2008年3月の小室哲哉さん(左)とKEIKOさん(写真:アフロ)

1月17日、イギリス政府が「孤独担当相」を新たに任命するというニュースが世界を駆け巡った。今回はその背景や事情について掘り下げてみたい。

この話題は日本でも衝撃を持って受け止められたが、数カ月前、拙著『世界一孤独な日本のオジサン』取材のため、現地を訪れて同国の「孤独対策」をつぶさにウォッチしてきた筆者も、「ここまでやるか」と「驚き半分、納得半分」の思いだった。


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本連載の前回記事、「日本の男性を蝕む『孤独という病』の深刻度」の中でも触れたように、「孤独」は今、世界各国で、今世紀最大の「伝染病」として危惧されている。中でも、国を挙げて「孤独」への取り組みを進めているのがイギリスだ。日本同様、少子高齢化の進むイギリスでは、特に高齢者を中心に孤独に苦しめられる人が激増している。

調査によれば、約900万人がつねに、もしくは、たびたび孤独を感じており、20万人の高齢者が1カ月以上も友人や親せきなどと会話をしていないという。プレスリリースでは、テリーザ・メイ首相の言葉として、「あまりに多くの人々にとって、孤独は現代の悲しい現実だ。高齢者、介護者、そして、愛する人を亡くした人たち――話す人がいない、考えや日々の出来事を共有する相手がいない人たち――が耐え忍ぶ孤独に向き合い、解決するためのアクションを取っていきたい」とつづられている。

記者会見で「介護者の孤独」について吐露

ここで、目に留まるのは「介護者」(Carer)という言葉だ。高齢者や遺族の「孤独」は想像がつきやすいが、ここであえて、「介護者」について触れたことに少し、唐突感があったが、思い出されるのが、19日に引退を発表した小室哲哉さんのことだ。

記者会見の中で小室さんは「会話のやりとりというのが日に日にできなくなってきた」「わかってもらいたいけどわかってもらえない、聞いてくれるんだけど、理解をしてもらっているのかな」と、闘病中の妻となかなかコミュニケーションをとれない切なさや辛さ、まさに、「介護者の孤独」について吐露していた。

筆者がイギリスで出会った80歳の男性はたった1人で、病気で体の不自由な妻を介護していた。「逃げ場がない」と絶望していた彼を救ったのは、「孤独対策」の一環として民間のNGOなどが進めているコミュニティ活動。彼はそこで仲間と出会い、生きがいを取り戻した。

イギリスで多くの孤独な人たち、その問題を解決しようと奔走する人々に会い、取り組みを取材した中で、印象に残った言葉がある。「孤独は何らかの『喪失』がトリガー(きっかけ)になることが多い」というものだ。高齢者支援団体の責任者の考察で、彼女曰く、「離婚や死別、退職といった『喪失』のダメージは女性より、男性のほうがはるかに受けやすい」という。

ともに歌を、音楽を愛した「かつての妻」の喪失、その妻との「コミュニケーション」の喪失、自らの健康の喪失、多くの喪失を経験した小室さんの心の中に埋めがたい孤独感が生まれていたのかもしれない。メイ首相のいう「話す人がいない、考えや日々の出来事を共有する相手がいない人たち」の絶望的な孤独感は実際に体験したものでなければわからないだろう。

イギリスでは、その「孤独」を個人の問題として片づけ、1人で耐え忍ぶものではないという考え方がある。ゆえに、孤独という「骨をそぐような痛み」に社会全体で向き合い、軽減し、解決していこうという試みが続けられてきた。担当大臣の誕生は決して、短兵急なものではなく、その努力の一過程に過ぎない。

イギリスの取り組みは民間主体で行っている

イギリスで、本格的な「孤独対策」が始まったのは、5〜6年前のことだ。「孤独が健康に甚大な影響を与える」として、5つの慈善団体などが中心となって、「Campaign to end loneliness」(孤独を終わらせるキャンペーン)を立ち上げたのが2011年。その後、国をはじめ、多くの慈善団体、自治体、議員などがこの問題に着目し、無数の研究、調査、キャンペーン、啓発活動が行われ、メディアでも毎週のように、この話題が取り上げられてきた。

特に、一昨年、EU離脱をめぐる国民投票の直前に極右思想の男性に殺害された女性議員ジョー・コックスさんが、孤独問題に熱心に取り組んでいたことから、その遺志を継いだNGOが発足。そうしたイニシアチブもあって、社会としての関心はさらに高まっている。

幅広い研究や対策が進められているが、驚くのは、先進的な取り組みの多くが公主導ではなく、民間主体で行われている点だ。「福祉」はすべて「公」が提供すべきもの、という日本の常識からなかなか理解が難しいが、そもそも、公的な福祉・医療制度が日本に比べ脆弱であることから、第三セクターとしての非営利慈善団体の存在が大きく、一般の市民も「ボランティア」などとして積極的に参画する。高齢者自ら「ボランティア」として活躍する機会も多く、市民同士が「お互い支え合う」という意識が日本に比べてはるかに高いのも特徴的だ。

そういった意味で、「公」「官僚」視点では、なかなかここまで気が回らないだろうという、民間ならではのきめ細やかなサービスが提供されている。その1つが「シルバーライン」という高齢者向けの24時間365日の電話相談サービスだ。

孤独に苦しむ高齢者のヘルプラインを作りたい、と元有名テレビタレントが2013年に、立ち上げた。以来1日平均1600件もの電話を受け、すでに累計電話数は150万件以上に上っている。相談を受けるスタッフは運営団体によって雇用されており、職員150人の人件費など、億単位の費用はすべてを募金や宝くじの資金などによって賄っている。

電話はひっきりなしでやむことはないが、最も電話が多くかかってくるのが誰もが寝静まった夜の時間帯だ。闇夜が孤独感を掻き立てるのだろう。電話をかけて来るのは3分の2が女性。「夫を亡くして1人だ……」など身の上や「孤独感」についてせきを切ったように、切々と訴えるが、男性はまったく違う。

「洗濯機がどうも調子が悪い」「鶏肉はどう調理するのか」「サッカーの話をしたいのだが」など、ほとんどは何らかの「理由付け」から始まる。「自分は孤独だ」とは決して言うことはない。長らく話している内に、「実は妻を2年前に亡くして……」とボソッとつぶやく。

「男性は自分たちの『感情』と向き合うことが少なく、『孤独』はスティグマ(不名誉)だと思って押し殺しているところがある」。シルバーラインの担当者の目にはそんな「不器用な男性の姿」が映る。そうした我慢は男性たちの体を知らず知らずに蝕んでいく。

男性は、妻を失うと社会から隔絶されてしまう


「孤立〜高齢男性を襲う危機〜」

男性が特に孤独の犠牲者になりやすい、という視点での取り組みも活発に行われているが、ある高齢者支援団体が取りまとめたレポート「孤立〜高齢男性を襲う危機〜」では、男性の孤独の実態や、なぜ男性が孤独になりやすいのかが、詳しく分析されている。それによれば、女性は夫以外の隣人やコミュニティ、親戚など幅広く人間関係を構築しているが、男性は配偶者への依存が高く、妻を失うと、社会から隔絶されてしまうリスクが高いという。

「男らしくあれ」というマッチョ信仰が、男性を縛りつけており、なかなか悩みを打ち明けられない、助けを求められない傾向もある。また、「プライドの生き物」である男性は「ボランティア」「慈善」「高齢者支援」といったサービスの受益者になることに抵抗を覚えやすい。「孤独を解消するために」などといった言葉を聞くととたんに、「自分は関係ない、と耳を塞いでしまう」とレポートは分析している。

もちろん、孤独は高齢男性に限定されるものではない。イギリスでは、若者から女性まで幅広くまん延する「国民病」として認識されており、日本とは比べ物にならないレベルの施策と研究が進んでいる。どの地域に孤独な人が多いかの分布を地図上で示すマッピングプロジェクト、地域を挙げたランチパーティー、高齢者宅への定期的な訪問サービス、アクティビティやティーパーティーへの送り迎えのサービス、高齢者へのIT指導、文通のサービスまで、ボランティアの力を最大限に活用した手厚い支援が展開されている。

日本で、「孤独」について言及すると、心配している人が非常に多い一方で、「孤独で何が悪い」「ほっておいてくれ」「余計なお世話」と漏らす人も少なくない。まだまだ、「孤独」がタブー視されている側面もあるのだろう。イギリスで、「孤独」問題が多くの人の口の端に上るようになったのは、それぞれが、「自分ごと」としてとらえているからだ。その萌芽はすべての人の人生に潜んでいる。

「孤独」は自分の問題であり、社会の問題でもある。日本においても、国、自治体、コミュニティ、個人が一体となった議論や取り組みが急がれている。前回記事でも記したが、拙著『世界一孤独な日本のオジサン』では、イギリスの先進的な取り組みも詳細に説明している。お手に取っていただけたら幸いだ。