年末年始は過剰に食べること以上に大切なのが、家族で集まることだ(写真 : MNStudio / PIXTA)

新年になってだいぶ経つので、今さらクリスマスの話題もどうかと思うが、かつて日本で暮らしていた頃、11月初旬から、東京がものすごい勢いで「クリスマスモード」に変わることがすごく印象的だった。最初は、ありえない音量であらゆる方向から流れてくるクリスマスソングも新鮮で、ワクワクして買い物をいっぱいしたくなった。

しかし、25日の夜になると、クリスマスの飾りがさっさと処分され、一瞬にして門松に変えられてしまい、「ちょっと待って! クリスマスはいつ祝ったの?」という変な気持ちに襲われたものだ。

年末年始はずっと食べている

一方、フランスの年末年始はだらだらと長い。そしてよく食べる。24日のイブには家族で豪華なディナーをし、25日には、義理の家族たちと、つまみ食いをしながら、最近の出来事を話しながらだらだらと過ごすのが恒例だ。

夜になるとやっとクリスマスの熱狂が終わり、使い道のあやしいプレゼントでいっぱいになった車で、脂っこい食べ物でぱんぱんになったお腹をさすりながら、家に帰ってくる。これは年末フェスタの第1ラウンドが一段落したに過ぎない。お祭りは大晦日や年明けという第2ラウンドまで続く。

フランス人にとって、年末年始は過剰に食べること以上に大切なのが、家族で集まることである。なかでも、クリスマスは1年の中で、家族全員にとって特別な行事だ。日本人の多くが想像するサンタに靴下、ツリーにキャンドルは表面的なものでしかなく、家族と一緒に愛にあふれて、温かい気持ちで過ごすのが目的だ (現実はそう簡単にはいかないのだが……)。日本の正月に当たるのが、フランスのクリスマスというとわかりやすいかもしれない。

しかし、この家族の集まりは年末や年明けにかぎったことではない。フランスは、日本と比べて家族と関わる頻度がかなり高い。地理的に離れていたり、親子関係がよほどこじれたりしていなければ、月1ペースで会うのは当たり前だ。子どもがいれば、親に孫の顔を見せるために、週1もしくはもっと頻繁に会う人も多い。

私の場合、独身時代は最低でも月1度は会っていた。そして、子どもが生まれてからは、毎週のように会っている。日本に住んでいたときは、さすがに年に1回しか帰国できなかったが、最低週1のペースで親から電話がかかってきていた。

それに比べて日本人は、お盆とお正月、年にたった2回しか里帰りしない人が意外にも多い。日本の友人が「毎年、正月に実家に帰ると、その度に親が老け込んでいて悲しくなった」という話を聞いてとてもショックだった。もちろん、子育てをしている友達には頻繁に帰省している人もいるだろう。しかし、どう見ても、フランス人のほうが家族との交流にエネルギーを使っている。

SNS上にこだまするフランスママたちの怨嗟

私は、家族と会うことは、エネルギーの交換だと思っている。調子がいいときは、気分が上がるポジティブな活力をもらえるし、悪いときは、人間関係に疲れてダウンしてしまう。ちなみに、今回の年末の集まりでは、正と負の両方のエネルギーを受けてしまった。10月辺りから始まる家族のスケジュール調整やプレゼント交換をどういう形にするかというきりのない議論。一生懸命作ったにもかかわらず、家族たちに人気がなかった手料理。悩みに悩んで買ってあげたのに、一瞬で横に置かれた甥っ子へのプレゼント。友達からもらったいらないカードゲームなどなど……。

これはうちにかぎったことではない。SNS上では、同年代のフランス人のママたちが「私は子どもにサンタクロースを信じ込ませたくないのに、親がしつこくサンタの話をしていて、もうあきれた!」とか「義理の親はクリスマスプレゼントとしてうちの子にタブレットを贈るつもりだと言っている。わが家ではタブレット反対と何度も言っているのに、どうして話を聞かないで押しつけるの!? もう信じられない」というような悩みが公開の場で交わされている。

しかし、幸いに、こういう面倒くさいことに目をつぶれば、「ああ、1年もあっという間だったね。何だか楽しかったね」とありがたく感じる部分もある。奇跡的に会えた家族や親戚たち。お互い意見が合わないけど、それぞれの意見を自由に話せたし、これまで黙っていた親への文句も伝えられた。

エネルギー交換は、運動と同様で、やっている間は疲れるが、終わった後はスッキリする。日本では新年に備えて大掃除をするという習慣があるが、それと同様に、フランス人にとって、年末年始という期間は、家族とがっぷりと組んで、1年間の家族間で生じた混沌を大掃除する機会なのではないかと思う。

日本では、一部の人(特に男性)は家族で集まることに対して、どこか義務的で儀式的なため、面倒くさがっているように感じる。親の前で弱音を吐けないことや、兄弟と比較されることなど、家族の前では、良い自分を演じなければいけないプレッシャーがあるのだろうか。これでは、せっかく年末年始に家族と過ごしても、疲れてしまうのではないか。もちろん、フランスに義務感や儀式が存在しないというわけではないが、表面的なものだ。

ほかにも、「家の名字を継がなければならない」とか「家業を継ぎたくないが、そうせざるを得ない」とか、「祖父が死ぬ前にお見合いでもして結婚しろと言われている」とった話を日本で聞いたことがある。

出産の時、思わず母に怒りが…

一方、フランスには、真剣に親や先祖のためを思っている人はあまりいない。その点、私たちフランス人は、個人主義なのかもしれない。「親はああ言っているけど、私は好きなことすればいいさ」と心のどこかで思っている。親は親で、好き勝手に引退生活を満喫しているわけだし。

家族に対する義務感や儀式が必ずしも悪いとは思わない。日本にいるとき「親孝行」や「親不孝」という言葉をよく聞いた。実はこの「親孝行」というのは、フランス語でうまく訳せない。フランス人にあえて説明すると、親に尊敬を示すこと、歳をとったら面倒を見てあげること、海外旅行に連れて行ってあげることなどだろうか。

フランスでは、自分の親が年老いた場合、ある程度彼らの面倒を見てあげなければいけないと誰でも思っている。しかし、育ててくれた感謝のしるしに海外旅行やプレゼントをする責務があるとは思わない。考えてみれば、これは美しい考え方だと思う。

日本では、出産時に母親がものすごく娘の面倒を見てくれるという習慣も思い浮かぶ。フランスでは、このような習慣があまりなく、出産したばかりの娘をほったらかして、趣味や習い事を満喫している親は少なくない。日本人からその話を聞いたとき、面倒くさそうだなと思っていたが、いざ自分が出産をしてみると、日本式の良さが身に染みた。一瞬かたそうに思った親子関係が、かえって意味深く感じてしまった。同時に、あまりサポートをしてくれなかった自分の母親に対して怒りが込み上げてきた。

日本の初詣についても少しうらやましく思う。子どもの頃、クリスマス前に母親と祖父母に連れられて教会のミサを見に行く習慣があったが、時が経ちやめてしまった。今振り返ってみれば、ミサ自体はつまらなくて窮屈だったが、寒い町を家族で歩く習慣が、クリスマスという儀式の重要な一部だったと思う。

しかし、大人になってキリスト教と縁を感じなくなってしまい、今さらミサに行くのも違和感がある 。プレゼントをどうこう考えるよりも、家族みんなで神社へ行きお祈りをしたほうが深い何かがある気がする。社会専門家によると、こういう儀式は、人々が、出産や死、結婚や別れといった人生における大きな出来事を乗り越えるための重要なツールらしい。年末に集まってパーティで終わってしまい、どこかで虚しさを感じるのはその辺りに原因があるのかもしれない。

日本の家族関係は少し窮屈そう

しかし、フランス人から見ると、日本の家族関係は少しだけ窮屈そうに見える。儀式的なこと、義務的なことだけを実行し、悩みも打ち明けず、会話もあまり交わさないのもどうなのか、という疑問が残る。何事もとりあえずトラブルを起こさないように我慢する日本人に対して、何事もとりあえずトラブルを起こしてでも揉めておくフランス人という違いもある。

フランス人は「問題があったらまずは対話をするべし」と信じている。カップルのパートナー同士も、問題があったときに、喧嘩をしてでも、まずはコミュニケーションで解決しようとする。家族同士で意見の食い違いがあって、何も言わないで我慢するのは、精神的に疲れ、最終的に爆発してしまうからだ。何も言わずに意見の違いを隠し何もなかったかのように演じるのは、偽善であり、かえって相手を傷つけてしまう可能性もある。

理想としては、外交術をうまく使い、意見の食い違いにさっと対応すること。もちろん、現実にはそう簡単にいかないことが多い。でも、フランス人にとって家族との喧嘩は普通のことであり、家族関係の中に含まれている。もしかしたら、日本人の中にもフランス人に近い考えの人もいるかもしれない。家族と距離を置き、面倒を避けるタイプなのか、それとも、フランス人のように「健康な揉め方」をするタイプなのか、あなたはどちら派だろうか。