前回掲載の「京都の御朱印は、ちょっと違う。古都を往く、十六社朱印めぐり」では京都の冬の風物詩、「十六社朱印めぐり」の8つのお社を紹介した無料メルマガ『おもしろい京都案内』の著者・英学(はなぶさ がく)さん。今回は後編として、残り8社の見どころ等を詳しく記しています。

十六社朱印めぐり 後編

先週末十六社全て周って来ました。今年で6年連続6度目となり、満願成就後に授与される干支の置物もあと6回で、全て揃います。

京都十六社朱印めぐりは、毎年、元旦から2月15日までの間に京都市内に点在する16の神社を巡る御朱印巡りです。御朱印を頂く事で厄除け、安産、健康長寿、交通安全、学問成就など様々なご利益を頂ける縁起の良いお参りです。

期間中に十六社全てのご朱印を受けた方には干支置物が授与されます。朱印料は1社につき300円、計4,800円かかります。

以下がその場所になります。

今宮神社(健康長寿・良縁開運)わら天神宮(安産・厄除・子授け)御霊神社(心しずめ・厄除・学業成就)市比賣(いちひめ)神社(女人厄除)熊野神社(縁結び・安産・病気平癒)東天王 岡崎神社(子授け・安産・縁結び・厄除)熊野 若王子(にゃくおうじ)神社(学業成就・商売繁昌)豊国神社(出世開運・厄除招福・良縁成就・商売繁盛)粟田神社(旅立ち守護・厄除)新熊野(いまくまの)神社(健康長寿・病魔退散・お腹守護)六孫王(ろくそんのおう)神社(出世開運・家運隆昌)吉祥院天満宮(智恵と能力開発の神・受験合格・開運招福)藤森神社(勝運と馬の神)御香宮神社(安産・厄除・病気平癒)西院 春日神社(厄除・病気平癒・交通旅行安全)長岡天満宮(合格祈願・厄除開運)

さて、今回は「16社朱印巡り」後編です。2月15日までまだ時間はありますので是非皆さんもお参りしてそれぞれのご利益に授かることを願っています。

御香宮神社(ご利益:安産・病気平癒)

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お腹に子供を宿しながら三韓征伐を行った神功皇后が主祭神という事から安産や子育てのご利益があるといわれています。863年、境内に香の好い水が湧き出て、この水を飲むと病が治ったという逸話から清和天皇より「御香宮」の名を賜ったのがこの神社の由来です。御香水は名水百選のひとつに認定されています。

1590年、天下統一した豊臣秀吉は御香宮神社に太刀を奉納しています。伏見築城に際し、城内に社殿を移し、鬼門除けの神としたと伝わります。1605年、徳川家康は社殿を再び元の地に戻し本殿を造営しています。1868年の伏見鳥羽の戦では、官軍の陣営が置かれたが、幸いにして戦火をまぬがれていますが、伏見の戦い跡の碑が建っています。

西院春日神社(ご利益:厄除け・病気平癒)

平安時代、833年に淳和天皇が建てた淳和院とよばれる離宮に春日大社を勧請した事が西院春日神社の始まりと言われています。以来、皇室をはじめ藤原氏の守護神として崇敬を集めました。

淳和天皇皇女・崇子内親王が疱瘡を患った時に祈願したら、神前の石が内親王の身代りとして疱瘡を生じました。石が身代わりになりその後内親王はご快癒されたと伝わっています。その事から、春日神社は病気平癒の守護神として崇められています。社殿向かって左側にあるその石は現在も「霊石・疱瘡石」として多くの人々に信仰されています。

豊国神社(ご利益:開運招福・良縁成就)

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1598年、豊臣秀吉は伏見城で亡くなり、阿弥陀ヶ峯の頂に葬られ、中腹に秀吉公を祀る豊国社が創建されました。当時は朝廷から「豊国大明神」の御神号を賜り、境内は30万坪を誇る壮大な神社だったと伝わります。しかし、1615年、大坂夏の陣で豊臣家が滅亡すると徳川家康により豊国神社は廃されました。明治元年、明治天皇の命により再興が決まり、明治13年に方広寺大仏殿跡地に社殿が造営されました。

境内には伏見城の遺構と伝えられる国宝の大唐門が立っています。これだけでもかなり見応えがあります。

現在では出世開運の神様として全国より崇敬を集めています。境内には、秀吉の旗印である「千成瓢箪」にちなんだひょうたん絵馬があり、朱印にもその姿を見る事が出来ますよ。また、隣接する京都国立博物館の門前にある大きな石垣を見逃さないで下さい。あの石垣こそが当時の豊国神社、方広寺の壮大さを物語っています。

長岡天満宮(ご利益:合格祈願・厄除開運)

学問の神様で有名な菅原道真の祟りを鎮めるために建てられた天満宮のひとつです。長岡天満宮は道真公の所領だった場所です。

京都屈指の桜の名所としても有名です。朱印には、天満宮の神使とされている牛の姿を見る事が出来ます。この地は、桓武天皇が平城京より平安京に遷都になるまでの長岡京の跡です。祭神菅原道真公が在原業平と共に、詩歌管絃を楽しんだ場所とも伝わります。

道真公は太宰府に左遷された時この地に立ち寄ったといいます。その時に「吾が魂、長くこの地に留まるべし」と名残を惜しんだ縁故によって道真公自作の木像を祀ったのが、創立の始まりです。

皇室の崇敬も厚く、1623年には八条宮の御領地となり、その後、参道をはさんで南北に八条ヶ池が築造されました。中堤の太鼓橋は加賀・前田候の寄進になると伝えられる名橋です。両側には樹齢150年程のキリシマツツジが植えられていて、新緑に映える真っ赤な様は圧巻です。

岡崎神社(ご利益:子授け・安産・良縁結び・厄除け)

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岡崎神社は桓武天皇が京の町を災いや戦から守る為に都の四方に立てた社の1つでした。京の東側に位置する事から「東天王(ひがしてんのう)」と呼ばれていました。

付近一帯はかつて、野うさぎの生息地だった事からうさぎは氏神様のお使いとされ、境内のいたる所にうさぎの銅像や絵馬を見る事が出来ます。うさぎは多産である事から安産や子授けのご利益があると言われています。

藤森神社(ご利益:男人守護の神・勝運と馬の社)

今から約1800年前に神功(じんぐう)皇后によって創建されたことから、皇室ともゆかりの深い神社です。「菖蒲の節句発祥の地」としても有名です。今日では勝運と馬の神様として、競馬関係者や、競馬ファンの参拝者も多いようです。5月5日には駈馬神事(かけうましんじ)も行われています。

境内には3,500株もの紫陽花が植えられていて、6月には紫陽花苑が公開される事でも有名です。

六孫王神社(ご利益:出世開運・家運隆昌)

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祭神である源経基は清和源氏の祖で、江戸時代に源氏ゆかりの神社として武家の信仰が厚かったと伝えられています。六孫王とは、源経基の別名で、清和天皇の六番目の子供の貞純親王の息子(六番目の子供の孫)だった事からそう呼ばれていたようです。江戸時代五代将軍綱吉の時代に現在の本殿・拝殿等建物が再建されています。

六孫王の子孫には源義家・頼光・頼政・木曽義仲・頼朝等などがいます。また後に足利・新田・細川・島津・山名・今川・明智・小笠原・徳川等の武将が多数輩出されている。

わら天神宮(敷地神社)(ご利益:安産・厄除け・子授け)

祭神は、木花開耶姫命(コノハナサクヤヒメノミコト)。1397年足利3代将軍義満が西園寺北山殿(金閣寺)を山荘として造営する際に鎮守神として現在地に遷したと伝わります。

わら天神の通称で知られる敷地神社は安産のご利益で全国的に有名です。安産御守としてわらの護符が授与され、わらに節があれば男の子、無ければ女の子が生まれるといわれています。

いかがでしたか? 京都は日本人の知識と教養の宝庫です。これからもそのほんの一部でも皆さまにお伝え出来ればと思っています。

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