「デレステ」でおなじみ、アイドルマスター シンデレラガールズ スターライトステージ(写真:バンダイナムコエンターテインメント提供)

モーニング娘。のメジャーデビューから今年でちょうど20年、AKB48も2005年のデビューから10年以上が経ち、「アイドルグループ」というジャンルはすっかり世間に定着した。その流れは「2次元」の世界でも同じ。アニメやゲームなど、幅広い分野でアイドルグループを取り扱ったコンテンツが出現し、一大経済圏を形成している。

その筆頭が「アイドルマスター(アイマス)」だ。2005年にゲームセンター向けのアーケードゲームとして始まり、現在はアニメやスマホゲーム、ライブまで幅広く展開、各分野でヒットを飛ばしている。

元SMAP・中居くん出演CMでおなじみの「デレステ」

たとえば、2015年に配信したスマホゲーム『アイドルマスター シンデレラガールズ スターライトステージ(通称デレステ)』は2000万以上のダウンロード数を記録し、2017年1月からの約9カ月間における課金額は226億円に上る(課金額は『ファミ通モバイルゲーム白書 2018』による推計値)。

ライブの人気も高い。声優が自ら作中のキャラクターに扮して歌って踊るスタイルが特徴で、2017年に行った全国ライブでは7カ所14公演で延べ35万人以上の観客を動員した。

アイマス最大の特徴は「プレーヤーがアイドル事務所のプロデューサーとしてアイドルを育成する」という仕組みだ。多くのアイドルと親しくはなるが、あくまで業務として。表立って恋人関係になることは難しい立場にある。この距離感がアイマス特有の魅力となっている。

その育ての親が、バンダイナムコエンターテインメント(以下バンナム)でシリーズの総合プロデューサーを務める坂上陽三氏だ(以下敬称略)。ファンの間からは「ヘンタイ」の愛称で親しまれ、ライブで登壇する際には「ヘンタイコール」が沸き起こる。


坂上陽三(さかがみ・ようぞう)1991年ナムコ(現バンダイナムコエンターテインメント)入社。「リッジレーサー」などでゲーム内のグラフィックを担当した後、2007年から家庭用ゲームにおけるアイドルマスターシリーズのプロデューサーを担当。2010年〜現在まで、アイドルマスターシリーズの総合プロデューサーをつとめる。(撮影:梅谷秀司)

ゲーム内でアイドルの服として幼稚園児が着る服を配信し、それについて「自分の趣味」と発言したことが由来だ。当人は「コントグループのザ・ドリフターズが好きで、その中で赤ちゃんの格好をして行うコントがあった。”自分の趣味”というのはそれのことだったのだけれど、違う意味で定着してしまった(笑)」と話す。

そんな坂上だが、もともとアイドルに対して特別な思い入れがあるわけではなく、それどころかゲーム業界の人間ですらなかった。バンナムの前身であるナムコに入社する以前は映像プロダクションに所属し、カメラマンのアシスタントや音声の採録を行っていた。

転機は、ある日ふと見たドキュメンタリー番組。ボルネオチンパンジーが『パックマン』を楽しそうに遊んでいるシーンを見て衝撃を受けた。「ゲームのエンタメ性は猿でも楽しめるほど普遍的なのか、と金づちで打たれるような思いだった」と振り返る。

ゲーム業界への転身を決意したものの、ナムコに入ったのは偶然だった。コナミ(現コナミデジタルエンタテインメント)へ応募するつもりが、誤ってナムコを受けてしまったのである。ただ、当時好きだったアーケードゲームがナムコ製だったということもあり、あまりその点で悩むことはなかった。

1991年に入社した後は、バンナムを代表するシューティングゲーム『エースコンバット』シリーズの前身にあたる『エアーコンバット』や、初代プレイステーションの本体同時発売のレーシングゲーム『リッジレーサー』などの開発を行った。現在は開発人員が100人を超えることも珍しくないゲーム開発だが、当時は10人にも満たない人数。今では一般的になっているディレクターやプロデューサーといった役職も「当時はなかった」と話す。

アイマスの企画がスタートしたのは、坂上の入社からさらに10年ほど経った2000年代初頭。もともとはゲームセンターへの集客目的だったという。ちょうど携帯電話へのメルマガが登場してきた時期で、事務的な文章よりも女性キャラクターがメールを送ったほうがウケるのではないかというアイデアが出た。

当初はバレーボールゲームを想定

同時に、技術開発が進んでいたタッチパネルを使った対戦ゲームを作るという企画も上がっていた。これらのアイデアがアイマスの原点だ。ただ、その時点ではアイドルではなく、バレーボールといった対戦色の強いゲームだったという。そこから、「もう少し女の子ならではのゲームにしたほうが良いのでは」という声が上がり、「アイドルをプロデュースしてトップアイドルへと育成する」という現在のアイマスができあがった。

ゲームセンター向けから始まった一連のアイマス企画の中で、坂上がプロデューサーとしてかかわるようになったのは2007年に発売した家庭用ゲーム機向けの『THE IDOLM@STER』から。この頃から、ユーザーがアイマスを題材にした動画作品をニコニコ動画やユーチューブへアップする動きが活発化。単なるゲームではなく、1つのコンテンツとして認知されるようになる。2010年からは総合プロデューサーとして、アイマスシリーズ全体の統括をする立場になった。

「アイマス」というコンテンツが拡大する中で、坂上が気をつけてきたのは「こだわりすぎない」ことだ。アニメやゲームでは一世を風靡するも、短命に終わるタイトルが少なくない。坂上はその原因を「ユーザーがコンテンツから離れる」のではなく「コンテンツがユーザーから離れる」からだと説明する。


ライブも毎度大きな盛り上がりを見せている(写真提供:バンダイナムコエンターテインメント)

ユーザーにとっては数ある作品の1つであっても、作り手にとっては長年の努力の結晶。よくあるのが、1作目を作った段階で作り手が満足してしまって次回作が出ないパターンだ。

逆に、作り手側がコンテンツに対して過剰にこだわってしまい、社会的メッセージや難解な哲学、精神的世界の描写などに傾倒して浮き世離れしていくことも多いという。

対して坂上は、生活の中の清涼剤としてユーザーに楽しまれる存在であり続けることを意識しているという。ゲームというカテゴリに対するこだわりもない。「盛り上がるならライブでもアニメでも構わない。ユーザーの要求が先にあって、ビジネスはそれに合わせる形で構築すればいい」と話す。

過去にはネットで炎上したことも

もちろん、すべてが順風満帆だったわけではない。2011年に発売した『アイドルマスター2』では痛い目を見た。発売前のイベントで男性アイドルの追加と、既存アイドルの一部がプロデュースできなくなることを発表した結果、ネットで大炎上。2010年の9月18日の発表日にちなんで「9.18事件」として語り継がれるほどの騒動に発展した。

この「事件」に対して坂上は「ゲームの伝え方を間違えてしまった。『新しく出る男キャラとアイドルたちのあいだを取り持つようなプロデュースゲームになるのではないか』といった誤解を生んでしまった。ユーザーとのコミュニケーション面ですごく反省した」と振り返る。


若手の指導では、「ユーザー第一」を徹底する(撮影:梅谷秀司)

ピンチを乗り越え、巨大コンテンツへと育て上げた今、力を入れているのは後進の育成だ。「年を取ると理屈をこねるのはうまくなるが、時代を肌で理解しているのは20代。いかに彼らにチャンスを与えて、面白いコンテンツを作ってもらうかが大切だ」と話す。

若手への指導でも、「ユーザー第一」の姿勢は変わらない。ダメな企画でありがちなのは、アイデアが先行し、後から想定ユーザーを無理矢理作り出すことだという。それを戒め、「ユーザーのためにアイデアを考える」という姿勢を徹底してたたき込む。

スタートから10年以上経つアイマスだが、ゲーム内のアイドルは年を取らない。若々しい作品を作り続けるためにも、作り手側のアンチエイジングが今後も重要となりそうだ。