枡野俊明『近すぎず、遠すぎず。 他人に振り回されない人付き合いの極意』(KADOKAWA)

写真拡大

だれにも「相性の悪い相手」はいます。どのように対応すればいいのでしょうか。「ニューズウィーク日本版」の「世界が尊敬する日本人100人」にも選出された僧侶の枡野俊明氏は、「必要なのは、『相手を変えようとしない』というスタンス」「どうにもならないことは放っておけばいい」と説きます――。

■誰もが知らないうちに相手を変えようとしている

人間関係には、相手に対してとるべき基本的なスタンスがあるように思います。結論を先にいえば、「相手を変えようとしない」ということ。このスタンスをしっかり踏まえていないと、関係がうまく続くことはないでしょう。

「そんなこと、わかっています。相手を変えようなんて思っていません」

おそらく、あなたはそう言いたいはずです。ところが、実際には随所で変えようとしているのです。たとえば、こんな会話をしたことはありませんか?

「うちの課長、もう少し部下に仕事をまかせてくれないかな。いちいち口うるさくて、やりづらいですよね」

「まったくですね。部下を信頼するのも上司の仕事だと私は思うのですが……」

何にでも自分がかかわりたがる上司はいるものです。それが部下の仕事をやりにくくしているということも、実際にあるのでしょう。ですから、いまあげたような会話も飛び交うことになります。

■変えようと思うからギクシャクする

ここで考えてみてください。「部下に仕事をまかせてくれないかな」というのは、上司を「仕事をまかせてくれる人」に変えようとしているのではありませんか。少なくとも、変わってほしいと思っているわけです。

しかし、どんなに自分が願っても、望んでも、他人を変えることはできません。そのできないことをしようとするから、ギクシャクした人間関係になってしまうのです。

このケースでいえば、上司を信頼しなくなる、指示を聞かないようになる、仕事で手を抜き始める……といったことが起こるかもしれません。どれもが上司との関係を悪化させる要素でしょう。では、その根本的な原因は何でしょうか。

答えは、上司に変わってほしいと望んだことであり、つまりは「変えようとした」ことではありませんか。

人間には、自分の努力ではどうにもできないことがあり、それは誰もが経験していることではないでしょうか。

今までに思いを寄せた異性が一人もいないという人は、まずいないでしょう。

さて、そのとき、自分がどれほど相手を思い、相手に自分のほうを振り向いてほしいと願っても、相手にその気がなければ、どうにもならなかったのではありませんか。恋心、愛はもっとも強い情感といえますが、それをもってしても、他人を変えることはできないのです。

その結果、相手をうらんだり、憎んだりすることになります。もちろん、その根本的な要因も、相手を「変えようとした」ことにあるわけです。

■どうにもならないことは「放っておく」

禅では、どうにもならないことをどうにかしようとするところに「苦しみ」が生まれるとしています。相手を変えることは、そのどうにもならないことの最たる例なのです。

どうにもならないことは「放っておく」。それが禅の考え方です。人間関係においても、そこが基本となります。変えられないのですから、変えようとなどしない。それが放っておくということです。

変えようとすれば、相手が変わらないことに苛立ったり、腹立たしくなったりすることがあると思いますし、それがストレスにもなるでしょう。しかし、放っておけば、心が騒ぐことも、気持ちが煩わされることもありません。

そして、それまでとは違った距離感で付き合うことができます。すなわち、距離を充分にとって、割り切った関係が保てるのです。先の上司の例でいえば、何かと仕事に口出しをされても、聞き流せるのではないでしょうか。

どんな相手に対しても、変えようとしないというスタンスは堅持です。そうすることで、あらゆる人間関係は目に見えてシンプルになりますし、風通しのよいものにもなるのです。

■他人を理解しようとしすぎない

人付き合いでは、お互いに相手を理解しようとつとめます。しかし、どんなに親しい間柄であっても、相手は他人ですから、理解できる範囲にはおのずと限界があることは知っておかなければいけません。

ところが、現実にはそのことを忘れてしまうことが少なくないのです。たとえば、恋の渦中にいる男女は錯覚に陥りやすいといえます。

「彼は私のことをすべてわかってくれている。私も彼のことを完全に理解している」

たしかに、本人はそう思っているのでしょう。しかし、生まれた場所も、育った環境も、受けた教育も、付き合ってきた人たちも違う人間どうしが、完全に理解し合うことなどできるはずがないのです。

■あなたの理解は思い込みではありませんか?

理解しているというのは思い込み、錯覚でしかありません。しかも、恋愛中は相手に合わせようとする意識が働きます。一緒に食事をする場合でも、ほんとうは自分が和食派でも、相手がイタリアン好きなら、レストランでの食事が多くなったりする。そこでこんな思い込みが生まれるわけです。

「彼もイタリアンが好きなのね。食事の好みが同じでよかった」

デートにしても、いつも街に繰り出しているからといって、相手が“行動派”とはかぎりません。こちらに合わせてくれているだけで、実は部屋でのんびり過ごすことが好きということだってあるのです。行動派と“理解”するのは思い込みです。

そうして、「そんな人だとは思わなかった」というお決まりのフレーズが登場するわけです。

しかし、非は一方的に相手にあるわけではありません。思い込みを理解と勘違いした自分の非をこそ、きちんと受けとめるべきでしょう。

繰り返しになりますが、他人を理解することには限界がある、理解には勘違いが起きやすい、ということを胸に置いておきましょう。そうであれば、“理解”とは違う相手の実像があきらかになっても、柔軟に受けとめることができます。

「理解していた彼とは違ったけれど、それは当然ね。これからはそういう彼の新しい一面も大切に受けとめて付き合っていこう」

同じ出来事でも解釈が変わります。そのようにして、少しずつ相手に対する正しい理解を積み上げていく。これは、恋愛関係にとどまらず、個人的な人間関係すべてに共通する、有効なメソッドといえます。

----------

枡野 俊明(ますの・しゅんみょう)
「禅の庭」庭園デザイナー、僧侶
1953年、神奈川県生まれ。大学卒業後、大本山總持寺で修行。禅の思想と日本の伝統文化に根ざした「禅の庭」の創作活動を行い、国内外から高い評価を得る。芸術選奨文部大臣(当時)新人賞を庭園デザイナーとして初受賞。ドイツ連邦共和国功労勲章功労十字小綬章を受賞。2006年、「ニューズウィーク日本版」にて「世界が尊敬する日本人100人」に選出される。曹洞宗徳雄山建功寺住職、多摩美術大学環境デザイン学科教授。著書に『スター・ウォーズ 禅の教え』(KADOKAWA)、『禅シンプル生活のすすめ』(三笠書房)などがある。

----------

(「禅の庭」庭園デザイナー、僧侶 枡野 俊明)