小林エリコさん(右)と雨宮処凜さんが女性の貧困や生活保護への偏見について対談する。その前編(撮影:尾形文繁)

政府は2018年秋から、生活保護対象者へ食費などの生活費をまかなうために支給している「生活扶助費」を最大5%引き下げる。当初は最大13%減の見直し案を提示していたが、批判への配慮で5%にとどまった。
生活保護への関心が高まっているなか、『この地獄を生きるのだ うつ病、生活保護。死ねなかった私が「再生」するまで。』(イースト・プレス)を上梓した小林エリコさん。貧困、うつ病、自殺未遂から生活保護を受給、そして生活保護を切って働くまでの自伝的エッセイとなっている。
反貧困ネットワークの世話人で多くの貧困問題に取り組んでいる作家・活動家の雨宮処凛(あまみや かりん)さんとの対談が実現。女性の貧困や生活保護への偏見について、前編と後編に分けてお送りする。

生活保護を切る方法を書いた本はなかった

――雨宮さんは今回、小林さんの著書『この地獄を生きるのだ うつ病、生活保護。死ねなかった私が「再生」するまで。』を読まれてどんな感想を抱きましたか?

雨宮 処凛(以下、雨宮):最初、Twitterで回ってきたのをネット上で読みました。昨年、一部だけネット上で公開されていましたよね。「すごい人が出てきたぞ」と、気になっていました。それが今回1冊の本にまとめられたとのことで読ませていただきました。

小林さんは1977年生まれですよね。私は1975年生まれなので同世代です。以前、ミニコミ誌の『精神病新聞』も出されていましたが、あれってタコシェ(自主制作の本やCD、絵画や雑貨を取り扱っている店)とかで売っていたんでしたっけ?

小林 エリコ(以下、小林):はい、そうです。タコシェです。

雨宮:じゃあ見てました!

小林:本当ですか? ありがとうございます。22歳のときから書いていました。

雨宮:私は当時、まだ物書きになる前で人形作家志望だった頃です。それで、自分で作った球体関節人形のポストカードをタコシェで売っていたんですよ。その時から『精神病新聞』は目にしていたので、今回出版された本を読んですごく文化が近い気がしました。

私の周りにもメンタルを病んで自殺をしてしまったサブカル好きの人もいます。また、生活保護を受給している人もいて、その体験をブログに綴ったりしてはいるのですが、こういう形で本になったのは初めてです。なんだかこの本は、小林さん1人だけじゃなく、今まで周りで悩んでいた同じような状況の方々の叫びが結実したような感じで、すごく感慨深いです。

――お二人とも就職氷河期を体験された年代ですよね。

雨宮:そうです。私も1990年代、18歳から東京でひとり暮らしを始めました。その頃の地獄めぐりのような状況をすごく的確に書いていらして。このような話は自分の身近にあったけど、改めてまとまった形で読むと、よく生き延びてこられたなと感動しました。

小林:ありがとうございます。自分は生活保護を受けてそれを切ることができたのですが、生活保護を切るまでの本はこの世に存在しないということに気づきまして。生活保護を受け始めるまでを綴った『失職女子。〜私がリストラされてから、生活保護を受給するまで』著・大和彩(WAVE出版)という本はあります。でも、それを切る方法が載っている本はどこにもなかったので、それなら自分で書こうと思い、当初は同人誌で発表しました。

女性の貧困は隠れがち


女性の貧困は女性ということが隠れ蓑になって、問題が可視化されない(撮影:尾形文繁)

――女性の貧困は男性の貧困と比べてまた違った特徴がありそうですが、お二人はどう思われますか?

雨宮:特徴というか、男性の貧困って特に無職だとリアルに非難を受けるというか、親や周りから怒られるじゃないですか。でも、この本を読んでいてもそうですが、女性ということが隠れ蓑になって、問題が可視化されないというか。精神疾患があり働けないという場合や、それ以外の理由で働けないときでも実家にいれば「家事手伝い」という言葉で隠れてしまうので、ある意味あまり問題とされません。働けずに貧困だったことに、親が死んだ後でないと気づかれない可能性もあります。

女性の場合は「どうせ結婚するんだから」とか「花嫁修業中」とかで、男性より問題化されにくい面があります。でも実家暮らしだと、どんどん親が高齢となって、なしくずしに親の介護をやることになるケースもあります。

働けないことを責められない一方で、親の年金だけが頼りという生活の中で困窮し、介護疲れもあって一家心中という事件もあります。だから、そういう女性特有の巻き込まれ方や気づいてもらえなさといった感じはありますよね。

小林:女性だと特に、実家と縁が切れている人は大変だと思います。あと、貧困関係の本を読んでいると、シングルマザーの貧困は深刻だと書いてあります。相対的な貧困の割合も女性の方が高いようです。特に、雨宮さんがおっしゃったように、女性だと結婚をすればここから抜けられる、みたいなのがあると思います。本で書いたのも「結婚して生活保護を抜けました」というオチだったら面白くないと思うんですよ。

雨宮:それは解決じゃないですよね。

小林:もちろんそうです。そういうのを否定するわけではありませんが、やはり「結婚すれば抜けられる」という面はあります。また、自分の力で抜け出すには男性よりも女性のほうが仕事を探すのが難しいという問題もあります。そのなかで、女性が生活保護を受けながら1人で仕事を探して、こうやって社会に戻っていったという体験は自分としては伝えたかった点です。

若者の貧困は1990年代から始まっていた


社会についてもっと学校でも教えてくれないかなという思いもありました(撮影:尾形文繁)

――小林さんが新卒で働いた編集プロダクションは、月給12万円という破格に安い給料です。そこに疑問は持たなかったんですか?

小林:多分私が社会を知らなすぎたというのもあって。短大のとき、学校に来ていた求人自体が月給15万円とかが普通にあったんです。だから、12万円は少し低いのかもしれないとは思っていました。自分が生活できないのは節約していないからなのかなと。

雨宮:やりくりの問題(笑)。

小林:そうそう、やりくりが下手だからうまくいかないのだと思っていました。私と同じ学校の出身の子でも、歯科医の受付で月給15万円と言っていたので、「やっぱりそんなに変わらないから、私が悪いのかな」と思っていて。でも、正社員なのにボーナスどころか残業代も出ていなかったんです。だから、普通の給料がどれくらいなのかも知りませんでした。多分、東京都の生活保護水準って13万円か14万円くらいですよね。

雨宮:はい。その給料だと生活保護以下ですよね。

小林:そうです。若過ぎたのと、学校でもそんなこと教えてくれないから。厚生年金のこととか、大人になっても知らないことが改めて多いと思いました。もっと学校でも教えてくれないかなという思いもありましたね。

雨宮:でも、今の大学生や20代、30代の人だと、自分の身を守る方法としてブラック企業の見分け方とか、労働法を学ぼうという気もあるし、学校側もそういう教育が必要だと思っているんですよね。だけど、アラフォーの小林さんや私たちの世代は、いちばん無防備に野に放たれた世代という感じがします。

2006年くらいから「若者の貧困」が社会問題になってきましたが、本当は1990年代から始まっていたんです。当時、私はフリーターだったのでまさに月収は12万〜15万円くらいでした。でも、自分たちが貧困だなんて全く気づいていなくて。だって、世の中はバブルが崩壊したと言っているけど、日本はまだ豊かだ、「生きづらい」なんて甘えている、みたいな見方をされていました。

雨宮:就職しても3年経たずに転職するダメな若者がいるとか、若者はフリーターを選んでいる、怠けてあまり働く気がない若者というストーリーがメインで、それが非正規労働や構造の問題だという認識はまったくなかった。

私は1994年から2000年頃までフリーターだったのですが、その頃がいちばんリストカットやオーバードーズ(過量服薬)をしていました。だから、小林さんの本に書いていることがすごくわかります。バイトもしょっちゅうクビになって、そのたびに自分を責めて死にたくなりました。世の中の構造が変わったからフリーターが増えていると知らず、100%自分が悪いのだと思っていました。

周りにはそういう生活の中で自殺して亡くなった人もいたし、私自身、オーバードーズによる自殺未遂で救急車で運ばれ、胃洗浄を受けたことがあります。そういった若者の苦しみが雇用破壊の問題と知られるまでに時差が10年くらいあったというのは、とても大きい問題です。だから、そんななか生き抜いて生活保護を切ったのは本当にすごいことですよね。

小林:ありがとうございます。

生活保護はルールが明確化されていない部分もある

――生活保護はルールが明確化されていない部分もあるので、贅沢をしていないかケースワーカーが確認しに来ることもあるんですよね。

小林:そうなんです。何をして良くて、何をしちゃいけないのかがまったくわからなくて。生活保護を受けている間でも働いていいということも知らなかったので、柏木ハルコさんの『健康で文化的な最低限度の生活』(小学館)を読んで初めて、行政側は受給者に「働け」と指導することを知りました。私が生活保護を受けているとき、ケースワーカーからは一言もそんなことを言われなかったので。むしろ、自分で仕事を探して仕事を得て働き始めても、全然応援をしてくれなかったです。

あと、古いものを売って得たおカネは役所に申請しないといけないのか、親が野菜を届けてくれたときも申請しないといけないのか、などそういう細かいところもわからないままでした。市としても、生活保護を切れるのは良いはずなのに、「どのくらいの稼ぎがあれば生活保護を切れるよ」という話もありませんでした。そういうことは何も言ってくれないのに、「高価なものを持っていないか点検するために家の中に上がりたい」とは何度も言われました。

雨宮:うわ、それは嫌だな。

小林:でも、生活保護なのに高価なものを買えるわけがないし、そんなものは人からプレゼントされることもないですし。私がボランティアで働き始めてからは昼間家にいない日が多かったので、「なんで家にいないんだ。面談ができない」とか「面談ができないなら生活保護を切るぞ」と脅されたこともありました。きちんと日程を決めてくれたらこちらも家にいるのに、結局一度も訪問に来ることはありませんでした。

生活保護バッシングの真因

――数年前、芸人の母親が生活保護を受給していることが報道された際、生活保護バッシングがひどかったですよね。小林さんは受給時、世間に負い目などは感じましたか?

小林:それはものすごくありました。特に今は、インターネット上での叩きがすごいですよね。おそらくその方たちは「俺らの税金で生活をしやがって」というのが主流の意見です。じゃあ、友達の税金で生活をしている私はとてもダメな人間だ、友達に申し訳ないと、ずっと自分を責めて、しだいに人に会うのもやめていった感じでした。人との接点がどんどんなくなっていった時期でした。

雨宮:2012年頃から生活保護バッシングが激しくなったのは、「自分だってフルで働いているのに、生活保護以下じゃん」という人がいるからですよね。東京だと家賃含めて13万7400円が生活保護の上限だと思うのですが、給料が生活保護より低い労働者がいる。こんなに嫌な思いをして働いているのに「あいつらは何もしないでおカネをもらっている」みたいなバッシングが強まったのは、全体の低賃金化と、ブラック労働化のような、社会全体の労働の地盤沈下というものがあると思います。

だからと言って生活保護受給者をバッシングしていいわけではもちろんありません。でも、「だからこそ最低賃金を上げろ」という建設的な方向に行かず、バッシングに走ってしまうのは、弱い人がさらに弱い人を叩くというような構造ですよね。

逆に言うと、今は生活保護の人が「特権」に思えてしまうほど、全体が下がっている。公務員バッシングもそうです。バブルでみんなが稼げてウハウハの頃は公務員をバッシングする人もいませんでした。逆に、「公務員なんて低賃金で地味な仕事」と言う人もいたけれど、今は高給取りの象徴になっている。どちらも景気が良い時には決してバッシングはされないですよね。

――現在、無自覚だけど貧困層にあたる人もいますよね。

雨宮:めっちゃいますね。今、生活保護の捕捉率が2〜3割と言われています。最新データでの貧困率は15.6%です。そして、生活保護受給者は216万人くらい。でも、貧困率15.6%ということは、貧困ライン以下で暮らす人は2000万人くらいいるということです。その2000万人のうちの216万人しか生活保護を受けていないということは、1800万人くらいが貧困ライン以下の生活なのに受けていないという計算になります。

だから、自分が貧困だと気づいているか、気づいていないかは別として、単純計算をすると制度に捕捉されていない層は1800万人くらいいるということになります。もちろん、その人たちに貯金があったりしたら別ですが、収入ベースで見るとそうなります。

貧困なのに生活保護を受けていないのは、まさか自分が対象だと思っていない。フルで働いて生活保護基準以下だと思っていないのです。

小林:私もそんなにまずい状況だと思っていなかったです。

雨宮:私自身もフリーターのときは思っていなかったです。

(後編へ続く)