「赤坂インターシティコンファレンス」(AKASAKA INTERCITY CONFERENCE CENTER)のコンファレンスルーム(写真提供:日本コンファレンスセンター協会、以下同)


 日本企業の生産性が先進国中最低水準であり続けることはよく知られているが、その要因の1つが「会議・研修が所期の成果を挙げるための“環境づくり”」の欠如にあることは意外に知られていない。

 こうした「会議・研修=コンファレンス」の成果を極大化する“環境づくり”の第一人者として過去30年以上にわたって啓蒙活動を続けてきたのが田中慎吾氏(69)である。

(前編)「『やる気』と『根性』では会議の生産性は上がらない」
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/52015

日本コンファレンスセンター協会・会長の田中慎吾氏


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初めて参加した企業の“ビフォーアフター”

 田中氏がコーディネートしたコンファレンスに初めて参加した企業がどう変わったのか、そのビフォーアフターを紹介しよう。

 ある大手繊維メーカーは、それまで地方都市にある自社研修所(古い合宿所タイプ)で各種研修を行ってきた。社員1人当たりにかける予算は5000円。例年通り、秘書室研修を研修所でやろうという話になりかけたが、田中氏は軽井沢プリンスホテルでの研修開催を提案した。

 その場合、1人あたりの予算は一挙に3万円に上がる。当然、研修担当者は渋い顔だったが、「まあ、1回やってみよう」ということになった。

 秘書室となれば参加者は20代の女性社員が大部分だ。ちょうど12月ということもあり、田中氏は季節感ある演出を試みた。例えば飲み物やスイーツ類を盛り付け研修参加者が自由に飲食できる「キオスク」は、クリスマスツリーに飾り付けるようなスタイルでディスプレイするといった心配りだ。

 果たせるかな、軽井沢研修は研修担当者も驚くほどの好評を得た。それは帰京後の日常業務に直ちに反映され、同社秘書室の組織能力向上に大いに貢献したという。半信半疑だった同社の研修担当は一転、熱心なリピーターとなった。

 田中氏は言う。「結局、古いタイプの自社研修所では日常業務の延長になってしまい、参加者たちはオンからオフへの切り替えができません。その点、軽井沢なら参加者はワクワクしながら研修に臨めるのです。当然、頭の中はオフに切り替わっています。『あんな素晴らしい環境で研修を受講できた』という喜びと、『またあそこに行きたい』という思いは、その後の業務に対する姿勢を根本的に変えるだけの力を持っているのですよ」と。

 また別の企業は、鎌倉プリンスホテルで会議を実施したという。鎌倉プリンスといえば、渡辺淳一氏の大ヒット小説「失楽園」の映画版ロケ地としても知られるリゾートホテルだ。

「会議終了後に彼らが言った言葉が印象的でした。『会議の環境と比べて、我々の議題がプアーだったね』って。良いハード&ソフトがあると、それはおのずから、会議・研修の内容を良くしようとする作用があるのです」

田中氏が手掛けたロビーやキオスクのディプレイ


GEのコンファレンスを仕切った伝説の女性

 田中氏はコンファレンスビジネスの歴史をこう語る。

「1970年代に、当時、労働生産性の低さが問題になっていたスウェーデンで、生産性向上のための施策がなされました。ボルボの工場のベルトコンベヤー方式廃止などは有名ですね。

 そうした施策の一環として、会議や研修の生産性を上げるにはどうしたらいいか検討したのが実は最初なのです。ボルボなどが中心になって、知的創造性を育む、従業員に安らぎや健康という人間らしい環境を与えて、何か新しい発想をしてもらおうということで、そういう施設を作ったのです。

 これが1980年代に米国に伝わり、ホテル産業と結びつくことでコンファレンスセンターとして結実し、コンファレンスビジネスと呼ばれる一大産業が確立していきます。米国にはコンファレンスセンターが150施設以上できました」

 田中氏は、まさにその時期に、米国でGEのウェルチ会長(当時)の片腕ドリス女史の知遇を得、コンファレンスについて学んだ。

 ドリス女史こそは、辣腕の「サーティファイド・ミーティング・プロフェッショナル(CMP)」として、ウェルチ会長の経営的成功を支えた伝説の女性である。

「全米には、約1万5000人のミーティングプロフェッショナル(ミーティングプランナー)を抱える団体があり、その中でも選ばれた400人ほどがCMPになっています。

 ドリス女史は、ウェルチ会長の年間50〜60回に及ぶ会議・研修の場所や施設などを全部選ぶのですが、あるものはリゾートホテルで、またあるものはコンファレンスセンターでという風に、予算・内容・規模に合わせて選定するわけです。ウェルチ会長は、会議・研修の内容以上に、その実施環境に対して細かく指示を与えたのです」

 帰国した田中氏は、国際コンファレンスセンター協会の日本代表理事、日本コンファレンスセンター協会の専務理事に就任し、このビジネスを日本で啓蒙・普及する活動に取り組む。

コンファレンスにこそ資源を投入せよ

 しかし、田中氏の顧客になるのは外資系企業が主力で、「やる気と根性さえあればどんな劣悪な環境でも会議・研修はできる」という伝統が浸透した国内大企業にはなかなか理解が得られなかった。「バブル崩壊」とそれに続く長期不況がその傾向に拍車をかけた。

 そんな状況に変化が生じてきたのは2006年頃からだという。

 従来の「厳しく鍛えられた人材」×「過酷な環境」=「一定の成果」という、“地獄の特訓”的なコンファレンス観では、もはや現代の環境変化には適応できないことを、経営幹部たちも徐々に肌身に滲みて感じるようになったのだろう。そして、「最高の人材」×「最高の環境」=「最高の成果」を求めることこそ、時代が求める勝ち組企業への早道であることを悟り始めたということかもしれない。

「不況でお金がないからイマイチな環境でしかコンファレンスができなかった」というのは多くの場合、事実ではない。戦略というのは「選択と集中」である。コンファレンスで最高の成果を追求することに希少な資源を投入する重要性を知らなかっただけなのだ。

 日本のコンファレンスビジネスの市場規模は約1兆円とも言われる。しかし、現在、専門の「ミーティングプランナー」や「コンファレンスコーディネーター」によって実施されているのは、その中のほんの一部に過ぎない。それは換言するならば、時代の追い風が吹き始める中、欧米型のコンファレンスビジネスが日本で今後も伸び続ける可能性を示唆している。

 2017年9月、東京・赤坂のアメリカ大使館横に「赤坂インターシティコンファレンス」(AKASAKA INTERCITY CONFERENCE CENTER)がオープンした。アジアには、シンガポールなどにグローバル水準のコンファレンスセンターが存在するが、それらと比較しても遜色のない本格的なコンファレンス専用施設である。建物内には12のコンファレンスルーム、そして1938年にロサンゼルスで創業したプライムリブ専門レストランが入り、近隣には東京を代表するコンサート専用ホール「サントリーホール」が立地する。一般社員やミドル向けというよりはトップマネジメント向けの施設だ。

2017年9月にオープンした「AKASAKA INTERCITY CONFERENCE CENTER」。運営管理会社はインフィールド


 この施設に企画段階から深く関与してきた田中氏はこう語る。

「今まで、日本には“これがグローバルレベルのコンファレンスセンターです”と紹介できる“規範となるような”施設がありませんでした。しかし、今回これができたことで、多くの企業関係者が『これまで田中さんが言ってきたのはこういうことだったのですね』とようやく納得してくれました」

 まさに「百聞は一見に如かず」である。これを契機に、日本にも“結果にコミットする”欧米型コンファレンスビジネスは広がるだろうか? その実現のためにも田中氏はこれからも汗をかき続ける覚悟だ。

筆者:嶋田 淑之