人事部ー。

社内の人間模様や、人間の黒い欲望に直接触れることもある部署。

人事部から見た社内、それは人の業が蠢く社会の縮図であった。

涼子が働く恵比寿のベンチャー企業では、管理本部長・坂上の社内システム入れ替えのミスを、総務課長・後藤になすり付ける、黒い思惑にまみれた人事異動が発表された。

後藤も、坂上の保身のための人事異動と気付いているが、坂上からの黒い計画に翻弄され、抗う事が許されない事態に陥っていた。




「何もできず…力不足です、申し訳ございません。」

会議室から出る際に、涼子は後藤さんに向かって頭を下げた。

結局後藤さんとの打ち合わせでは、総務の状況は聞けたものの解決策は出ず、お開きとなった。

「高橋さん、頭を上げて下さい。何もしなくて大丈夫と、私がお願いしたんです。むしろ私がお礼を言わないと。」

後藤さんはいつもの困り顔で、優しく微笑んだ。

「高橋さんは先に戻っててください。私はちょっと、水やりをしてから戻ります。」

そう言った後藤さんの視線の先には、観葉植物がある。だがこれは、後藤さんと涼子が席に戻るタイミングをずらすための気配りだろう。

涼子は「はい」と頷くしかできず、にっこりと微笑む後藤さんを残し、一足先に自席に戻った。

人事部みんなの目が、何かすることありませんか?と訴えかけていることを感じて、涼子は本当にいいメンバーに恵まれた、と思わず泣きそうになった。

「総務部、もうすぐ落ち着くから大丈夫だって。みんな、ありがとうね。」

「承知しました、また何かあったら言って下さい!」

キラキラした笑顔で返してくれるチームメンバーを見て、涼子はあらためて思った。

-私の正義感でチームメンバーを、総務部のように恐怖に晒すなんて…、忙しさで殺伐とした空気にさせるなんて、私にはできない。

デスクの下でギュっと手を握り締めていると、後藤さんが自席に戻ってきた。

席に着くやいなや、バタバタと誰かに話しかけられている様子が目に入り、涼子の胸が痛んだ。

自分のチームを守る為に、他の部署が大変な事態になっているのに見て見ぬふりをすることは、はたして正しいのだろうか…

涼子は考え続けたが、答えは出ない。

その日の20時、仕事に集中できなくなりコーヒーを買って戻ると、人事部は涼子以外みんな帰っていたが、総務部はまだ残って業務に当たっている。もちろん後藤さんの姿もあり、PCに向かっている。

事情を知っているだけに、総務部と同じ空間に居続けるのが辛くなり、涼子はメールを1本打ち会社を後にした。


涼子がメールを送った相手とは


涼子の相談


「高橋、早速だが、相談って何だい?」

翌日13時。涼子は会議室で、上司の人事部部長である大竹さんから声をかけられた。

昨夜、涼子がメールを打った相手、それが大竹さんである。

『お忙しいところ恐れ入りますが、ご相談したいことがございます。明日どこかでお時間頂戴できませんか。』

涼子が送ったメールを見て、大竹さんはいつものように時間を作ってくれた。




涼子は、今回の人事異動で起こっていることを大竹さんに話した。

今回の人事異動には、管理本部長の坂上さんの意向が全面的に反映されているだろうこと、後藤さんは出世を望んでいないこと。

また、今現在、総務部の業務が回っていないが人事から人手を出せないこと、それに伴いシステムの入れ替えに手が出せていないこと。

大竹さんはすでに知っていることが大半かもしれないが、涼子は自分の知っている情報を洗いざらい話した。

時折トレードマークの銀縁のメガネをクイッと上げながら、大竹さんは興味深そうに相槌を打ちながら聞いてくれる。

そして涼子は話しているうちに、やっぱりこの状態は良くないのだと改めて感じていた。

人事部を守ることも大事だが、人事として会社があるべき姿に、みんなが気持ちよく働ける職場にすべきだと。

涼子が考えを巡らせていると、

「話は以上かな?状況は理解した、報告ありがとう。」

大竹さんが口を開き、席を立とうとする。

「大竹さん、申し訳ございません。本題はここからなんです。私たち人事部として、どう動くべきかと思案しておりまして…」

涼子が大竹さんを引き留めると、彼は首を傾げた。

「人事部として何を動くというんだい?これは総務部の話。人事が首を突っ込むところではないよ。」

ーえ…!?

涼子は同じ人事として、大竹さんの言葉に耳を疑った。今の状況を聞いて何も感じなかったのだろうか。

確かに大竹さんは事業部出身で、人事異動で人事部に来たと聞いている。

労働基準法や人事の細かい話をしても、俺は分からないから、良しなによろしく!というスタンスではあるが、だからこそ基本的に涼子の意見を聞いてくれることが多く、その点ではありがたい上司だと思っていた。

「総務部部長になった後藤さんの頑張り不足じゃないか?仕事もこなし、システムの入れ替えもこなせば問題ない話だろう。」

大竹さんはクイッと銀縁眼鏡をずり上げながら言った。

「ですが、このまま放っておけば、総務業務が滞る可能性や、システム入れ替えも莫大な時間がかかる可能性があります。

総務が機能しなくなることや、莫大なお金がかかっているシステムの総入れ替えの頓挫は、会社にとっても痛手だと思います。こういった情報を掴んだからこそ、何か対策を講じるべきではないかと考えています。」

涼子は分かってほしい一心で早口でまくしたて、赤い唇をゆがませる。


涼子の想いは 人事部長大竹に届くのか


「言いたいことはよく分かった。だが、私の意見は変わらない。それに総務部からは、応援要請も来ていないんだろう?では静観するのが得策ではないかな。」

「得策って…待ってください。大竹さんは、何も感じないんですか?同じ会社の仲間が、苦しんでるんですよ?」

涼子は、会議室を出ようとしている大竹さんの後ろ姿に声をかける。

「いつも高橋の視点や気付き、私とは違う意見には助けられている。それは感謝している。ただ、私は波風を立たせることをしたくない。平穏に過ごしたいんだよ。今回はそれ以上余計なことに首を突っ込まないでくれよ。」

会議室に大竹さんの低い声が響く。涼子の想いは伝わることなく、大竹さんは会議室から去ってしまった。

涼子はその場に立ち尽くす。

震える足が止まらない。悔しさとふがいなさで、視界がぼやけた。




― 人事って何なんだろう。

人事とは人の事と書くように、会社にいる人やその家族の為になることや、時には冷静に人と人の間や、会社と従業員の間に立ち、中立の立場で物事を判断することが人事の仕事だと信じてきた。

誰かが困っている、問題を抱えていると聞くと、どうすれば解決できるかを考え行動してきたつもりだった。

それなのに、得策かどうか、そんな計算で人事が動いていいのだろうか。

―人の為に動けないなんて、人事である意味があるのかな。

涼子は、今まで自分の信じた考えや正義が否定された気がして、どうしたらいいか分からなくなった。

こんな状態で自席には戻れない。落ち着くまで会議室にいよう。

そう思った矢先、ポケットのスマホが震えた。部下からの緊急の連絡かと思って確認すると、誠からのLINEだった。

普段、業務時間中にLINEが来ることはまずない。不思議に思って開いてみる。

『緊急連絡。平山さんと後藤さんが会議室に向かう様子を目撃!』

平山さんは営業部次長で、今回の後藤さんの昇進を良く思っていない1人である。

さらに誠の話だと、平山さんは最近空アポが入っていることが多く転職活動をしているのではないかとのことである。

ー平山さんと後藤さんが、会議室で何を?

瞬時に考えを巡らすが、その時間さえも惜しかった。悩んでいる暇はない。

『ありがと!』

涼子は誠に返事をすると、大きく深呼吸し、今までのモヤモヤした想いを吹き飛ばすように、会議室を飛び出した。

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昇進できなかった平山と、意志に反して昇進した後藤の直接対決!?