約1年半、20回にわたって続けてきた連載は、今回が最後になります。第1回は「自分の人生なのだからあなたが主役になりましょう」という記事でした。最初に取り上げたテーマだけあって、今でも皆さんに強くお伝えしたい内容です。

 今、私が同じくらいのパッションをもって伝えたいことは何か? と考えたら、「人生のミッションを見つけよう」でした。最後は、それをテーマに書こうと思います。これからの進路について迷っている人、今の仕事でいいのか、今の働き方でいいのかと悩んでいる方々に参考にしてもらえると幸いです。

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「生まれてきた意味」を考えてみる

 みなさんは「他人の人生の脇役」ではなく「自分の人生の主人公」として生きているでしょうか? 別の言葉で言い変えるなら、誰かの期待に添うことを判断基準にするのではなく、自分が「どうありたいか? 何をやりたいか?」を判断基準にしているでしょうか。

 自分自身の判断基準を持つのは簡単なことではありませんが、「親から言われたから」「世間の常識だから」という理由で行動するのではなく、「それってやりたいことなのか?」というフィルターをいちど通してみると、実行しやすいかもしれません。

 でも、「どうありたいか?」「何をやりたいか?」「どんな仕事をしたいのか」などが自分の中ではっきりしていない場合もあると思います。

 そんな時は、「自分の人生のミッションは何だろう?」と考えてみることをお勧めします。ミッションとは、「夢」や「目標」といったものとはちょっと異なる、いわゆる「生まれてきた意味」と言ってもいいかもしれません。

「人生にミッションなんてない。生物として生まれてきたこと自体に意味があり、生き続けることに意味があるのだ」という考え方もあります。確かにそれも真理だと思います。私自身もそうだと思っていた時期があります。でも、やっぱり、それ以上の意味を求めたくなるんですよね。

あなたを待っている「誰か」のために生きる

 そんなふうに悶々としていた時に、オーストリアの精神科医、ヴィクトール・E・フランクルの名著『夜と霧』を分かりやすく解説している本に出合いました(『夜と霧』はフランクルがナチス強制収容所での体験を基に書いた本です)。そして、その中に書いてあることに深く感銘を受けたのです(恥ずかしながら『夜と霧』自体からは読み取れなかったのですが)。

 その解説書にはこういうことが書かれていました。

 <フランクルは、「自分の幸福」を追い求める「自己中心の生き方」から、「人生の呼びかけ」に応えていく「意味と使命中心の生き方」へと、生き方を転換することを求めました。幸福も自己実現も、その結果、おのずと生じてくるものだと考えたのです。>

 それを読んで、私はこういうことだと理解しました。

 人間は、「生きる意味があるのか?」と自分から問いかけるのではなく、「問われている」存在である。その「問い」に常に全力で応えていくことで、自分の人生に与えられている使命(ミッション)を全うしていくべきなのだ──。「『今、ここ』に全力を注ぐ」と言い換えることもできるもしれません。

 その解説書によると、人生のミッションは「問い」に答えていくうちに自然に生まれ、果たされるもののようです。

 でも、前もって考えるのもアリなんじゃないかなあ、と私は思います。企業がミッションステートメントを作るように、個人もミッションを作ったらいいんじゃないでしょうか。自分は人生で何をしたいのか? だとしたら、今の仕事はミッションとどんな関係があるのか? 今の働き方は、ミッションに沿っているのか?

 ミッションを考える際は、「あなたを待っている“誰か”がいて、あなたを待っている“何か”がある。そして、その“何か”や“誰か”のためにあなたもできることがある」というフランクルの思想をベースにするとやりやすいのではないかと思います。

 たとえば私の場合ならば、ミッションは「(その人にとって)新しいことや困難なことに立ち向かおうとしている人の背中をそっと押す」「人が笑っている時間を増やす」でしょうか。

 仕事においても人生においても、自分が「誰に」「何に」待たれているのか、何ができるのか、ちょっと考えてみてはいかがでしょうか。

筆者:和気 香子