連載最終回は、スウェーデンの驚くべきキャッシュレス社会についてです(写真:筆者撮影)

「『マンマ・ミーア!ザ・パーティ』は本当に素晴らしいから、絶対に見てください。私も明日行くので会いましょう」

アバの解散後ビジネスを支える立役者、「アバ・ザ・ミュージアム」の館長、イングマリーさんに勧められた話題のエンターテインメント・ショー、「マンマ・ミーア!ザ・パーティ」の様子は前回記事でレポートした。

チケットはインターネット決済でしか受け付けない


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筆者が驚いたのはチケットの予約方法だ。会場の窓口では買うことができない。現金も使えず、インターネット決済でしか受け付けない。当日券を買うようなものだから、直接窓口に並んで買えるだろうと思い、ホテルのレセプションで聞いたのだが、答えは同じだった。空港で両替したスウェーデン・クローネのお札を使う機会がまったくないのだ。

実はアバの元メンバー、ビョルン・ウルヴァース氏もキャッシュレス社会をずっと提唱、推進している1人だ。

「キャッシュは犯罪の主な原因であり、キャッシュがなくなって困るのはブラックマーケットだけで、また、キャッシュがなくて困るのはスーパーマーケットでカートを借りる時だけだ」

彼は以前、インタビューでそう語っていた。アバ・ザ・ミュージアムは、2013年5月のオープニング以来、ずっとキャッシュレスで経営しており、入口やグッズ売り場のレジ前には「A CASHLESS MUSEUM(キャッシュレス・ミュージアム)」と書かれている。

「これは初めからビョルンのアイデアでした。現金はもう時代遅れだからです。クレジットカードが使えれば、盗難防止にもなりますしね。それにキャッシュは何千人もが触っていて、不衛生じゃないですか(笑)」

イングマリーさんは筆者のインタビューに、冗談交じりに笑いながら語った。

ビョルン氏がキャッシュレスを提唱するに至った理由のひとつは、2008年5月、息子のマンションに強盗が押し入った事件にまで遡る。幸いにも被害はなかったが、息子は再び強盗が来るのではないかと心配して、ずっと警戒していた。その予感は的中し、数週間後に再びバルコニーから2人の男が侵入し、カメラとブランドもののジャケットが盗まれたのだ。

被害金額は大きくはなかったが、ビョルン氏は怒りが収まらない。強盗たちは盗んだものと引き換えに紙のお札を手に入れるのだ。もし紙幣がなかったら、どうするのだろうと。ビョルン氏は2011年に紙幣を使うのを完全にやめて、それ以降、現金に触れたことはないそうだ。

スウェーデンは、キャッシュレス社会の実現に向かって世界一といっていいほど進化している国だ。スウェーデン中央銀行によると、2015年に国内で発生した全ての取引の決済手段に占める現金の割合は、わずか2%。アメリカ合衆国では7.7%、ユーロ圏ではまだ10%もある。

また、2015年に一般消費者が現金で支払った比率は、全消費の20%しかない(国際市場調査会社ユーロモニター・インターナショナル調べ)。スウェーデン以外の世界平均が75%という現状で、スウェーデンは飛び抜けて低い。ちなみに日本はというと、49.5%で半々だ。さらに驚くべきことは、現在のスウェーデン国内の銀行1600店舗のうち、900店舗ではもはや現金を置いていないのだ。

キャッシュレス化を実現しようとする理由


キャッシュレスは驚くほど浸透している(筆者撮影)

ではなぜ、これほどまでにスウェーデンはキャッシュレス化を実現しようとしたのか。大きな理由は2つある。1つ目は脱税対策やマネーロンダリング、路上での現金強盗などの犯罪防止のためだ。実際に2008年の時点で110件あった強盗の発生件数は、2015年には7件にまで減った。強盗発生率はなんとマイナス93.6%ということになる。

2つ目は現金を取り扱う際のコスト負担を減らしたいという理由だ。銀行は社会全体がキャッシュレス取引に移行すると、その手数料で収益をあげることが可能になる。政府は店や交通機関などのあらゆる場所でキャッシュレスを推進し、現金を使わない店に対しては税法上の優遇措置をとった。また、2012年にはスウェーデンの銀行6社が、相手の連絡先にボタンひとつで送金が可能な「Swish(スウィッシュ)」というスマホアプリを開発。最終的な決済は銀行口座間で行われるが、驚くべきことに現在までに30歳未満の成人の約90%が利用しているとのことだ。

これらの施策が推進力となって、スウェーデンはキャッシュレス社会の先進国となっていったのである。

日本で生活していると、キャッシュレスでの生活はまったくリアリティがないが、スウェーデンがキャッシュレス社会に完全にシフトしているのを実感した具体的なエピソードを紹介してみたい。

ストックホルムの百貨店の食品売り場、日本でいうデパ地下のトイレのほとんどが無料では使用できない。ヨーロッパ諸国では、コインを入れるとバーが動いて中に入れるシステムや、トイレの入口に老婦人が座っており、チップを支払ってから中へ入るシステムになっている場合もある。

しかし、ストックホルムのデパ地下のトイレの厚い扉には、クレジットカード決済のための機械がついており、1回5クローネ(約90円)と書いてある。「キャッシュレス」であるから、現金の支払い口はない。コインをあらかじめ用意していようが、慌てて両替をしに行こうが、クレジットカードを持っていなければ扉の中へは入れないのだ。別のトイレを探そうとしても結果は同じことだ。この事情を知らないと、トイレに駆け込むだけでもかなりの困難が伴うのだ。

また、レストランでも現金はまず使えない。観光客対策として、レジのところに英語で「現金は使えません。クレジットカードのみです」と書かれているが、日本人の場合、ちょっとした外出ならば、最低限の現金だけ持って、盗難防止のためクレジットカードやパスポートをホテルの貴重品ボックスに入れて出かけることもある。

そのため、レストランでは仕方なくクレジットカードを使ったのだが、決済はサインの代わりに「4桁のピンコードを入れて下さい」と言われる。

「キャッシュは無理」の一点張り

「ピンコードって何? 暗証番号のこと?」

そもそも日本ではATMでおカネをおろす時や、オンライン・ショッピングの場合、ほとんどの場合は暗証番号、またはパスワードで処理しており、「ピンコード」という言葉をあまり使う機会がない。そのため筆者は、異国の地で突然「ピンコードを入れて下さい」と言われたことで混乱してしまい、どの番号を打ち込んだらいいのか、わからなくなってしまった。

結局、何回か数字をインプットしたのだが失敗した。3回間違えて使えなくなり、持って行ったカードがどんどん使えなくなっていった。

「カード決済が通らないから、どうにかキャッシュで払えないですか?」

何度も掛け合ったのだが、先方はずっとこのスタイルで営業しているので、キャッシュ払いは無理ですとの一点張りだ。

途方に暮れていると、店員は突然「よいアイデアを思いついた!」と言い、ここのレストランのオフィシャル・サイトにポイント還元用のお土産があるから、それを飲食代と同じ料金でクレジットカードで購入してくれないかと、真顔で提案してきたのだ。

返事をしないでしばらく黙っていたら、半ば強引にレジのところまで連れて行かれて、レストランのオフィシャル・サイトを一緒に見る羽目になってしまった。


スウェーデンはビジネスがうまい国だった?

そこで救ってくれたのは、手元にあった残り1枚のカードだった。それは日本のショッピングではあまり使うことのない、ICチップが入っている銀行系のクレジットカードだった。お土産をネットで買う直前、最後にこのカードでトライさせてくれと言って暗証番号を入れたら、無事に決済ができたのだ。店員もホッとしたようで、安堵の表情を浮かべていた。

帰国時の空港でも驚くことがあった。北欧諸国は嗜好品の税金が高いが、観光客のために帰国時に税金が戻ってくる「タックス・フリー」のシステムがある。今回の滞在では買い物をする時間がなかったので、タックス・フリーのお店で最小限のお土産を買っただけだった。

空港内の税関に出向き、買った商品を見せ、税金の払い戻しの手続きをするためにクレジットカードの番号を書いて提出した。すると係員はそれを見て「別のクレジットカードはないか?」と尋ねてきた。提出したのはアメリカン・エキスプレスのカード。使えないはずはないと思ったが、言われるがまま、改めてVISAカードを提出した。すると笑顔で「サンキュー」と言い、そのあとはスムーズに手続きは進んでいった。

手続きが終わったあと、どこか腑に落ちなかったので、理由を訊いてみた。

「アメリカン・エキスプレスの場合、これくらいの安い購入金額だと手数料が高く取られるんだ。だから次回はもっとたくさんおカネを使ってくれよ!」

係員は笑顔でそう答えた。ビジネスがうまい国、スウェーデンの正体を見た気がした。

日本は今後どうなるか

日本では具体的にキャッシュレス社会に向けての施策はあるのだろうか。2016年11月、インド政府は突然500ルピーと1000ルピー紙幣を廃止すると発表し、その数時間後には使えなくなるような措置を取った。また、欧州中央銀行は2018年中に高額の500ユーロ紙幣の発行を取りやめることにしており、どちらも背景にはテロやブラックマネー、犯罪防止のためという目的がある。

日本政府は「日本再興戦略改訂2014」 において、2020年東京オリンピック・パラリンピックの開催等を踏まえ、キャッシュレス決済の普及を掲げている。しかし、日本は諸外国と比べても治安が良いということもあり、日本人があまり必要性を感じていないのが現実だ。キャッシュレス社会になるのは、まだまだ遠い先の話のように思える。

果たして日本は「キャッシュレス社会」を実現して「ビジネスがうまい国」という称号をもらうことができるのだろうか。