2017年、ベイエリアニュースグループ(Bay Area News Group)のエグゼクティブエディター、ニール・チェイス氏は、同社が運営するマーキュリーニュース(The Mercury News)のスタッフにプラスチック製のじょうごをプレゼントした。このじょうごの表面には、「認知、エンゲージメント、登録、サブスクリプション」と書かれていた。当時、マーキュリーニュースは新しいメーター制課金の導入を控えていたが、チェイス氏は同社が有料購読者の獲得に注力できていないと感じていたのだ。だがどうやら、このメッセージは十分に浸透したようだ。チェイス氏は最近になって、同社がその月にもっとも多くのリーチを獲得したという話をふたりの人物から聞いたという。

「彼らはどちらも、ファネルの上層を狙えるようになったと主張していた」と、チェイス氏は述べている。

これは間違いなく転換点だ。いまから10年前、記事へのアクセスを制限するというアイデアはニュース編集から忌み嫌われていた。当時はトラフィックの最大化を目指す広告モデルが信奉されていたのだ。ニューヨーク・タイムズ(The New York Times)は、このような考え方に対抗するため、2005年に「タイムズセレクト(TimesSelect)」を立ち上げて、有料会員だけがコラムにアクセスできるようにした。その後、2011年にはサイト全体にペイウォールを拡大している。

「(ペイウォールが)当社の影響力やリーチに深刻な影響をもたらし、ニューヨーク・タイムズの名声を大きく損なうのではないかと懸念する人がたくさんいた」と、同社の副編集長、クリフ・レビー氏はペイウォールの導入について振り返った。「我々の取り組みは大胆なものだった。ペイウォールを積極的に支持している人でさえ不安を口にしていた」。

それ以来、ペイウォールの採用は加速している。広告だけではデジタルニュースが成り立たないことをパブリッシャーが認識したからだ。また、購読者が増えれば不安もなくなる。米国のニュースメディアで、読者から利益を上げるプログラムを導入していないパブリッシャーを見つけるのは難しい。ニューヨーク・タイムズでは、ペイウォールの導入以来、無料でアクセスできる記事の数を1カ月に20本から5本へと減らすとともに、ペイウォールを迂回することを難しくしてきた。いまでは、広告より多くの収益を読者から得ている

「世界は劇的な変化を遂げてきた」と、チェイス氏はいう。彼は実際にその変化を体験している。タイムズセレクトの導入時、チェイス氏はニューヨーク・タイムズで働いていたのだ。同紙は2007年にタイムズセレクトを廃止したが、2年間で獲得できた購読者数はわずか22万1000人だった。「いまの人々は以前と比べてこのビジネスモデルに慣れている。大量のオーディエンスにリーチできるほど十分な購読者がいるのだ」。

考え方は変化の途上



とはいえ、この変化はまだ続いている最中だ。自分の書いた記事をできるだけ多くのオーディエンスに読んでもらいたいと考えるジャーナリストのあいだでは、まだ偏見が残っている。

「私は去年まで記者をしており、記者としてペイウォールというアイデアを嫌っていた」と、アトランティック(The Atlantic)で編集長を務めるジェフリー・ゴールドバーグ氏はいう。「人々がペイウォールに囲まれているのだという考えが、私に大きな苦痛をもたらしていた。それに何年も前から、ペイウォールの外に人々がいることを残念に思っている。あまりに強固な壁を築いているために、同じような成功が望めないメディアもある。そのようなメディアの記者は、読者に飢えているだろう」。

ペイウォールを設けているパブリッシャーで働く記者のなかには、ペイウォールの存在を受け入れ、記事には対価が支払われるべきだという考え方を認めているという人たちもいる。そんな彼らでも、重要な記事がペイウォールの裏側に隠れてしまうことには苛立ちを感じるようだ。「ペイウォールから外に出て、より多くの人にリーチしたいと考える編集者も当然いる」と、ウォールストリート・ジャーナル(The Wall Street Journal)の元記者は打ち明けた。

だが、ゴールドバーグ氏の考え方は、アトランティックとともに変化している。同社はデジタルペイウォールの導入をはじめており、2017年には熱心な読者向けの有料会員プログラムを開始した。

「若いジャーナリストや20代のスタッフに尋ねてみると、昔のような抵抗感はないようだ。記事にお金を払う人はいないので、記事を見てもらえなくなるといった、お決まりの考え方はみられない」と、ゴールドバーグ氏は述べている。

読者から収益を得る仕組みを当初から構築していたパブリッシャーにとって、ペイウォールは馴染みのないものではない。ボストン・グローブ・メディア・パートナーズ(Boston Globe Media Partners)が2年前に運営をはじめた医学・健康関係ニュースサイトのスタット(Stat)では、どのような種類の記事が年間299ドル(約3万3000円)という購読料の獲得に役立つかをニュース編集室が常に考えている。

「『君が購読者を増やしてくれた』と、思わず記者に言ってしまうことがある」と、スタットの編集長、リック・バーク氏はいう。「我々はいま、新しい世界におり、記者たちはこの世界を気に入っている。私が『読者が購読してくれるからこの記事を書きなさい』などということはない。記者たちには、数字にとらわれることなく、自分たちが行っている仕事の質について考えてもらう必要がある。ただし、我々はデータを見て、どの記事がもっとも人気があるのかを確認している」。

その後に起こる測定の問題



ただし、パブリッシャーが有料購読者の獲得にますます注力するにつれて、測定の問題が出てくることは避けられない。ニュース編集室は、もっとも訪問者が多かった記事を調べて最適化を行っていたのと同じように、どの記事が人々を購読したい気持ちにさせるのかを調べようとしている。

「パブリッシャーは有料購読の価値を評価するための基準を設け、どのような記事が購読を促し、高い収益率を上げるのかを注意深く観察している」と、ウォールストリート・ジャーナルの元発行人で、ニュース・ガード(The News Guard)の共同創設者でもあるゴードン・クロビッツ氏はいう。同社は、検索プラットフォームやソーシャルメディアプラットフォームのためにニュース記事の評価を行うために設立された新興企業だ。「私の知っているあるニュース編集室は、ごく少数の人たちの関心を多く集めるような記事を投稿する傾向がある。そのような場合の測定基準はエンゲージメントだ」。

測定可能なものは実行できるという言葉があるが、購読者の獲得を目指した最適化が予想外の好まぬ結果を招くことはないのかという疑問が残る。また、購読者の獲得に貢献しなければいけないという無言のプレッシャーがすでに生まれている。ただし、トラフィックの増加を求める以前のプレッシャーに比べれば、まだましかもしれない。

クロビッツ氏によれば、有料購読のデータが誤って使われる心配はないという。経験豊富なパブリッシャーはデータの利用法をよくわかっているからだ。ニュースを最適化するにあたっては、トラフィックの拡大だけを目指すのではなく、エンゲージメントの向上を目指すべきだと同氏は考えている。彼が注目しているのは、それよりも大きな問題だ。ニュース編集室ではデータサイエンティストが不足しているため、情報を入手するのがそもそも難しいという。

ただし、どの記事が有料購読者の獲得に貢献しているのかを示すデータについては、トラフィックのデータと同じような状況がみられる。そのデータを記者たちに公開すべきかどうか、ニュースパブリッシャーの幹部たちのあいだで意見が分かれているのだ。ニューヨーク・タイムズでは、全体としてどのような要因が人々の購読を促しているのかについて高度な分析を行っていると、レビー氏はいう(コンテンツの多様さもひとつの要素だ)。だが、購読に結び付く可能性が高いのはどの記事かといった情報まで記者に伝えることには及び腰だ。

「記者がどのような情報をどのように捉えるのかを考えれば、『君が書いたこの記事は購読者の増加に貢献したよ』などと記者に伝えることが役に立つとは思わない」と、レビー氏はいう。「記者が混乱し、『いままでと違うように記事を書くべきでしょうか』となることを懸念している。ひとつの記事からその場限りの結論を導き出すようなことはしたくない」。

一方、チェイス氏の見方は少し異なっている。「私たちはみんなにこう言っている。『我々はビジネスの側にいる人間なんだ』と。いまのジャーナリストは、自分でフィールドに記事を入力し、自分で見出しを付けている。プロセスのあらゆる段階に以前より深く関わっているのだ。企業が社員に情報をひた隠しにする時代はすでに終わっている」。

Lucia Moses(原文 / 訳:ガリレオ)