LESS:夫婦なんて、どこもイビツ。それなら御曹司の妻となり子どもを授かるのが幸せ…?
2017年冬、相思相愛だったはずの彼・健太からプロポーズされた美和子は、涙を流す。
ふたりの5年間に、何があったのか?
実はふたりは不完全燃焼の夜を境に“プラトニックな恋人”となっていた。美和子は思いをぶつけるが、レス問題は一向に解決しない。
30歳になり、美和子は学生時代の友人・茜に悩みを相談。御曹司・瀬尾を紹介され美和子は健太と別れることを決意し家を出る。
瀬尾と夜を共にした美和子は彼のマンションで生活し始めるが、強引に結婚話を進める瀬尾に焦った美和子は、一人暮らしすることを決意する。

届かぬ決心
昨夜も瀬尾さんは求めてきたが、私は初めて体調を理由に抱き合うことを避けた。
スマホ片手にブラックコーヒーを飲む瀬尾さん。その横顔を盗み見て、その表情が穏やかであることを確認した私はホッと胸をなでおろした。
-今なら、大丈夫かも。
やっと話せるタイミングを得た私は、意を決して口を開いた。
「瀬尾さん。あの、私…」
マグカップを机に置き、私に向き直る瀬尾さんは、今日も一糸乱れぬ隙のないオーラを放っている。
その射抜くような眼に、私は言葉の続きを飲み込んでしまいそうになる。しかしここで怯んでしまっては、もう二度と言うべきチャンスはないだろう。
「私、ここを出て一人暮らしをしようと思って…。ずるずると長い間厚意に甘えてしまったけど、一度ひとりになってゆっくり考える時間が欲しいの」
思いが伝わるように、私はゆっくりと、噛みしめるように言葉を紡いだ。
しかし瀬尾さんに、私の気持ちは一ミリも届かなかったようだ。
「何を言っているんだ、今更。ああ、わかった。週末に両親と会うのが不安なんだな。それは僕に任せてくれれば大丈夫だから、とにかく週末は空けておいてくれよ」
彼は呆れたように笑い、私が口を挟む余地なく一方的にそう言うと、飲み干したマグカップだけを残して家を出て行ってしまった。
動き出した歯車は、簡単に止められない。思い悩んだ美和子は、ある女性に相談する。
一体、何に迷ってるの?
「ごめんね、茜。急に家に押しかけちゃって…」
瀬尾さんに聞く耳を持ってもらえず、どうして良いかわからなくなってしまった私は、仕事を早めに切り上げ、田園調布にある茜の家を訪れることにした。
平日に迷惑だろうかと躊躇したが、「どうせ主人も遅いし、うちで夜ごはん食べてって」と言ってくれたのだ。
ふわふわと頼りなく見える茜だが、彼女には人を柔らかく包み込む母性がある。
広々としたキッチンから、熱々のラザニアを持ってきてくれた茜を前に、私は久しぶりに心の底からホッとした。

「私ね、瀬尾さんのマンションを出て一人で暮らそうと思ってるの」
娘を寝かしつけた後、赤ワインを運んできた茜に、私はようやく本題を切り出した。
「え、どうして?」
ワインをこぼさぬよう目線はグラスに向けたまま、茜が驚いた声を出す。
「私、ついこの間、瀬尾さんから報告を受けたわよ。美和子と結婚するつもりだって。近いうちに両親にも紹介するんだって言ってたけど…」
茜の言葉を聞き、私は瀬尾さんの暴走ぶりに改めて身震いをした。
「それは、全部彼が勝手に進めていることで…。結婚前提で付き合い始めたとはいえ、私はまだ…迷ってるの。それなのにどんどん周りから固められている感じで…瀬尾さんって強引だから」
茜なら、わかってくれる。
そう思って、私は自分の気持ちを包み隠さず彼女に晒した。
しかし私の本音を聞いた彼女の回答は、予想とはまるで違っていた。
「それ、きっとマリッジブルーよ。…だって、落ち着いて考えてみて?瀬尾さんは御曹司で、美和子を愛していて、身体の繋がりもある。きっと子どもだってすぐにできる。結婚して、子どもがいて、何不自由ない生活ができる。それって女の幸せ、そのものじゃない」
鈴が転がるような可愛らしい声と裏腹に、茜は現実的に私を諭す。
「…それに、夫婦なんてどこも歪なものよ。みんなそれぞれ何かに目を瞑りながら夫婦を続けてるんじゃないのかな」
-夫婦なんて、みんなどこか歪。
そう言った茜の声はどこか寂しげで、私はそれ以上彼女に言葉を返せなくなった。
瀬尾さんと結婚するのが正解なのか?悩む美和子を、さらに困惑させる出来事が…
ため息をつく男
“両親との会食は、日曜12:00から帝国ホテルで。11時半に迎えに行くから”
結局、瀬尾さんを説得できぬまま迎えた金曜日。
届いたLINEを確認した私は、デスクで思わず大きなため息をこぼす。そこを、ちょうどキャラバンから戻って来た後輩・遥に目撃され、顔を覗き込まれてしまった。
「どうかしました?…それにしてもさっきから、ため息ついてる人ばっかり目撃するなぁ」
「ばっかり、って?」
触れられたくないところを見られてしまった気まずさから、話題を変えようとして遥に聞き返す。
「いや、さっきエントランスにスーツ姿の男の人が立ってて。誰かを待ってるような感じなんですけど…その人がポケットからスマホを出したりしまったりしながら、何度も大きなため息をついてたから。そう、美和子さんと同い年くらいの人だった」
遥の話を聞いて私は「何それ」と笑ったが、しかし次の瞬間、何とも説明のつかぬ直感が私の身体を走り抜けた。
-健太かもしれない。
健太が、私に会いに来たのではないか。
それはあまりに都合のいい妄想にも思える。しかし、「そんなはずはない」と思い込もうとすればするほど健太に違いないという考えに至る。
気がつけば私は席を立ち、エレベーターホールへと走っていた。

エントランスのガラス扉を出ると、心地よい夏の夜風が頬を通り過ぎた。
左右に首を振り、私の目は、柱に寄りかかるようにして立っている、ある男性の横顔に釘付けとなる。
-健太!
心の中で叫んだ声は、言葉にならない。
勢いで来てしまったものの、どうして良いかわからず躊躇っていると、彼の方も私に気がつき、周りを憚ることなく大きな声で叫んだ。
「美和子!」
健太は私に駆け寄ると、とっさに抱きしめようとした手を引っ込める。
「ごめん、こんな…待ち伏せみたいなことして。電話で連絡しても会ってもらえないと思ったから…」
そう言って気まずそうに頭をかく健太は、なんだか一回り小さくなってしまったように見えた。
-ちゃんとご飯食べてるのかな。お酒ばかり飲みすぎてないかな。
逃げるようにして健太の家を出てから、もう半年近くが経とうとしているのに…もう私には無関係だというのに、無意識に彼の日常を心配してしまう自分がいる。
何を言っていいかわからず黙り込む私に、健太は様子を伺うようにゆっくりと語りかけた。
「…俺、百合さんに説教されてさ。それで、ようやく気づいたんだ。美和子は俺に何もわかってないって言って家を出て行ったけど、本当にその通りっていうか。俺、美和子の気持ち、何もわかってなかった」
そこで健太はいったん言葉を止め、ごめん、と噛みしめるように呟いた。
「長い間、美和子を傷つけてしまって本当に申し訳ないと思ってる。もう遅いのかもしれないけど…俺はやり直したい。やり直せると思うんだ。その覚悟を手紙に書いて来たから…これ、読んでください」
そう言って渡された無地の封筒を、私は震える手で受け取った。
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健太から渡された手紙が、美和子の人生を変える…?