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「言った・言わない」というすれ違いから感情的なトラブルに……。そうした言葉によって生じたトラブルを、言葉で解決するにはどうすればいいのでしょうか。明治大学教授の齋藤孝氏は、「まずはトラブルを生じさせない言い方、語彙を知っておくことが重要」と説きます。言葉の“保険”をかける話し方とは――。

※本稿は、齋藤孝『大人の語彙力大全』(KADOKAWA)の第3章「気持ちよく聞き入れてもらえる、大人の言い訳・謝罪・お願い」を再編集したものです。

■言葉によるトラブルを回避する

書類の誤記や手配ミス、確認不足や連絡モレといったように、責任の所在と原因が明らかな場合は早く、潔く謝り、リカバリー策を講じることが肝要です。

厄介なのは、原因が曖昧にも関わらず、気づいたときには事が大きくなっているトラブル。これは、往々にしてコミュニケーション(言葉、言い方)によるものと言えます。「言った・言わない」「そんな言い方をするなんて」……、事実がどうかよりも、感情的になることで火に油を注ぐ結果になってしまうのです。

言葉によって生じたトラブルを、言葉で解決する。この、矛盾とも言える難題については、皆さんも頭を悩ませた経験があるのではないでしょうか。

一度言った言葉は取り消せません。そのため、トラブルを生じさせない言い方、語彙を知っておくことが必要です。

■言葉の“保険”をかける

クライアントに、「○月○日までにご返送ください」と書類の記載・捺印をお願いした場合、あるいは、メールで「○月○日までにご返答ください」とお願いした場合などに期日までに返送・返答が来なかったとします。

当日催促するのもはばかられるので、1日くらいは待つでしょう。2日目になっても何の連絡もない場合、相手が忘れていることは明白です。

そんなとき、「お願いしたものがまだ来ないのですが」と言ったら、相手に「あなたのミスですよ」と伝えているのと同じ。人によっては、「なんの連絡もしてこないそっちも悪い」と怒り出すかもしれません。

そんなトラブルを回避するためには、「こちらのミスかもしれませんが」というニュアンスを含めた言い方をします。

「行き違いかもしれませんが、実は、私の手元にまだ書類が届いていないもので、心配になってご連絡しました」
「私のほうでメールを見落としているかもしれないのですが、先日の件、ご返答いただいていますでしょうか」

明らかに相手のミスであっても、それをあえて曖昧にする言い方。万に一つ、億に一つでも、こちらのミスの可能性もあるかもしれないという含みを持たせて伝えると、相手は気持ちに余裕ができて「いえいえ、私が忘れていてすみません」と言いやすくなるのです。

言葉に“保険”をかけることで、相手の気分を害する不要なトラブルを避けられます。また、気持ちの上で相手に「貸し」ができるので、その後のコミュニケーションもスムースにいきます。

■断るときこそ肯定形で

厳しい決断を迫られるのは、ビジネスの日常です。感情的なトラブルになりがちなのは、相手からの依頼や期待、あるいはアドバイスや提案を拒絶するとき。

結果は「否(いな)」なのですが、断られたほうが比較的受け入れやすい言い方としては、肯定形で断る方法があります。

「できません」→「いたしかねます」
「いりません」→「お気持ちだけいただきます」

人は、否定の言葉を言うときと肯定の言葉を言うときでは、表情やしぐさといったノンバーバル(非言語)・コミュニケーションが違います。「できません」ではなく「いたしかねます」と言うと、内容は否定でもいくぶん和らぎます。

また、相手が急に態度をひるがえしたり、身勝手な要求をしたりといった理不尽な場面に遭遇することもあるでしょう。そんなときは、「受け入れられません」ではなく「困っております」と言います。

怒りにまかせて相手を否定する前に、YESでもNOでもない「困っている」という言葉で、暗に「受け入れられない」ことを伝えておきます。

ビジネスでは“言質”が重要です。言質を取られると、後で大変な事態に陥ることが多々あります。不用意に否定語を使うと、後々のトラブルに発展しかねません。できるだけ肯定語に言い換えるのが賢明です。

■あえて“主体”を曖昧にしておく

ビジネス上の判断は、個人でするものではありません。個人としてはYESでも、組織としての判断、経営上の判断がNOであればNOです。明らかに困難な価格交渉でも、「交渉する」という命がくだれば交渉するしかありません。

そのやりとりをするのは人。人(担当者)が人(相手側の担当者)に対して、組織的な判断についてコミュニケーションするところがビジネスの難しさです。

言いにくいことを言うとき、つい「すみませんが」「申し訳ありませんが」という枕詞を使いがちですが、これは危険です。「すみません」「申し訳ありません」は謝罪の語彙。たとえ深い意味もなく使ったとしても、謝っていることに変わりはありません。言質を取られて不利な立場になる典型的な場面です。

ここでは「心ならずも」「大変不本意ですが」を使います。

どちらも、「やむをえず」「自分の本当の気持ちとは違う」という意味を表します。これを枕詞にすると、「決して私の意図するところではありません、むしろ私はそうなる(ならない)ように願っていたのです」と言わんばかりの気持ちが伝わります。

その上、絶妙に“主体”が曖昧になり、責任の所在がぼやけるので安全です。

■謝罪の語彙はバリエーションが大事

しっかり謝らなくてはならない場面では、明らかな謝罪の言葉を使います。ただし、「申し訳ございません」「お詫びします」と同じ言葉ばかりでは芸がありません。下記の表現くらいは、バリエーションとして持っておきましょう。

「謝意を表します」
「深謝いたします」
「陳謝いたします」
「ご容赦ください」

「謝意」は、お礼を述べるときにも使います。文脈によってどちらの意味かを使い分けます。

「深謝」は心から詫びること、「陳謝」は事情を述べて詫びることです。「陳謝」と言ったら、相手は当然事情説明を求めます。自ら事情説明をしたくないときは、「深謝」と言っておきましょう。

「容赦」は許すという意味で「勘弁」とも同義ですが、許しを請うときには「ご容赦」のほうが改まった感じがします。

謝罪会見でよくある「このたびはお騒がせしました」は、謝罪の言葉ではありません。どんな問題が起きたのか、誰が問題を起こしたのかについて、何一つ回答しておらず、場合によっては「そっちが勝手に騒いだだけ」ととらえられてしまいます。

ちなみに私の経験では、謝罪の際に菓子折りを持って行くというのは意外に効果があります。人はどんなに怒っていても、いったん物を受け取ってしまうと怒りがいくぶん和らぐものなのです。ただし、お菓子の“重さ”はポイントです。謝罪するのにおせんべいやクッキーのような軽いものだと、謝罪の気持ちも軽いと思われます。ここはやはり、ずしりと重さのある羊羹などが適しているようです。

トラブルは、起こすもなくすも言い方次第。語彙力がピンチを救うと心得ましょう。

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齋藤 孝(さいとう・たかし)
1960年静岡県生まれ。明治大学文学部教授。専門は教育学、身体論、コミュニケーション論。著書に『三色ボールペン活用術』『語彙力こそが教養である』(以上、KADOKAWA)、『声に出して読みたい日本語』(草思社)など多数。NHK Eテレ『にほんごであそぼ』総合指導。

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(明治大学文学部教授 齋藤 孝 写真=iStock.com)