのが良かったのかもしれません。一応元編集者ですし、当事者でメンタルヘルスに関することはわかるから雇ってもらえるのではないかと。

やはり、自分自身があきらめきれなかったというか。本当にあきらめてしまっていたら「私は一生、生活保護なんだ」と絶望しながら生きていたと思います。まだどこかで「私は生きられるんじゃないか、必要とされているところがあるかもしれない」という気持ちがあったのだと思います。

雨宮:小林さんはやはり人の存在がとても大きいですよね。20代で実家にいるときは、お母さんも腫れ物に触るような感じというか、回復を信じていない感じが読んでいて伝わってきました。

デイケアや役所の人も「この人が働けるはずがない」と思い込んでいて。支援する人が対象者の力を奪っていくように見えました。でも、勤務しているNPOの編集部の人は普通に扱ってくれますよね。そこでどんどん自分の力を取り戻していくのが良かったです。

一般的には「良いもの」とされている支援が、人の本来の力を奪っていくというのは、誰も悪気はないのに難しいなと思いました。その人の回復度合いにもよりますし、とても大変なときに普通に扱われても困るという場合もありますし。普通に扱われて、普通に対等に働き手として扱われると、人ってこんなに普通にやれるのだということを証明していく過程は考えさせられました。

小林:ありがとうございます。デイケアや役所の人は「あなたならできる」と、誰も思っていなかったのがすごく残念でしたね。

雨宮:人から信じてもらえたら、人間って意外となんでもできる。でも、信じてもらえなければ本当に力を奪われてしまうんだな、ということを痛感しました。