あなたは、知っているだろうか。

東京の勝ち組女である“港区妻”に、実は純然たる階級があることを。

頂点に君臨するのは、東京の良家に生まれ、東京の名門私立に通い、東京で家族ぐるみの強固な人脈を持ち、東京で経済力のある男と結婚した女たち。

そう、生まれ育った東京で、当然のごとく東京で幸せに暮らす、生粋の「東京女」である。

一方で、たった一人で上京し、港区妻の仲間入りを果たした女たちもいる。東京の婚活市場をすんなり勝ちぬいた桜井あかりもその一人だ。

東京女を相手にあかりが挑むのは、婚活のその先にある、女の戦いの総決算。

それは、慶應幼稚舎受験である。

今、あかりの前に、「女の見えない天井」が現れる!




「旬くんはどこの小学校を受けるの?やっぱり天現寺?」

あかりは不意の問いかけに、手をとめた。

幼稚園のお迎えまでのあいだ、久しぶりにCA時代の親友3人で集まり、優雅なブランチを楽しんでいた。最近は白金の『ザ テンダーハウス ダイニング』で、サラダビュフェを楽しむのがお決まりだ。

CA同期の中でも、早々に結婚して母になったあかりと玲奈、百合。このメンバーで笑いあっていると、あかりの胸にはじんわりと喜びがわいてくる。

CAを辞めた今、もうフライトで体を酷使する必要はない。それに優雅な東京暮らしは、田舎の幼馴染のように一生狭いテリトリーに閉じ込められることもない。

地元・愛媛県で一番の県立高校から必死に勉強して入った慶應だが、その慶應の同級生のように髪を振り乱してキャリアにしがみつくのもごめんだった。

慶應のサークルで出会った夫の修司は、大手総合商社のエネルギー部門で、一生懸命働いてくれている。今年の夏、大田区の社宅を出て、港区の芝浦アイランドに2LDKを購入した。

ホテルライクなエントランスにコンシェルジュ、パーティルームやバーベキューサイトを備えた、わかりやすい高級タワーマンションで、無理をして買って良かったと心から思う毎日だ。

あかりは、確信していた。私は勝ったのだ。持ってうまれた素材を、努力で最大限にうまく活用し、どう転んでも幸せでいられる場所を手にした。

その象徴が、同じような境遇の友人との優雅で贅沢な白金ブランチだった。あかりが心からくつろぎ、恵まれた自分たちを包みかくさず出し合える仲間。

そこにふと、耳慣れない単語が紛れ込んできた。

―テ、テンゲンジ……?

「小学校かあ。来年は年長だもんね…。うちの学区、芝浦小だよ」

すると百合が話にならないというように首を振った。

「違うよー、受験の話だよ。あかりは大学、慶應だよね?だから旬くんも天現寺が第一希望なのかなって。今年急に港区に越してきたのもそのためじゃないの?うちはそろそろラストスパートの年長だから、私が昔通ってたお教室のほかに、大手にも通いはじめたんだ」

玲奈が妙に真剣な表情でうなずいた。

「ついにこの時がきたわね。ここで一生が決まる」


東京出身の親友のまさかの言葉に、あかりは愕然とする…!


突如思い知る、東京エスカレーター組との大きな違いとは


呆然としたあかりの横で、百合は大きな溜息をつきながら言った。

「玲奈はいいじゃん!天現寺出身なら、ご挨拶に行くルートもあるでしょ?うちは朝ドラの影響で、英和の倍率あがっちゃって…今年は10倍だって。卒業生といえども落ちちゃった子、いっぱいいるんだよ」

そういえば玲奈も百合も東京の出身で、下からエスカレーター式で進学したと言っていた。玲奈はあかりと同じ慶應卒なので、慶應幼稚舎出身のはずだ。

…ということは、テンゲンジとは幼稚舎のことか。確かに近所の、広尾にほど近い天現寺に、慶應の幼稚舎がある。しかしあかりは、幼稚舎を天現寺と呼んだことはないし、それが学校を指す俗称だとは知らなかったのである。

そして百合が出た東洋英和というのは、女子大、ということくらいしか知らなかった。小学校もあるらしい。

「最後の1年は、絵画と体操と少人数お教室と大手お教室だね。こんなの、みんなやってるよねえ」

玲奈が天を仰ぐしぐさをする。栗色のつやのあるロングヘアが後ろに流れ、テラスにふりそそぐ日の光を反射した。あかりは何か言いたかったけれど、手持ちの単語さえなかった。

受験?そんなことを二人が当然のように考えていることが驚きだった。そしてどうやらその世界のスタンダードを、すでに当然のごとく理解していることも。




「あかりはどこを狙ってるの?」
「うーん、うちは修司がお受験とか興味なくて。たぶん中学から受験するっていうんじゃないかな?」
「興味ないって…。いやいや、公立行ってどうするの?」

百合がきょとんとした顔で尋ねる。玲奈もうなずく。あかりは反論の余地がないことに気づく。

「え?ほんとに受験しないの?修司さんはともかく、お姑さんとかお母さんとかはそれでいいっていうの?」

心底不思議そうなふたりの顔をみながら、あかりは呆然とした。

なぜそこに母親が出てくるのだろう?どうやらお受験というのは一族の総意であるものらしい。なにか重大な間違いを指摘されたような気持ちになっていた。

「まあ、玲奈のとこは特別だよ。慶應一族じゃない。天現寺にあらずば小学校にあらず。地でいってるよね。うちはそこまで強固なコネじゃないから、相当頑張らないと、みなしごハッチになっちゃうよー」

百合の言葉をききながら、そうか、このままいくと旬はみなしごハッチになるのか…と、あかりは呆然ときいていた。


港区では、お受験があたりまえ!?


焦るあかりは、幼稚園の友達に相談するが…


「なるほど、それであかりちゃんは東京女の洗礼を受けたわけね」

翌日。同じ幼稚園のママ友の中でもっとも信頼する凛子を、一緒に通う広尾のピラティスの帰りにお茶に誘った。




旬が通う幼稚園は、港区の私立幼稚園のなかで特に親の出番が多く、ほぼ100%の母親が専業主婦である。そのため、昼間は比較的自由なのだ。

「うん…。正直、3月に港区に引っ越してきたけど、港区の幼稚園がこんなに激戦だってしらなくて。運よくうちの幼稚園に転勤で欠員ができて面接してもらえて助かったけど、小学校受験を意識してうちの幼稚園にきたわけじゃなかったんだ…。みんな準備してるのかな?」

「そこは意外に、毎日会ってると細かく聞かないよね。ちなみにうちの知樹は受験するよ」

凛子は、美人ぞろいな港区幼稚園の専業主婦たちの中でも、ひときわ美貌を誇り、しかし気さくなふるまいで人望がある。早稲田の法学部卒で、ロースクールにも通っていたという才女だ。

不要なやっかみを避けるためなのか、まだ28歳であることや、妊娠して諦めていた司法試験に挑戦したいと思っていることは、あかりにしか話していないようだった。

「え!?そうなの?そういえば知樹くん、知能教室みたいなとこ、通ってたね…。凛子は早稲田だもんね、もしかして早稲田の小学校とか?」

「早実初等部は、遠すぎるよ!それに、受験するからにはトップに行かないとね」

「やっぱり慶應の幼稚舎受けるの?何がそんなにいいの?」

「そうね…選ばれた子ども同士が、家族にも等しい究極の幼馴染として育って、将来日本の特権階級で、お互い融通しあうのよ。この世の“フリーパス”を6歳にして手に入れるの」

この世のフリーパス…。そんなものがこの世にあるのなら、それをわが子に授けたいと思うのが親心だ。

「でも私が幼稚舎を素敵だなと思う理由は別にある。以前舎長のお話で、幼稚舎では、社会を肯定的に見られる子を育てるって言ってた。

自分の得意なことを伸ばし、本物の自信をつけると、友達のいいところも認められる子になれる。人への信頼と、社会に対する愛を育む学校だって」

あかりは、じっと凛子の顔を見た。深い自己肯定からくる、他人や世間に対する人懐こさ。それはいつも自分と他人を比較してきたあかりが、本当は長い間欲しかったものに思えた。

「…挑戦してみる?慶應幼稚舎」

凛子の真っ直ぐな瞳に、あかりは思わずうなずきそうになった。



別れたあとも、凛子の誘いの言葉が頭の中で何度もこだました。

ーお受験、かぁ…。

正直言って、港区に来てから、幼児教室の看板やチラシを目にする機会が格段に増えていた。

それでもそれを手に取らなかったのは、心のどこかで、自分には関係のないものにしておきたかったからかもしれない。

そこには、婚活をも超える、熾烈な女の闘いの気配があったから。

あかりは、広尾からの帰り道、いつもはむしろ目に入らないようにしていた慶應幼稚舎の前で、立ち止まった。

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次週、まさかこんな世界とは…! 何もしらないあかりの前に、慶應幼稚舎受験の掟が立ちはだかる!