1月14日。初日を迎え、あいさつする日本相撲協会の八角理事長(中央、元横綱北勝海)(写真=時事通信フォト)

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1月14日、大相撲は初場所初日を迎えた。八角理事長は恒例の協会あいさつを行ったが、一連の不祥事に言及することはなかった。再発を根絶し、信頼を回復するには。なにが必要なのか。相撲協会は伝統に「あぐら」をかいているのではないか――。

■どうして貴乃花は口を閉ざしたままなのか

それにしてもよく分からない事件である。

元横綱日馬富士の暴行事件で、日本相撲協会が1月4日、臨時の評議員会を開いて元横綱の貴乃花親方の理事解任を全会一致で決めた。これで理事解任が正式決定した。

巡業部長として事件の報告を怠ったというが解任理由だというのだが、なぜ暴行事件が起きたのか、どうして貴乃花はかたくなに口を閉ざしたままなのか、端から見ていると、理解しがたいことだらけだ。

現在、大相撲は初場所の最中だ。1月14日の初日には、八角理事長(元横綱・北勝海)は恒例の協会あいさつを行ったが、一連の不祥事に言及することはなかった。こうした協会の体質について、新聞各紙の論じ方を比較してみたい。

■相撲界の「常識」は、世間の非常識

新聞各紙の大半は昨年12月28日に日本相撲協会が臨時理事会を開いて理事解任を決議した翌日付で、社説のテーマに取り上げて論じている。だが東京新聞だけは、日本相撲協会の臨時評議員会が理事解任を正式に決めた翌日の今年1月5日付掲載だった。

見出しは「伝統にあぐらかくな」。リード(前文)や本文の書き出し部分では「根底にある暴力許容などの古い体質は、今のままでは変わらないのではないか」「ようやく一つの区切りを迎えた。ただ、これはゴールではなくスタート地点に立っただけであることを、大相撲関係者はあらためて肝に銘じてもらいたい」と書いている。後から紹介する他紙にくらべて、非常に分かりやすい。

東京社説はたびたび相撲界の「常識」について疑問を呈している。

「日本相撲協会も、貴ノ岩の師匠である貴乃花親方が被害届を出したことを鳥取県警から伝えられた時に大ごとではないと判断し、県警の指示もあって即座に対応しなかった。一般社会の組織なら大問題となることでも、相撲界では『常識』と、とらえてしまうからだろう」

「(貴乃花親方は)協会の理事で巡業部長という立場にありながら、事件を協会に報告しなかった。協会の危機管理委員会の聴取で、県警に報告を依頼したから義務を果たしたと答えたというが、これも常識では考えられない」

昨年、プレジデントオンラインで「大相撲の世界に一般社会の常識は通じない」(12月6日付)と書いた。東京新聞の社説を読むと、その思いは強まるばかりである。

東京社説は後半で「今回の問題で浮かび上がったのは、いまだ暴力が横行する大相撲界の古い体質であり、運営母体である理事会の亀裂だ」と書き、最後に「伝統の上にあぐらをかかず、根底から改革する決断と実行を求めたい」と訴える。まったくその通りだと思う。

■「貴乃花親方の異様なまでに頑なな言動」

「貴乃花処分へ」というテーマに「敵対的な姿勢が混迷を深めた」との見出しを付けたのが、昨年12月29日付の読売新聞の社説である。

その冒頭で「被害者側の敵対的な姿勢の責任を厳しく問う、異例の事態である。組織内部の深刻な軋轢を象徴している」と指摘する。この指摘は理解できる。

だが、読売社説は「解任決議に至ったのは、貴乃花親方の異様なまでに頑なな言動を到底、看過できない、と判断したためだろう」と書き、事実上、相撲協会側の立場から貴乃花親方に“負け”を告げている。

分かりにくい書き方だ。納得がいかない。事件の真相に迫ろうとした書き手の心が伝わってこない。これだから社説は「おもしろくない」と非難されるのである。

■力士の意識改革でどうにかなる問題か

さらに読売社説はこうも書く。

「評議員会で解任が決まっても、貴乃花親方は、初場所後の理事選には立候補できるという。協会内のいざこざが、果たして沈静化するのか、見通せない」
「対立が繰り返されれば、ファンの目は一層厳しくなる。相撲協会のガバナンス(統治能力)の確立には、なお時間が必要だ」

社会常識の通じない角界にガバナンスを求めるのはかなりの時間がかかるのは当然だ。「問題を沈静化させない」などと書いているところに読売社説の問題があると思う。

なぜ、読売社説は東京社説のように「暴力が横行する大相撲界の古い体質や、運営母体の理事会の亀裂を改善すべきだ」と書けないのか。

最後に読売社説は次のように主張しているが、これも分かりにくい。

「何より大切なのは、力士一人一人の意識改革である。どのような理由があっても、暴力を振るえば引退に直結する。そのことを肝に銘じてもらいたい」

どうして角界の体質改善を求めず、力士個人にだけそれを求めるのか。問題は一般常識とかけ離れた相撲の世界の体質にあるはずだ。

■読売社説以上に分かりにくい毎日社説

読売社説以上に分かりにくいのは昨年12月29日付の毎日新聞の社説である。分かりにくいというよりも、的外れといった方がいいかもしれない。

「貴乃花親方処分めぐる議論」とテーマを付け、その見出しは「排外的な風潮が気になる」である。一体、どこが排外的なのか。毎日の社説は何を主張したいのだろうか。考え込んでしまう見出しである。

毎日社説はその前半部分から「気になるのは、この問題をめぐり、元横綱の暴力や貴乃花親方の態度とは無関係な排外的な議論が目に付くようになったことだ」と書き出す。

「九州場所千秋楽で、優勝した横綱・白鵬関が『うみを出し切る』と話し、観客に万歳三唱を促した頃から、こうした傾向が出始めた」
「貴乃花親方を擁護する意見とともに、ナショナリズムをあおるような声がインターネットを中心に広がっている。『相撲は日本の国技で、外国人は国技、神事が何たるかを理解していない』といったものだ」
「また、白鵬関に限らず、モンゴル人力士全体を否定する意見も見受けられるようになった」

■「ネット右翼」の問題を取り上げるのは的外れ

なるほど。毎日社説はナショナリズムをあおる風潮を問題視したいのか。ナショナリズムのどこがいけないのか。今回の問題はあくまでも、暴力を根絶できない角界の古い体質に由来する。そこにナショナリズムを持ち出すのは無理がある。

「ナショナリズムをあおるような声がインターネットを中心に広がっている」というのは、いわゆる「ネット右翼」の問題を取り上げたいのだろう。毎日社説の憂慮は理解するが、そこを社説で論じたいならテーマをもっと広く捉えて別の時期に論じるべきではないか。この書き方では論旨がぼやけてしまう。

毎日社説は「スポーツにおいてナショナリズムがファンを高揚させる一面を持つことは否定しないが、今の風潮には危うさを感じざるを得ない」とも指摘するが、危うさを感じるのならば、今回の角界の問題から距離をおいて、腰を据えて論じるべきだった。

(ジャーナリスト 沙鴎 一歩 写真=時事通信フォト)