浅田真央、宇野昌磨らを輩出 なぜ、愛知は名スケーターを生み出せるのか
フィギュア王国の強さの秘密―県連盟フィギュア部長・久野千嘉子さんに聞く
1988年のカルガリー五輪に伊藤みどりが出場して以降、長野を除く7大会に代表選手を輩出してきた「フィギュア王国・愛知」。フィギュアスケート日本人初の五輪メダリスト・伊藤みどり、日本で最初の4回転ジャンパーである鍵山正和、恩田美栄、安藤美姫、浅田真央、小塚崇彦、鈴木明子、村上佳菜子に続き、平昌五輪の代表に宇野昌磨が内定した。
なぜ、愛知は次々と世界トップレベルのスケーターを輩出することができるのか。王国の強さの秘密を、愛知県スケート連盟フィギュア部長を務める久野千嘉子さんに伺った。
フィギュア王国・愛知の歴史は、1948年に故・小塚光彦氏を含めた数人で愛知県スケート連盟を立ち上げたことに始まる。「連盟ができて、フィギュアだけでなく、スケート全体が発展してきた。フィギュアスケートに注目が集まりがちですが、愛知県は実はショートラックもけっこう強いんですよ」と久野さんは説明する。
さらに、その5年後の1953年、名古屋の中心部、大須に「名古屋スポーツセンター」がオープンした。伊藤みどり、浅田舞・真央姉妹、村上佳菜子ら五輪選手が練習拠点としてきた場所であり、リンクに遊びに来ていた宇野昌磨がここで浅田真央にフィギュアスケートをやらないと誘われたというのは、フィギュアファンの間では有名な話だ。
「大須のリンクができて、当時はそれこそ芋を洗うように多くの方が滑りにきていた。伊藤みどりさんも一般のお客様に混ざって練習をしていましたよ。選手がクルクルと回っているのを見て、『かっこいいな』とか『可愛いな』と憧れてフィギュアスケートを始める子も多かった。そういう良いサイクルの中で、愛知県にフィギュアスケート文化が育ってきたのだと思います」
この“芋洗い”の中に、家族と一緒に遊びに来ていた一人の少女がいた。後にアルベールビル五輪の銀メダリストとなる伊藤みどりだ。フィギュアスケート教室の選手の真似をしてジャンプをしているところを、山田満知子コーチに見いだされた。
「伊藤みどりさんがいなかったら、今のフィギュア王国・愛知はない」
「伊藤みどりさんがいなかったら、今のフィギュア王国・愛知はないと思います」と久野さんは断言する。一人のトップ選手を育てれば、次の選手は自然に育つとよく言われるが、愛知ではその環境が何世代にもわたってうまくつながってきた。伊藤みどりの背中を追いかけ、小岩井久美子、須山愛子、恩田美栄が日本のトップ選手へと育ち、さらにその姿を見て鈴木明子、中野友加里、安藤美姫、浅田舞、浅田真央、村上佳菜子ら数多くの選手が愛知から世界へと羽ばたいていった。
「小さい頃から良いお手本が身近にいて、たくさん見る機会がある。言葉で教えるよりもずっと上達が早いんです。世界で活躍する選手が隣にいて、一日どんな練習をしているのかを常に見ることができる。その環境は大きいですね」
日本人でトリプルアクセルを成功させた伊藤みどり、中野友加里、浅田真央。4回転を成功させた安藤美姫。愛知にはジャンプを得意とする選手が多い。「ジャンプも、小さいうちに周りで跳んでいる選手を見ることで、軸の取り方や回転の速さなどを目で覚えていきます」。熱心で優秀なコーチの存在も大きいと久野さんは続ける。
「伊藤みどりさんが出てきた頃に、ちょうどプロの指導者が少しずつ増えてきた。そういうことがうまくかみ合ったことも大きいですね」
伊藤みどり、浅田真央、宇野昌磨を育てた山田満知子コーチ、ジャンプの指導に定評があり、安藤美姫が生涯の師と仰ぐ門奈裕子コーチに加え、荒川静香、鈴木明子を育成した長久保裕コーチ(昨年引退)が仙台から名古屋に拠点を移したことも王国を盤石なものにした。
「満知子先生を筆頭に、どのコーチも本当に熱心です。ほとんどスケートに人生を注いでいる感じです。生活のためにスケートを教えているのであれば、あれだけハードなことはできないです。本当にフィギュアスケートが好きだからできることだと思いますね」
“リンクのはしご”が選手に生む「刺激」とは
愛知県には、名古屋スポーツセンター(大須)、邦和スポーツランド、愛・地球博記念公園アイススケート場(モリコロパーク)と通年で使用できるリンクが3つある。それに加えて、トップ選手の練習拠点となっている中京大学アイスアリーナオーロラリンク、冬季のみの営業だが、国際規格の日本ガイシアリーナなどがあるため、リンクの多さが強さにつながっていると言われることも多い。
しかし、久野さんは「愛知県は特別に環境が良いわけではない」と強調する。
「通年リンクが3つあるところは他にもありますし、リンクの数だけでみたら愛知県は普通です。だから、それだけが強さの秘訣ではない。選手、コーチ、保護者、連盟など様々な人たちの努力があって初めて良い選手が出てくる。そうした努力が積み重なって、愛知県の強さが作り上げられていると考えています」
愛知の選手は少しでも良い練習環境を求めて、“リンクのはしご”をする。「朝は大須、お昼は邦和、夕方は日本ガイシなど、一日3つのリンクをはしごするのはよくあること。選手はもちろんコーチも一緒にはしごをします。他県では考えられないことですね」
それには愛知県特有の事情がある。他県ではクラブがリンクに所属していることがほとんどだが、愛知県の場合はリンク直属のクラブは邦和スポーツランドのみのため、選手はどのリンクでも練習することが可能なのだ。リンクの移動は大変だが、複数のクラブが一緒のリンクで練習することが良い効果を生んでいると久野さんは話す。
「メインで練習しているところだけではなく、邦和に行ったら邦和の選手が見られる。日本ガイシに行ったらまた別の選手が見られる。他のクラブの選手、自分のライバル選手たちの練習を見られることは刺激になっていると思います」
リンクサイドに見られる“愛知名物”「他県の方が来ると、驚かれる光景」
リンクサイドで練習を見守り、時にアドバイスを送る保護者の姿も“愛知名物”だ。
「他県の方が愛知県に来ると、驚かれる光景の一つですね。他県では保護者がリンクサイドに立つことを認めない傾向にあるのですが、愛知県の場合はコーチも保護者もそれが普通だと思っていますし、山田満知子先生なども保護者が関わることにむしろ積極的です。加えて、個人レッスンが多いので、例えば初めて2回転を跳べた瞬間を、先生が他の選手を指導していて見ていなくても、保護者は絶対に見ています。その喜びを親子で一緒に分かち合えることは、子供たちにとって励みになります」
取材を行った日本ガイシアリーナには、コーチとして選手を指導する恩田美栄の姿があった。「恩田さんなど、満知子先生の生徒さんたちが指導者になっていらっしゃるので、その教えが受け継がれて、これからもこうした環境は続いていくのではないかと思います」
愛知県の大会は、様々な意味で“世界レベル”であると評される。出場する選手の数が多い上に、世界で戦うトップスケーターも出場する。長久保コーチも愛知に来て初めて大会に参加した時、そのレベルの高さに驚いたという。
「普通は地方大会にトップの選手が出てくることはないですが、山田満知子先生をはじめ愛知のコーチはトップ選手も地方大会に出すという考えを持っておられます。他の地域では選手権にエントリーできるのは15歳以上ですが、愛知では年齢に関係なく、小学生でもバッジテストで7級を持っていれば出られます。
小学生に安藤美姫さん、浅田舞さん、真央さんがいた時は、上の選手は大変でしたね。ジュニアのグランプリシリーズで表彰台に上っていた中野友加里さんですら、『愛知県の大会で表彰台にあがるのは大変なんですよ』と当時話をしていました。愛知はハングリーな選手が多いのですが、そういうところから培われるのかもしれません」
“世界基準”の大会から“本当の世界”へ
競技レベルだけでなく、大会運営も“世界基準”だ。「小さい選手も喜ぶので、大会の運営はしっかりとやってあげたい」と表彰式も氷上で行う。
「世界のトップ選手が氷上で表彰される場面を見ることはあっても、自分がその上に立てる機会はそれほど多くないので、目標になります。逆にもし3位に入れなかったらすごく悔しいので、選手も保護者も次回はもっと頑張ります。大会の運営を考えたら、時間も人手もかかって大変ですが、それでも選手の励みになるならと氷上での表彰式を始めました」
愛知県スケート連盟が主管する中部日本選手権(中日カップ)では、10年ほど前から表示や放送などがすべて英語で行われている。参加する選手にとって、気分は国際大会。モチベーションも明らかに変わってくるという。
「キスアンドクライや、テレビのインタビュー、囲み取材もあります。その中で選手たちは小さい頃から取材を受けることに慣れていき、日本の代表になる頃には普通に受け答えができるようになる。小さい頃からの積み重ねがあるからこそ、選手たちは違和感なく大きな大会にも入っていけるのです」
“世界レベル”の大会を経験することで愛知の選手たちは、小さい頃から自然に世界で戦う準備を整えていく。選手、コーチ、保護者、連盟が一体となり築き上げてきたフィギュア王国・愛知。そこで育った生粋のプリンスが2月、平昌五輪の舞台でその真価を見せつける。
◇山田智子(取材・文)
愛知県名古屋市生まれ。公益財団法人日本サッカー協会に勤務し、2011 FIFA女子ワールドカップにも帯同。その後、フリーランスのスポーツライターに転身し、東海地方を中心に、サッカー、バスケットボール、フィギュアスケートなどを題材にしたインタビュー記事の執筆を行う。(THE ANSWER編集部)