通常国会の開幕を前に進められていた、希望の党と民進党の統一会派の話し合いは不調に終わった。安保法制や憲法をめぐって希望の党が譲歩したが、土壇場で民進党から異論が噴出して白紙撤回された。民進党がいまだに「安保法制は違憲だ」という公式見解を守っているからだ。

 昨年(2017年)、希望の党が民進党を吸収合併したのも安保や憲法をめぐる民進党内の対立が原因だったが、希望の党の中にも「安保法制は違憲だ」というグループができた。絶対少数の野党がどんな方針をとろうが、すでに成立した安保法制を変えることはできないのに、なぜこんなゴタゴタがいつまでも続くのだろうか。

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「立憲主義」という偽の争点

 民進党では社会党からの流れをくむ左派が「護憲」を唱える一方、民主党政権で日米同盟の現実を知った右派は、憲法や安全保障について柔軟な方針をとろうとしていた。ところが2015年の「安保国会」で流れが変わった。

 このとき自民党の失態で憲法審査会の参考人が全員、安保法制を違憲としたため、「立憲主義を守れ」というデモが始まり、国会でも「個別的自衛権は合憲だが集団的自衛権は違憲だ」という奇妙な論理で、野党がまとまってしまった。

 これは偽の争点である。憲法に個別的自衛権と集団的自衛権の区別はなく、日米安保条約は前文で「両国が国際連合憲章に定める個別的又は集団的自衛の固有の権利を有している」ことを確認している。「集団的自衛権は保持するが行使できない」とした1972年の政府見解は政治的な妥協の産物で、日本語としても成り立たない。

 こんな無意味な解釈論が、いつまでも与野党の(そして野党内の)対立の原因になるのはなぜだろうか。1つの答は、憲法9条に絶対的な価値を見出す「固定客」がいることだが、もう1つの答は野党に憲法以外の結集軸がないことだ。

 経済政策では安倍政権は財政拡大と金融緩和を進める「大きな政府」で、世界的にみると社会民主主義に近い。教育無償化も消費税の増税延期も、野党の反対できないバラマキ福祉だ。安保・憲法で歩み寄ると、野党には独自の政策が何もない。立憲主義を捨てると、野党には存在意義がなくなるのだ。

「安保反対」が運命の分かれ道

 万年野党は日本の特徴である。野党がこれほど無力な国は、先進国では珍しい。その原因をたどると、占領時代にさかのぼる。1946年に占領軍は日本に憲法を押しつけ、第9条で武装解除した。それ自体は占領統治の一環として当然で、西ドイツも1949年の基本法(暫定的な憲法)で軍備を放棄した。

 このころ野党が「平和主義」を掲げたのも西ドイツと同じだが、その後が大きく分かれた。西ドイツのアデナウアー首相は1955年にNATO(北大西洋条約機構)に加盟し、56年には基本法を改正して再軍備した。ところが日本では1951年に独立するとき、吉田茂首相は講和条約とセットで憲法を改正して再軍備するようアメリカから求められたが拒否した。

 彼は国力が回復してから憲法を改正すればよいと考えたようだが、結果的にはこのときが最初で最後のチャンスだった。その後は保守合同のあとも自民党は、発議に必要な両院の3分の2を一度も取れなかった。

 それでも野党が協力すれば、憲法改正は可能だった。西ドイツでも社会民主党(SPD)は東西の緊張の激化の中で空想的平和主義を撤回し、基本法の改正に賛成した。日本でも社会党の中には憲法改正派がいたが、50年代の「全面講和」論争で護憲に傾いた。

 最大の岐路は60年安保だった。各地で米軍基地反対闘争が盛り上がり、その元凶は不平等な安保条約だという反対運動になった。社会党も最初は「安保条約を改正せよ」と主張したが、そのうち条約そのものを破棄せよという極左派(全学連など)の勢いが強くなり、「安保反対」という意味不明なスローガンになった。

 これは1960年5月19日の「強行採決」に反対するというデモになり、知識人や学生も含めた大規模なデモが国会を包囲して、岸信介首相を退陣に追い込んだ。このアデナウアーと岸の運命が、西ドイツと日本の分かれ道だった。

 西ドイツは再軍備し、アメリカの核兵器をドイツ空軍機が搭載できる「核の共有」で実質的に核武装した。これに対して日本は「憲法の制約」がいつまでも残り、核武装はおろか「核持ち込み」さえ許されなかった。

憲法9条という「保育器」の中で育った野党

 憲法改正を「凍結」したまま、解釈改憲でなし崩しに再軍備を進めるのが、池田勇人首相以降の自民党の現実主義だった。他方、安保闘争を「大衆運動の勝利」と勘違いした社会党は「護憲」を掲げた。

 このように憲法を争点に掲げたことが左翼の敗因だった。日本以外の先進国では、左翼(社民)の目玉政策は福祉や社会保障である。日本でも70年代の革新自治体はバラマキ福祉でローカルな政権交代を実現したが、社会党のスローガンは「非武装中立」だった。

 これは「自衛隊も安保条約も憲法違反だから廃止しろ」という、ある意味では正しい憲法解釈だが、現実にそれが不可能であることは、彼らも知っていた。間違えて1994年に政権を取った社会党の村山富市首相は、自衛隊も安保もすぐ容認した。

 彼らがそういう主張を続けたのは、社会党が総選挙に過半数の候補者も立てない万年野党に徹したからだ。解釈改憲のグレーな自民党に対して、社会党は真っ白な「正義の党」として一定の支持を集めたが、それは決して国民の過半数には届かなかった。

 万年野党の原因は中選挙区制にあると考えた人々は、1990年代に政治改革で小選挙区制にしたが、野党は変わらなかった。他方でドイツは比例代表制でも、野党が成長して政権交代を実現した。

 野党の成長を阻んできたのは選挙制度ではなく、憲法9条という「保育器」だった。アメリカは日本を守る「強い父親」だが、日本に父親を守る義務はない。そのカプセルは心地よく、自民党もそれを守ってきた。

 しかし戦後日本の長すぎた幼年期は終わった。このままでは野党は、かつての社会党と同じ道をたどるだろう。その末裔である社民党は国会議員4人のミニ政党になり、党首選挙の立候補者もいなくなった。

 安倍首相は祖父の宿願だった憲法改正を「解凍」したが、状況は50年前とはまったく違う。野党も保育器を出て、大人になるときだ。安保反対などという偽の争点で、政権を倒すことも交代することもできない。それは野党の不幸ではなく、日本国民の不幸である。

筆者:池田 信夫