裕木奈江(裕木奈江Instagramより)

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90年代の女性週刊誌が“標的”

 亀梨和也(31)の主演ドラマ「FINAL CUT」(火曜午後9時/フジテレビ系)が視聴率で苦戦している。1月9日の初回視聴率は7.2%、16日の第2回はさらに下がって6.5%(ビデオリサーチ調べ、関東地区)だった。

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 ちなみに第1回だが、フジテレビの火曜同枠における初回視聴率のワーストだったという。制作側の焦りは尋常ではないかもしれない。それでも藤木直人の好演が注目されるなど、よいニュースも報じられるようになってきた。

 何よりも団塊ジュニア(1971〜74年)より上の世代となると、亀梨の母親役を演じる裕木奈江(47)の姿に「懐かしい!」と喜んでいるのではないだろうか。テレビ担当の雑誌記者が解説する。

裕木奈江(裕木奈江Instagramより)

「裕木の役は、自殺に追い込まれた亀梨の母親というものです。経営していた保育園に通う女児の遺体が発見され、裕木が演じる母親を犯人だとする報道が過熱してしまいます。実は誤報なのですが、さるワイドショー番組を頂点とするバッシング報道は苛烈を極めます。それに母親は耐えかね、命を絶つというストーリーなんです。そして、この展開が『裕木奈江本人の人生を彷彿させる』と話題になっているんです」

 裕木奈江バッシング――。多分、今の30代以下はご存じないだろう。だが、当時の女性誌は、この話題一色という時期もあったのだ。

 裕木は92年、ドラマ「北の国から ’92巣立ち」(フジテレビ系)に出演して一気に注目を集める。誰もが知る倉本聰(83)が脚本の人気ドラマだから、出演が決まった時点で“シンデレラガール”は約束されていただろう。主人公を演じる吉岡秀隆(47)と肉体関係を持ち、妊娠して中絶するという役を演じきった。

話題作がバッシングの温床

 さらに92年から93年にかけて、なんとJRAのCMで故・高倉健(1931〜2014)と共演。さらにステージを上げた印象を与え、そして93年に最も当たり役となり、さらに強烈なバッシングを生んだドラマに出演する。

 それが「ポケベルが鳴らなくて」(日本テレビ系列/93年7月〜9月)だ。企画は秋元康(59)、演出の1人に堤幸彦(62)の名前を見つけることができる。親友の父親と不倫に陥るという設定。父親を故・緒形拳(1937〜2008)が、裕木は旅行代理店の社員を演じた。一見清純そうだが、実は魔性の女という役柄だ。

 これに女性は強い反応を示す。まず消しゴム版画家であり、エッセイストとして人気だった故・ナンシー関(1962〜2002年)が「週刊朝日」(当時・朝日新聞社)で連載した「小耳にはさもう」に「はじめまして裕木奈江と申します」(93年9月10日号)を掲載する。

 平成の世にふさわしい「魔性の女」は《意外にも裕木奈江なのではないか》と指摘。新聞のテレビ欄に掲載された、ドラマ「ポケベルが鳴らなくて」を絶賛する40代サラリーマンの投稿を紹介する。《「中年男(緒方拳)に積極的にアプローチする若いOL(裕木)がいい。われわれに夢と希望を与えてくれる」》というものだ。

 ナンシー関は裕木奈江の特徴を「小動物」「無邪気」「意識的な無意識」といったキーワードで表現し、いかにも男性の“保護欲求”を満たしそうなキャラクターである裕木奈江に、中年男性が敏感に反応していく状況を呆れてみせた。

猛威を振るうバッシング

 94年には「週刊文春」(1月13日号)のワイド特集「こいつだけは許せない!」で、構成作家の町山広美氏が「JRAシリーズCM カマトト父娘、高倉健と裕木奈江」を寄稿した。一部を引用させて頂く。

《「虫も殺さないような顔で楚々としている女ほどタチが悪いんだ」ってのは、それこそ何百年も前から女の決まり文句で、一方男の答えは「あんないいコを悪く言うなんて、おまえがどうかしている」になると、こちらも何百年も前から決まっています》

 こうした流れがあり、女性誌で裕木奈江バッシングの猛威が振るうことになる。特に代表的なタイトルを3本、紹介させて頂く。

「“存在感”No.1女優なのに!裕木奈江(23)女性になぜ聖子(31)の倍も嫌われる!?」(女性自身・光文社/94年3月15日)

「『美恵子さま』に続いて今度は裕木奈江(22)バッシング!『人の彼氏を寝取りそう』と女性から総スカンなんだって…」(女性セブン・小学館/94年3月17日号)

「失礼ながらバッシングクイーン嫌われ女王を決めました 読者100人が待ってましたと!1位やっぱり裕木奈江『媚を売る態度がミエミエよ』」(微笑[96年廃刊]・祥伝社/94年4月9日号)

 内容が相当に酷いのが、「女性セブン」(前同/94年5月19日号)の「裕木奈江(22才)汚名返上!?『女に嫌われる』女優に『寝たい』『キスしたい』のレズコール」だ。

 記事には《ところが、そんな裕木に、これ以上ない力強いサポーターたちが現れた。/なんと、レズビアン! 彼女たちが、裕木に熱いラブコールを送っているというのだ!》との一文に続き、《「あのとぼけた表情がたまんないんです。“寝たい!”“やりたい!”“犯したい!”その3拍子だね」》などというコメントが掲載されている。今の基準では問答無用で掲載不可能だろう。

「生理的嫌悪感」に基づくバッシング

 前出の記者に、当時の時代背景を語ってもらおう。

「今も芸能人のTwitterが炎上したりします。その是非はともかく、一応は理由のようなものが挙げられるわけです。ところが、この頃の裕木奈江バッシングは、全く理由がありませんでした。『とにかく嫌い』という女性の本音が爆発したんですね」

 直接的な理由はなくとも、背景は存在する。「女性の社会進出」だ。改正男女雇用機会均等法の施行は86年4月。「女性総合職」という新しい働き方が誕生し、「キャリアウーマン」が流行語となった。

「ハーバード大学卒業後、東大法学部に学士入学し、外務省に入省したというスーパーキャリアウーマンである雅子さまが皇太子との結婚を決断、共に記者会見を開かれたのが93年1月です。その約6か月後に『ポケベルが鳴らなくて』がオンエアされました。時代の玩具として恰好の餌食になってしまったわけです。そういう意味では不運な女優でしたが、その後も息の長い活躍を続けます」(前同)

 その一方で裕木奈江は、秋元康サイドとの訴訟(94年)が芸能マスコミを賑わせ、ヘアヌード写真集を発売(99年)し、略奪婚騒動(同年)が話題になったこともあった。そして99年、結婚を機にロサンゼルスへ移住。 04年9月から1年間、文化庁の新進芸術家海外研修制度を利用し在外研修生としてギリシャに国費留学。雌伏の時を経て、06年、突然、クリント・イーストウッド監督(87)の映画「硫黄島からの手紙」に、NAE名義で出演して話題となる。

 さらにデヴィッド・リンチ監督(72)の映画「インランド・エンパイア」(日本公開は07年)とテレビドラマ「ツイン・ピークス The Return」(17年)にも出演するなど、着実に女優としてのキャリアを重ねた。つまり今回は、いわば“凱旋帰国”のような形で、日本の連続テレビドラマに出演したわけだ。

 しかし一部報道では、「視聴率の好転は難しい」と悲観的に予測する。なれば裕木奈江は演技力を見せつけるしかない。ドラマの時間軸では既に自殺しているという役どころなので、回想シーンの出演が中心となる。ひょっとすると出番も少ないのかもしれないが、バッシングで溜飲を下げたアラフィフにリベンジできる好機であるのは確かだ。誹謗中傷に耐え抜いた女優魂が試されることになる。

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週刊新潮WEB取材班

2018年1月23日 掲載