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もくじ

ー あのひととF1を
ー 誠実さの問題
ー 今のフェラーリ
ー 当時を振り返る
ー F1界で最も好きな人物は
ー 番外編:父子鷹

解説者とF1を観戦する

10月の最終週、ルイス・ハミルトンがサーキット・オブ・ジ・アメリカズで行われたUSグランプリで勝利をおさめた。残り3レースを残して、今シーズンのF1チャンピオンの座はハミルトンとメルセデスでほぼ決まっている。

われわれAUTOCARの編集オフィスでは、残りのレース、特に最終戦のアブダビGPを盛り上げるには何が必要かを議論しているところだ。この原稿が公開される頃には結果が明らかになっていることだろう。

もちろん、編集部の中にもF1を見るくらいなら他の暇つぶしをした方がマシだと考えるものもいるが、そうでない人間もいる。誰ともなく「最終戦を楽しむ唯一の方法は、絶対に楽しませてくれる誰か、例えばマレー・ウォーカーみたいな人物と一緒にレースを観ることじゃないかな……」と言い出した。

素晴らしいアイデアだ。

このベテラン・コメンテーターは10年以上前にフルタイムのテレビ中継からは引退したかもしれないが、94歳にしてなお彼はセミリタイアの状態(単にわたしの思い込みかもしれないが)にあり、F1界で非常に敬愛されている人物でもある。多くのひとびとにとって、マレーの名は英語圏における最高のF1ファンを意味しているのだ。

マレーに連絡すると(ありがたいことに、以前会った際に彼自身がAUTOCAR読者であることを明かしてくれていた)、ニューフォレストとの境界にある森に囲まれた彼の自宅で、テレビのチャンネル4でF1観戦するには最適なレース当日の正午に、フォトグラファーのスタン・パピアーとわたしを迎えてくれることが直ぐに決まった。

マレーはまるで30歳の人間が用意した様なとても明解な説明をしてくれる。彼とやり取りをしていると、彼の生まれ持っての才能を思い出さずにはいられない。つまり、他人に気を遣わせないのだ。

「視聴者が思っているほど、レース中に興奮したり、中継画面に頼り切っているわけではないんだよ」と彼は教えてくれた。「できればただ静かに座って実況したいと思ってるんだが、『われわれの』レース中に喋ってはいけない理由なんかないからね……」

かつて彼が言っていたことを思いだした。

誠実さの問題

レース当日、ウォーカーはわれわれをあの有名な笑顔で迎え入れ、そして彼の長いキャリアを示すかのような、それほど多くはないが、みやげ物や貴重な品々で飾られた居心地の良い部屋へと案内してくれた。

わたしは前にもこの部屋へ足を踏み入れたことがあるが、ウォーカーはこういった飾り物にそれほど価値を見出すような人間ではない。それよりも彼にとっては、有名なオートバイ・レーサー兼エンジニアであり、コメンテーターでもあった父グラハム(別欄記事参照)がマン島TTレースで勝ち取ったメダルの方が重要だろう。

テレビはチャンネル4に合わせてある。なぜ有料放送のSkyではなくて無料放送なんだろう? マレーは「自分はとってもケチだからね」と冗談を言うが、実際には彼にとっては長年付き合いのあるプロデューサーであり友人でもあるマーク・ウィルキンがチャンネル4の中継を担当しているからだ。つまり、誠実さの問題であり、これがウォーカーの信条だ。

彼は昨日の予選ラウンドについて簡単に説明してくれたが、ささいな事柄までわたしなんかよりもよっぽど詳しい。ウォーカーはハッキリとフェラーリのベッテルが勝つことを望み(いわく、「F1には強いフェラーリが必要」とのことだ)、メルセデスのドライバーとの戦いに焦点を当てている(ボッタスはチャンピオン争いで2位になるためベッテルに勝ちたいはずだ)。

そしてルノーがコンストラクターズ・チャンピオンシップでトロ・ロッソとハースを上回る6位を確保して欲しいと言いつつ(ルノーはその投資に見合った成果を出す必要がある)、ダニエル・リカルドがドライバー・チャンピオンシップで4位を確保できるように十分なポイントをあげることを望んでいる。

ベン・エドワーズとデビッド・クルサードたちが解説をしている間に、マレーとわたしは昨日の予選結果の確認を終えたので、フェラーリに関する議論に話題は移った。

今のフェラーリ

ウォーカーは長年にわたって、この有名な赤いレーシングチームとの付き合いがある。彼は当時テクニカル・ディレクターだったロス・ブラウンに「ハッキネン・ツアー」と呼ばれていたフィオラノのレース拠点に連れて行かれた時のことを思い出す。

そこは本来部外者立ち入り禁止の場所だ。彼はエンツォ・フェラーリにも何度か会っており、有名な紫色のインクで「il Commendatore」とサインが入った本を誇らしげに飾っている。

話を今に戻すと、われわれは現在のマラネロの主であるセルジオ・マルキオンネが発した、もしF1に導入される新ルールがフェラーリにとって適切なものでなければ、この跳ね馬のチームをF1から撤退させるかもしれないというコメントの持つ影響について議論していた。

マレーはこの発言に懐疑的である。彼は「もし、マルキオンネがフェラーリをF1から撤退させたら、彼はイタリアにいられなくなるだろう?」と言う。

ウォーカーと話すのは貴重な体験だ。そして彼がどれほど大抵の有名人と違うかに気が付く。彼は相手が話し終えるまで、きちんとその話を聞くのだ。ウォーカーにはコメントを求められたとき用に蓄えられた膨大な話のストックがあるはずだが、一方で彼は他人の話すことにも興味を持っている。

彼の自尊心について聞いてみた。

「誰にもそれはあるんじゃないかな。わたしは長年に渡ってみんなに知ってもらえてとても光栄だけど、それは自分自身の力じゃなくてテレビのお陰なんだよ。ほかのひとたちと違うのは、ただテレビにたくさん出ているってことだけだ。テレビのスイッチを切ったらすぐに消せる存在だってことを忘れちゃいけない」。

レース開始が近づいてきた。

当時を振り返る

今までは寛いでいたが、ウォーカーは肘掛椅子の前へと乗り出して、しきりにテレビの中継画面を見ている。誰かが頭上に掲げた「Go, Go, GO!」のサインに気付いた。

わたしは広告マンとしてのウォーカーの素晴らしい経歴を思い出して(彼は数多くの名コピーを生み出し、アカウント・マネージャーとして有名なMarsチョコレート・バーの宣伝コピーを担当した)、あの有名なレース開始を告げる実況コメントは練りに練ったものだったのかと聞いてみた。

彼はそれを否定して「スティーブ、そんなことを気にしてる暇はないよ」と言った。

中継画面からの騒音が高まり、スタートを告げるライトが点灯すると、バルテリ・ボッタスがハミルトンをおさえて先頭で1コーナーへと突っ込み、コーナー出口では既に十分なリードを奪っていた。

ハミルトンはボッタスの数秒後に続いており、ベッテルはハミルトンの後ろだ。最初の数ラップ、ベッテルはペースを保っていたが、やがてタイムを落とし始めた。フェラーリのもうひとりのドライバーであるキミ・ライコネンに至っては更にタイムを失っている。

リカルドもそれほど大きく後れをとっていた訳ではないが、彼の望みはマシンの信頼性の無さによって潰えた。こんな状況もコメンテーターにとっては簡単に解説できるようになっている。昔は違ったとウォーカーは言う。電子計測が導入される前には、こういった状況を実況することは非常に難しかったのだ。

「常に解説でミスを犯すリスクがあったんだ」とウォーカーは説明する。

「自分じゃどうしようもできない画面の向こう側で起きることを上手く実況しようとしてた。昔は現場から映像で届くラップタイム・チャートを見つつ、実況しながら各車の動きを追って、自前のストップウォッチでタイム差を計ってたんだ」

「他車の動きを見てる間に先頭のクルマがコースアウトしたり、火が出たり、コース・マーシャルをいきなり殴ったりするような出来事がいきなり起こる可能性があった。もしテレビの前の世界中の視聴者に向けて喋っている間に、デレック・ワーウィックが素晴らしい走りで順位を上げていたのを実況し損なったら袋叩きにあうに違いないさ」

ウォーカーは彼の実況が時に彼独特の「マレーイズム」とでも呼ぶべきものを含んでいたことを認めているが、それを気にするようなことはなかったという。なぜなら彼はプロとして仕事を行っており、誰からも文句を言われたことなど無かったからだ。

F1界で最も好きな人物は

アブダビのレースは正直つまらなかった。「ハミルトンがボッタスの前に出ようとしているようには見えないし、ベッテルはハミルトンに追いつけないだろう」とウォーカーは言う。

「もうこれで最終順位が確定したようなものだよ。あとはハミルトンがチャンピオンのプライドを見せるかどうかだね」

レースは残り半分に入ったが、まだF1界の偉大な人物のひとり、ロン・デニス(「気難しい男だけど、彼と揉めたことは1度もないよ」とのことだ)について話すだけの時間はある。

ウォーカーはロン・デニスから1980年代の初め、シルバーストン・サーキットでフォードDFVエンジンを積んだマクラーレンMP 4/1Cを運転させてもらったそうだ。

「10周したけど(3周目にはピット・インのサインが出ていたらしい)、上手く走れたと思うよ。誰かにストレートでどの位までエンジンを回したかと聞かれたんで、10,000rpmだと答えたら、マクラーレンのドライバーだったジョン・ワトソンが241km/h以上出てたと計算してくれたんだ」

中継画面の中でボッタスがフィニッシュした時、わたしは最もくだらない質問をしていた。

長年のキャリアの中で、F1界で最も好きな人物は誰かというものだ。ウォーカーはしばらく考えていた。彼のコメンテーターとしてのキャリアを考えれば、こんなバカげた質問も含めて様々な問いを受けてきたに違いなく、上手くゴマかされるんじゃないかと思っていた。

しばらくして「ロス・ブラウン」と彼は答えた。

「彼を非常に尊敬してるよ。彼を眠たげなただの勿体ぶった年寄りだと思うかもしれないが、実際にはとても素晴らしい、極めて真っ当な人間だよ。そしてみんな彼のことが好きなんだ」

「フィオラノのツアーで忘れられないのは、みんながどれだけ彼のことを尊敬していたかっていうことだ。そしていま彼は厄介な仕事、つまりF1の将来を作り出そうとしてる(ロン・デニスは新たにモータースポーツ担当マネージング・ディレクターに就任している)。これができるのは彼しかいないんだよ」

番外編:父子鷹

デーモン・ヒル同様、マレー・ウォーカーも有名レーサーを父に持っている。

グラハム・ウォーカー(1896-1962)は第一次世界大戦をバイクの伝令兵として過ごし、戦時中に負った脚の怪我にも関わらず、リッジ、サンビームとノートンのワークスライダーとなった。マン島レースに数多く参戦し、1931年にはライトウェイトTTクラスでチャンピオンになっている。

レースキャリアを終えた後、彼は放送の世界に飛び込んだ。彼のラジオとテレビでのTTレース報道は、ライダー時代よりも更に彼を有名にした。

1949年からはひとり息子のマレーと共に中継を始め、マレーはそれ以来実況を続けている。