現在でも多くの人が「おやつ」という言葉を使っていますが、その源流を意識することは21世紀の日常生活では、ほとんどないように思います。

 今回は、そんな「常識の入れ替え」を考えてみたいと思います。

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インターネット23年

 1995年、インターネット元年と言われ、「IT革命」がしきりと標榜されたのがついこの間のように思いますが、2018年は、あれから23年が経過した計算になります。

 ということは、あのとき生まれた子供たちが、4年制の大学を出て新社会人になることも意味します。

 生まれたときからインターネットがある世代。これは「物心がついたときから」と言い換えれば、もう少し遡ることができるでしょう。

 1990年前後、あるいは大きくくくって「平成生まれ」は、分別がつくようになった頃には既にインターネットが存在し、社会は大きく情報化の度合いを高めていた。

 それによって得られた、様々な利便も確かにあります。

 と言うより今日の若者が手放すことができなくなってしまったスマートフォンなど、生活時間の大半を取られている。蚕食していると言ってもいいかもしれません。文化習俗は、1995年以前には想像だにできなかったものばかりになりました。

 1990年代前半は、いまだ「ポケットベル」が現役の通信機器として活躍「ベル友」などという言葉もありました。これが分かるのは、いまや40歳以上と年がバレてしまうはず。

 私も、当時のパートナーとのやり取りを公衆電話のプッシュホンからポケットベル向けに高速で打っていたのをよく覚えています。

 この時期以降、急速にコンテンツの内容も入れ替わっていきます。21世紀に入ると地上波がデジタル放送化し、ネットとテレビの垣根が急速に低くなり、やがて消えていきます。

 それまでもVHS録画などは存在しましたが、デジタルコンテンツとして番組が勝手にネット上をエージェントとして動き回るようになり、あまり目立ちませんが、様々な変化、規制や「忖度」もあったように思います。

 その1つは、いわゆる「伝統芸能」とされるものにスクリーニングがかけられるようになったこと。落語や講談、浪花節など、古くから伝わる外題の出し物には、様々な歴史的表現、しばしば差別表現を含むものが見られます。

 それらが放送局から送出される波で、新たに番組化されることが著しく減ったように感じます。

 私が地上波テレビ番組(「題名のない音楽会」)の制作にかかわっていたのは1999年までですので、しょせんは前世紀の遺物でしかありませんが、それは全盛期の遺物でもあって、問題とされ得る表現の回避は、当時から明確に存在していました。

消えていく言葉と常識たち

 作家・筒井康隆氏の断筆宣言(1993)とその解除(1996年末)などは、まさにその時期の出来事です。

 とはいえ、背景や事情は単純化できないと思いますが、平成に入り、特に21世紀になってから、「日本の伝統」は急速に若い世代の記憶の中に、そもそも存在しなくなっていった。これは間違いないと思います。

 この1年ほどの間に、20代前半の若者、大学生・大学院生などと交わして、全く通じなかった典型的な単語を列挙してみましょう

忠臣蔵
赤穂浪士
大石内蔵助

清水次郎長
大政小政
森の石松

黒駒勝蔵
荒陣山
座頭市

無法松
金色夜叉
照葉狂言

「三つ違いの兄さんと」
壷坂霊験記
八百屋お七

お軽勘平
203高地
肉弾三勇士

・・・

 完全に宇宙人の言語らしく、全くチンプンカンプンでした。いま50代以上の読者なら、少なくとも上に上げた過半数は、何を言っているか分かると思います。

 多くは歌舞伎や浄瑠璃その他で江戸時代から長らく庶民に親しまれたもの、「無法松」や「203高地」などは明治以降のプロットですが、戦後になっても松竹その他の映画で幾度も描かれ、庶民の娯楽として幅広く浸透していた、いわば日本人の常識だった。

 それが塗り替えられたのが「1995年〜の情報化」だったのではないか、と思うのです。

メディアと常識の塗り替え

 こうしたことは時代の必然の推移で、残念な面はあっても避けることはできません。例えば明治維新で世の中は文明開化だ、殖産興業・富国強兵だと大きく変化したように見えます。

 しかし、本当に変化したのはいつなのか?

 性を扱う特異な民俗学者、赤松啓介は、本当に日本の「根っこ」が変わったのは、第2次世界大戦後、農村にトラクターやコンバインなどの機械が導入され、共同体として一体の作業、田植えから稲刈りに至る、封建農村の基本的な生活基盤が必然性を失ったとき以降であるという、興味深い指摘をしています。

 赤松の指摘は、体験に裏づけられており、彼自身も実行していたと言うとおりに、それ以前の村には「夜這い」その他の雑婚習俗が当然のこととして存在しました。

 平たく言えば、集落単位での「乱交」ですね。それが「当然の常識」だった。いまでは考えられないことですが。

 いくら「教育勅語」などで表面的な倫理を言い募っても、庶民の本音は、生産基盤・・・赤松も依拠するマルクス経済学的に言えば典型的な「下部構造」と言うべきか・・・が変わらないかぎり、微動だにすることがなかった。

 それが、戦後の農地解放と機械化農業の普及で、人の生まれてから死ぬまでの一生のライフサイクルが完全に変化してしまった。そこから「常識」が根底的に変わっていったことを赤松は強く示唆します。

 そうやってみてみると

「1945年の変革」
「1995年の変革」

 と、50年に一度程度の頻度で、日本人の常識がごっそり入れ替わっているのに改めて気づかされます。

 同じことをどこまで当てはめられるか分かりませんが、1895年は「日清戦争大勝利」で、日本は覇権的な列強の一に加わる契機となった時期と言えますし、1845年の日本は弘化2年、直前が「天保の改革」の天保で、直後が黒船来航の「嘉永」ですから、やはり半世紀に一度、大きな変化があったと言えそうです。

 さて、冒頭に記した「おやつ」ですが、これは「八つ時」つまりお寺の鐘が8つ鳴って示される時刻を示しています。江戸時代、いや現実には、明治大正を経て昭和期までけっこう温存されていた、歴史的な時間の数え方を確認してみましょう。日本人は長らく

深夜0時頃  を暁9つ
早朝2時頃  を暁8つ
早朝4時頃  を暁7つ

早朝6時頃  を明6つ
午前8時頃  を朝5つ
午前10時頃  を朝4つ

正午頃    を昼9つ
午後2時頃  を昼8つ
午後4時頃  を昼7つ

夕方6時頃  を暮6つ
宵口8時頃  を夜5つ
夜10時頃   を夜4つ

 と呼んでいました。おやつは「昼の8つ時」に間食を食べたもので、現在の表現を使えば午後2時から午後4時頃にかけて、つまり「お3時」にいただくお茶やお菓子ということになる。

 今日の「合理的」な観点から見ると、なぜ9時から始まって4時で終わり、またいきなり9時に戻るのか・・・と思うかもしれません。

 が、これは、お寺の鐘の数と考えると、別の合理性に合点がいきます。

 つまり、鐘ひとつは「半時」を示し、鐘二つや三つは別の合図として用いられ、時刻を教える鐘=「時鐘」としての役割を明確に果たす鐘は 4つ以上という 間違いようのない数である必要性があった。

 江戸時代の寺社というのは寺社奉行支配のいわば役所で、過去帖という形で戸籍=人の出生と逝去を管理し、人頭税を徴収する単位機関でした。

 だから明治維新では「廃仏毀釈」としてお寺が徹底的に弾圧された。幕府の徴税機関=財源を破壊する必要が新政府にはありました。

 お寺はまた時間も管理していた。各家にゼンマイ式や振り子、電動などの時計という存在が一般化するのはよほど後のことです。

 学校や役所の始業、それから鉄道の普及、これが大きかったと想像されますが、何にせよ「日本人の常識」が変わって、国民に24時制が浸透していったものと思います。

 しかし、農村の時刻は歴史的に長らく、お寺の金の音で刻まれていました。

 落語の「時そば」で、そこつな男が

 「一つ、二つ、三つ、四つ、五つ、六つ、七つ、八つ・・・今なんどきでぃ?」

 と尋ねて、そばやのオヤジに

 「四つ」

 と答えられ、泣く泣く「五つ・・・」から数え直すというのは、成功したケースでは深夜0時を過ぎていたので「暁九つ=深夜0時台」だったのが、失敗例では「夜四つ=午後10時台」で、「四つ時」と「九つ時」が近接していることを誰もが知っていた当時の常識があって成立する笑い話でした。

 当時の人にとって、時刻とは、2時間程度の単位でおおらかに認識され、お寺の金が九つ鳴ったな、ということは日付が変わったわけか、そろそろ仕舞いとするか・・・という具合に認識活用されていた。

 事実、20世紀後半に演じられた、かなりの名人による「時そば」でも、蕎麦屋の返事が<四つ>ではなく<五つ>だったりするケースがあり、つまり常識そのものが入れ替わってしまったわけですね。

 いまや「草木も眠る丑三つ時」みたいな言い方も通用しなくなってしまいましたが、時代が変化しているわけで、ノスタルジーだけでものを言うべきではないでしょう。

 でも、ネットによる常識の入れ替わりが、日本をどこにつれて行くのか、私たちはまだ正確に予言することができません。

 しかし、かつてはかくも時間におおらかだった日本人が、世界に類例を見ない秒刻みの正確さで鉄道を運行する民族に変貌したのも、明治から昭和にかけての、比較的短い時期であったことが知られます。

 常識の総入れ替え、変化は新しい美点長所も作り出すことができる。

 願うらくは、それが、よりよい「新しい日本」を生み出すものであってほしいと思うのですが、不器用な米国人念頭にシステム設計された、一本指操作のスマートホンに過剰適応し、美点とすべき常識がからっきしなくなっていく若い世代を見てしまうと、あまり楽観的な予測は立てにくいような気もします。

 例えば、学生はもとより私の研究室を訪れる若い人などでも、平気で私の名前の漢字を間違えてくる率が、若年層では飛躍的に増えてしまいました。

 自動変換、手の書き文字が激減していることと明らかに相関があるように思っています。キーボードで音の読みをパチパチやるだけだから気がつかない。

 これが、一本指のスマホその他標準になると、どこまで退歩してしまうのか。子供の場合、脳の発達にも影響があるのではと、ある碩学の先生は心配していました。

 インターネット23年、新社会人が前提とする常識の「欠如部分」に、より上の世代は、注意を払うべきではないかと常々思いつつ、学生諸君などとつき合っている次第です。

筆者:伊東 乾