世界中には様々なプロ野球がある。中南米の、いわゆるウインターリーグもそのひとつだ。日本のプロ野球選手が武者修行の場として挑戦したことで、すっかりファンにもおなじみになったメキシコ、ドミニカ、ベネズエラ、プエルトリコは高いレベルを誇り、それぞれのシーズンの後、チャンピオンを決める”カリビアンシリーズ”で覇権を争う。

 この4大リーグのほかにも、中南米にはあまり知られていないプロ野球が存在する。中米の小国、ニカラグアとパナマのリーグがそれだ。ほとんどの選手は、夏は国外のさまざまなリーグでプレーしており、冬の短いシーズンに帰省を兼ねて凱旋する両国の出身者だ。しかし、ここにもわざわざ“出稼ぎ”に来ている助っ人がいる。

 ニカラグア南部、コスタリカ国境近くの町・リバス。南北アメリカ大陸を貫くパンアメリカンハイウェイ沿いにある古びた球場に薄暗い灯がともる。そのグラウンドでキャッチボールをしている選手たちのなかに懐かしい顔があった。


2005年から阪神で3年間プレーしたダーウィン

 写真撮影をお願いすると、そうするのがクセなのか、かつてニューヨーク・ヤンキースのプロスペクト(有望株)だった頃にベースボールカードに収まっていた時と同じ、グラブを胸に抱えるポーズをとってくれた。

 彼の名はダーウィン・クビアン。2005年から3年間、阪神タイガースでプレーしたピッチャーだ。もともとサッカー選手で野球経験はなく、高校生の時にヤンキースのベネズエラ・アカデミーで試しにボールを投げたところ、その剛球に将来性を見出したスカウトから契約を勧められてプロ入りしたという逸話を持つ。

 プロ7年目の2000年にはトロント・ブルージェイズでメジャーデビューを果たしたものの、残念ながらアメリカでは芽が出ず、活路を日本に見出した。

 阪神では、鉄壁のリリーフ陣”JFK“の一員であったジェフ・ウィリアムスが故障離脱した2006年にその代役として49試合に登板するなど活躍。しかし、日本でのプレーも結局3年で終わり、その後はメキシコ、韓国、故郷のベネズエラでプレー。ここ数年はイタリアに渡り、45歳の今も現役を続けている。

 そして短いイタリアでのシーズンが終わると、つかの間のオフを故郷のベネズエラで過ごし、その後、ニカラグアでリリーフ投手として投げている。

「まだ90マイル(約144キロ)は出るよ」

 そう言って剛腕の健在ぶりをアピールするダーウィン。夏のシーズンを過ごしているヨーロッパには50歳を超えてもまだ現役で投げているキューバ人投手がいるが、そこまでやるのかという問いにはこう答えた。

「そこまでは……わからないね。でも、まだまだ投げられる限りはやるよ」

 今となっては待遇のよかった日本でのプレーはいい思い出だが、試合中に停電で球場が真っ暗になるのが日常茶飯事というニカラグアの環境にも、それを苦にすることなく、プレーする場所がある限り世界中どこにでも行くつもりだと、ダーウィンは言う。

 パンアメリカンハイウェイは、ニカラグアからコスタリカを通りパナマに至る。

 パナマのウラカ州サンチアゴ・デ・ベラグアス。この町に、パナマのウインターリーグに所属するブラボス・デ・ウラカというチームがある。

 パナマでは、年中行なわれているアマチュアリーグが人気を博し、プロ野球といえば衛星中継で放送される米国メジャーリーグというお国柄だけに、ウインターリーグの人気は決して高くない。チャンピオンシップだというのに、観客は200人にも満たない。

 そんな閑散としたスタンドをよそに黙々とプレーしていたのが、ドミニカ人のネルソン・ペレスだ。彼もまた、阪神のユニフォームに袖を通した”元虎戦士”である。

 2007年にシカゴ・カブスのマイナーでデビューを飾ったものの、アメリカでは2Aどまり。その後、メキシカンリーグでプレーしたが、ジャパニーズドリームを求めて2015年にルートインBCリーグの石川ミリオンスターズに入団。ここで格の違いを見せつけると、攻撃力不足に悩む阪神にシーズン途中で引き抜かれた。

 阪神入団後は、外国人枠の関係でなかなか一軍昇格のチャンスに恵まれなかったが、二軍の試合ではシーズンの半分しかプレーしなかったにもかかわらず、チーム最多の14本塁打を放った。

 結局、最後まで外国人枠問題に阻まれ、一軍では3試合だけの出場にとどまり、2016年シーズン限りで日本を去ることになったが、昨シーズンは北米独立リーグでプレー。例年、冬のシーズンはドミニカかメキシコのリーグでプレーしていたが、この冬は契約するチームがなく、パナマに流れ着いた。


今シーズン、四国アイランドリーグplusの愛媛マンダリンパイレーツでプレーするというネルソン・ペレス

 パナマには、彼と同じく契約してくれるチームがあれば世界中どこでも行くという知人の紹介でやって来た。ここでも自慢の打棒が爆発し、チームをプレーオフへと導いたが、最後はチャンピオンシップを3連敗で終えた。

 ウインターリーグの終わりは、実にあっさりしている。シーズンが終了すれば、その場でチームは解散。翌日にはホテルを引き払い、選手たちは各々の家路につく。助っ人たちは機上の人となり、次のシーズンに備える。

 ペレスも、気持ちは来るべき2018年シーズンへと向かっていた。

「日本でもう一度チャレンジするよ」

 今シーズン、ペレスは四国アイランドリーグplusの愛媛マンダリンパイレーツでプレーするという。

 彼らに”引退”というきれいな辞め方はない。契約してくれる球団がなくなった時が引き際であり、契約してくれるチームがある限り、世界中どこにだって行く。それが彼らの流儀なのである。

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