脳血管障害のうち、脳梗塞とは脳の血管が詰まって脳組織の一部が死んでしまう状態を指すが、必ずしも脳梗塞になったからといって症状が出るわけではない。とくに小さい脳梗塞(ラクナ梗塞)では、症状がないこともあるのだ。そして、知らないうちに何度も症状のない脳梗塞を起こしていたという人も少なくない。症状のない脳梗塞、それが、「隠れ脳梗塞」と呼ばれているものだ。
 この隠れ脳梗塞は、急激な障害を引き起こす脳卒中を発症するリスクが約4倍、認知症を発症するリスクは約2倍以上とも言われている。

 都内に住む飲食店従業員の田宮武さん(仮名=61歳)は、ある日、自宅で倒れ、脳梗塞と診断された。脳のMRIを診た担当医は驚いたという。
 「MRIの結果、脳の40%ぐらいが白くなっていました。これは脳動脈がやられてしまったからです。しかも、それまでに3度の脳梗塞を起こした痕跡があり、それが4度目だったことも判明しました。過去の分は自然治癒していましたが、いずれにせよ脳梗塞の症状があれば、もっと早く来てほしかった。4時間半以内であれば、血栓を溶かすのにrt-PA(アルテプラーゼ)という薬の投与が最も効果的とされ、重い症状が出ないまま帰宅することもできたのに、残念です」(担当医)
 この過去3回こそが、隠れ脳梗塞だった。

 田宮さんは、こう言う。
 「私が最初おかしいと思ったのは、10年ぐらい前です。滑舌が悪くなってしまい、どうも上手く舌が回らない。しかし、お酒が好きで、年中二日酔いですから、そのせいだと周囲も自分も思っていたんですよ。いま振り返ると、体調がおかしいと思ったのはそれだけではなく、その数年後にもあったんです」
 それは仕事中のことだった。手渡しで受け取った料理の入った皿を落としてしまったのだ。急に力が入らなくなってしまったのである。そんなことは経験したことがなかったが、その時も忙しさに紛れ、放置してしまった。

 田宮さんは仕事が終わると毎日のように仲間と酒を飲みに出掛けた。それが生きがいだった。しかも、カラオケも好きで歌がうまかった。ところが、ここ2年くらい前から、どうも声の出が悪くなった。
 「自分で言うのもなんですが、カラオケは高得点を取るくらいの美声だったんです。松山千春が好きで、何で俺はこんなに歌が上手いんだろうなんて思うほど。しかし、滑舌が悪くなるし、物を落としたり、声が出なくなる原因不明の症状に気持ちも沈んでいきました」
 そんなある日、突如として倒れ、通院するハメになってしまったのだ。

 受診時、担当医は「最近、咳が出たり、声が掠れたりしているでしょ」と、それまでの症状をぴたりと当てたという。
 「隠れ脳梗塞は、脳血管性認知症や、パーキンソン症候群の原因となります。田宮さんの場合、高血圧、高脂血症などで動脈硬化が進んでおり、あのまま放置すれば認知症に進行する恐れがありました。残った動脈を大切にして、生活習慣の改善に努めなければいけません」(前出・担当医)
 田宮さんは愕然としたが、今となっては後悔先に立たずである。

 世田谷井上病院の井上毅一理事長は、こう説明する。
 「隠れ脳梗塞は微小な脳梗塞が起こる疾患で、高血圧が主な原因です。そのままにしておくと、重い脳梗塞へと進行してしまう可能性もある。重篤な脳梗塞を引き起こす一歩前の状態である隠れ脳梗塞の恐ろしい点は、自覚症状がないことです。また、たとえ症状があっても、普通は短時間で回復してしまい、重大な問題だと考えられていないことです。そのため、放置されることが多く、重い脳梗塞に移行する場合が多いと言われるのです」

 田宮さんの担当医は、こう注意を促す。