年明け早々の北朝鮮によるアメリカを挑発する発言等により、今なお緊張状態が続く米朝関係。そんな中、北は韓国には急接近し、平昌(ピョンチャン)冬季五輪への参加も表明しました。しかしそこには裏の理由もあるようで…。無料メルマガ『キムチパワー』の韓国在住日本人著者が、脱北兵士(帰順兵士)のインタビューを詳しく紹介しています。

北朝鮮の現状(帰順兵士の証言)

2017年11月にメルマガでお送りしたオ・チョンソン兵士は現在も元気で治療と韓国への順応過程を営んでいるようだ。彼より「5か月先輩」の帰順兵士がいる。仮にA氏とする。20代前半の青年である。今回のメルマガは、このA氏のインタビュー記事(SBS)を読んでの要約と感想である。

北朝鮮軍の70%は帰順(南に亡命)を希望している

希望しながらなぜそれが実行できないのか。最初の恐怖は非武装地帯の「地雷」だ。非武装地帯は「地雷畑」と呼ばれるほど地雷が多い。特に軍事境界線の北側に多くの地雷が埋設されているものと推定されている。A氏もこの地雷のため、何度も脱北を躊躇したという。

二番目の恐怖は、北朝鮮側に残っている家族に対する北朝鮮政権の報復だ。金正恩(キム・ジョンウン)政権が軍人の脱北の事実が民間に広がることを非常に警戒するため、たとえ兵士が亡命しても、その家族を公開的に処罰するものではないということだ。

最後の恐怖は、北朝鮮軍の「追跡班」に対する心配だ。北朝鮮軍の最前方監視警戒所で勤務に立つ「追跡班」の兵士らは、北朝鮮軍兵士の中でも身長が高く、訓練がよくできている精鋭兵士たちだ。脱北過程で、同僚らに射殺されるかもしれないという不安が亡命しようと考えている北朝鮮兵士らの足を引っ張るのである。それにもかかわらず脱北は絶えず続いてきたという。

2013年からA氏が亡命した2017年6月13日まで、中部戦線で脱北を試みて命を失った北朝鮮軍人は計13人。A氏は、亡命を試みたが地雷を踏んで亡くなった兵士の死体を収拾したことがあるそうだが、その姿があまりにも悲惨でおどろおどろしいものだったと回想した。北朝鮮軍参謀部では、その日の事件・事故を常に兵士たちに伝播し、警告メッセージを与える。

「参謀部から伝える。今日は歩兵数軍団から脱走者が出た。乗り越えようとして捕まえられて死亡した。君らもまじめに勤務せよ。こうならないように」

その話を聞いた瞬間、ぞっとします。どのように死んだんだろうか。「地雷を踏んで死んだ」と。

「北朝鮮政権に期待することはない」

A氏が本格的に亡命を考えるようになったのは、2012年以降だったという。2012年は、金正恩が政権を取った年。最初は期待感もあった。金正恩治下では全て豊かになるという話も流れた。A氏も一時はこの言葉を固く信じていた。新しい指導者の若々しい覇気と穏やかな微笑に希望をかけたそうだ。しかし、現実は180度違っていた。

「2012年になると全て豊かになるといったのに、2012年になっても、あまりにも情けなくて…」

金正恩政権の各種不正腐敗を知ったのもA氏の亡命に一役かった。無慈悲な内部粛清や党の不正に対する内密な情報は主に対北朝鮮チラシを通じて分かるようになったという。北朝鮮に向けて飛ばされる風船に込められたチラシや、中国から密かに入ってくるUSBメモリに金正恩政権の実態を把握できる資料がたくさん入っていた。対北朝鮮向けの風船は思ったより遠くまで移動してゆき、平壌はもちろん最近では咸鏡道まで行く場合もあるという。結局、A氏が下した結論は、金正恩政権には、希望がないということだった。

「北朝鮮体制に対する不確実性。韓国社会に対する憧れもあったが、それより重要なのは生活しながらこれ以上北朝鮮体制に望めることはない。今の政権がやっていることは正しくない。長くは持たない。この政権のために青春を捧げるのは嫌だ。新しく始めてみよう」。それで亡命を決意するようになった。

テ・ヨンホ公使亡命の知らせに亡命する心を固める

北朝鮮政権に失望したA氏が亡命する心を固めたのは、韓国軍の対北朝鮮拡声器放送を通じて聞こえてくるテ・ヨンホ公使の亡命の知らせに接してからだ。2016年8月、テ・ヨンホ元英国駐在の北朝鮮大使館公使は家族とともに大韓民国に亡命した。当時、テ公使はCNNとのインタビューで「私の息子は私のような生活を送ることにさせたくなかった」と亡命の理由を説明した。そして、「亡命するぞという決心を話すと、息子たちがすごく喜び、自由を得るようになったのを本当にありがたく思っていた」と明らかにした。

A氏はテ公使のような最高位層の知識人が亡命をするには、それなりの理由があると思ったと語る。

「一般の外交官であって北朝鮮では高位層だが、公使は、大使館で責任を負う人間だ。最高位層である。そんな人たちは、北朝鮮で自由を得て完全に遊んでばかりいられる職業だといっても過言ではない。ところでそんな人が北朝鮮体制につばを吐き転じるのには、それだけの理由があるじゃないですか。そのため最終的に決心してテ・ヨンホ公使の亡命の知らせを聞いた一週間後に北朝鮮を脱出しました」

金正恩の話「党が平和条約を結んでも軍は戦いを準備せよ」

北朝鮮の平昌(ピョンチャン)冬季五輪の参加についてどう思うかA氏に聞くと、UNを筆頭に、世界各国が対北朝鮮制裁の水位を高めながら、北朝鮮が守勢に追い込まれたため、打開策の一環として、五輪参加カードを取り出したのだと分析した。平和のメッセージを伝えるふりをしながら、後ろでは挑発計画を立てているとA氏は主張する。

「北朝鮮軍。2015年に、金正恩のメッセージが出た。『党が敵(韓国)と交流をしていようがいかなる和平条約を締結することになろうが、軍は一切気にするな。軍の任務はただ戦うことのみ。祖国統一の偉業だ。戦う準備に拍車をかけ命令を下せば一気に韓国をやっつけられるよう戦う準備だけせよ』と」

かつて米国の第35代大統領ケネディは「戦争準備をしておかなくては平和も準備できない」と言ったのは、残念ながら事実。平和への道はそれほど険しく困難な道だとA氏は語る。

以下は筆者の考え。

韓国は、北朝鮮のご機嫌を伺いながらの交渉をすすめている。女子アイスホッケーの南北合同チームの案が決まった。南の人たちはかなり悲しんでいる。出場できなくなる選手が出てくるからだ。また、入場と退場のときに、それぞれの国旗ではなく、朝鮮半島旗(水色の)を掲げてのことになることが決まった。反対している韓国の人は多い。A氏の発言にもあるように、北は平和カードをちらつかせながら裏では戦闘準備に余念がない。もちろん、韓国の政治・軍事の人々がこれを知らないはずもないが、北の言い分ばかりを受け入れて知らぬ間に北ムードのままにならないようにすべきであろう。

A氏は、北朝鮮にいるときからコンピュータを扱うことができ、好きだった。ために、帰順した今は、大学に行ってIT技術を真剣に学んでみたいと語る。20代青年の純粋な情熱は、この南朝鮮(=韓国)で大きく花を咲かせることだろう。

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