―大好きな吾郎くんが、私と結婚してくれたー

数々の苦難の末に、結婚願望のない男・吾郎との結婚に辿りついた英里。

結婚はゴールでないことなど、百も承知。

しかし、そんな二人を待ち受けていたのは、予想を上回る過酷な現実であった。

愛し合っていたはずの夫婦は、どのようにすれ違い、溝ができてしまったのか。

男女の価値観のズレ、見解の相違、そして、家庭外での誘惑...。

二人は “新婚クライシス”を迎え、夫婦のすれ違いは深まるが、英里はそんな中、「子どもが欲しい」と吾郎に宣言した。夫婦仲はさらにギクシャクしたまま、英里は後輩・新一に心を開き始め、そして吾郎まで後輩の女弁護士・ナオミと意気投合してしまう。




「おい吾郎!お前、ナオミちゃんと二人で飲みに行ったんだって?!」

オフィスで顔を合わせるなり、同僚の松田は鬼の形相で吾郎に近づき、腕を強く掴んだ。

ナオミは松田のチームの部下であり、お気に入りの若い女弁護士である。よって彼は、吾郎に見当違いなヤキモチでも焼いているか、あるいは飲みに誘われなかったことに腹を立てているのだろう。

「何だよ。イヤー・エンド・パーティのあとに軽く飲んだだけだ。お前は嫁の世話で忙しそうだったからな」

「...吾郎、嫁さんと仲直りはしたのかよ?」

「.........」

「いよいよマジでヤバいんじゃないのか?お前、現実逃避してるだろ?」

松田の尋問に、吾郎は思わず答えに詰まる。

現実逃避などと言われると苛立たしいが、夫婦仲の拗れに関しては、開き直りのような感情が生まれていたのは事実だった。

英里が大事な存在であることに変わりはないが(なんせ、この自分が結婚までしたのだから)、妻と自分の間には、どうやっても擦り合わない価値観や人間性の違いが存在する。

ならば、ある程度の距離を保ちながら適度にドライな関係でいるのも、それはそれでアリな気がしたのだ。

そんな風に世間の常識や風潮に流されない本来の自分に戻れたのは、おそらくナオミの影響であった。


新婚クライシスに苦戦した吾郎。辿り着いた新境地は...?


ベタベタ馴れ合うだけが、正解じゃない


「嫁の件に関しては、しばらく見送ることにしたからもういい。女にいつまでも振り回されるほど俺はヒマじゃないからな」

吾郎は松田から目を逸らし、素っ気なく答える。

妻との不仲によって生じた心の隙によって、松田の意見を有難いと思うこともあったし、それに随分と翻弄された。だがやはり吾郎は、妻の尻に敷かれる“松田側”の情けない男に成り下がりたくないのだ。

だからこそ長年結婚も拒んでいたわけだし、英里の方こそ、もっと夫に理解を示してもいいはずである。

“結婚式がしたい。新婚旅行に行きたい。新居に住みたい。そして、子どもが欲しい。さもなければ、夫婦とは言えない”

順風満帆だと思っていた新婚生活の矢先に、妻に突然そんな風に通告された吾郎のショックは大きかった。

結婚には清水の舞台から飛び降りるほどの気合と覚悟を要したのに、それだけでは英里を幸せにできなかったのだ。

さらに彼女は妙に怒りっぽくなり、表情も暗く、夜の外出も増えた。以前の子犬のように従順だった妻はどこかに消えてしまった。




だが、これが自分たちの結婚ゴールの真実なのであれば、素直に受け入れてしまおうと思う。

吾郎はその上で、元の自分のペースに戻ってしまった方がずっとマシであると判断した。

妻の機嫌を伺いながら“らしくない”無駄な試行錯誤を繰り返すのはウンザリだし、ジタバタしても何も変わらないならば、英里の希望に関してはお互いに落ち着いてからゆっくり話し合えばいい。

それに、ナオミのお互いに自立した遠距離婚の話を聞く限りでは、吾郎ばかりが偏った考え方をしている訳ではないことも判明した。

「おいおい、新婚クライシスを甘く見るなよ。このままだと離婚にもなり得るんじゃないか?だってお前たち、ただ入籍しただけで....」

「大袈裟だな。うちの嫁はそこまで考えてないから大丈夫だ。ベタベタ馴れ合うだけが正解じゃない」

吾郎は松田の言葉を遮り背を向けるが、彼は引き下がらなかった。

「それはナオミちゃんの影響か...?あの子は帰国子女だし、気も強ければ仕事もデキるが、英里ちゃんは全然違うだろ?本当に大丈夫なのかよ」

「松田こそ、同僚の嫁の愚痴を聞いてそんなに楽しいか?仲間ができて嬉しいか?それとも“メシウマ”か?いい加減しつこいぞ」

言い過ぎた、と咄嗟に思ったが、遅かった。

松田は傷ついたような、あるいは吾郎を哀れむような表情を浮かべて固まっていた。

“悪気”というものはないのに、結果的に人を攻撃してしまうことは昔から多々あった。だから他人と馴れ合うのは嫌いだったし、結婚だの家族だのを作るのにも抵抗があったのだ。

「...俺はただ、独身だった頃のお前より、今のお前の方が何となくイイ男だと思ってただけだよ」

松田は最後に小さく呟き、吾郎から離れていった。


一方、限界を迎えた英里は“ある決意”をしてしまう...!


ハッピーエンドに、保証はない


「英里、あなた本当に何考えてるの?!会社で新一くんと変な噂が流れてるわよ?!」

仕事帰り、咲子は半ば無理矢理『ビストロ&ワインバー プティ オザミ』に英里を連れ出した。そして席に着くと、彼女はテーブルに乗り出しながらも潜め声で言った。




「だから、別に誤解するようなことは何もないんだってば...」

たしかに新一とは、ここ最近何度か二人きりで会っている。

しかし、仕事帰りに軽く食事をする程度で、遅い時間にならないよう気をつけているし、間違っても男女の関係みたいなものにはなっていない。

結婚生活の愚痴を聞いてもらうことはあるが、大概は仕事や好きなドラマの話などとりとめのない世間話をしているだけで、新一とは単純に気があうのだ。

「じゃあ、吾郎先生との夫婦仲が順調でも、そんな風にしょっちゅう年下男とデートするわけ?!」

「......順調じゃないんだから、仕方ないでしょ...!」

英里はとうとう、目頭が熱くなる。咲子に叱られなくとも、自分の情けなさは百も承知だ。しかし、この息苦しい夫婦生活や途方もない孤独をどうにかやり過ごすには、とても自分一人では耐えきれないのだ。

会社の同僚と少し仲良くすることで、ほんの小さな逃げ場を作ることが、そんなに悪いことだろうか。

「今さらだけど、私が吾郎くんみたいな人と結婚するなんて、やっぱり無理があったの。もう、埋まらない溝ができちゃったのよ。このまま開き直って仮面夫婦になるか、もしくは......」

「...ちょっと...離婚、まで考えてるなんて言わないでよ...?」

咲子は、さも悲しそうに英里を見据える。

ふっくらと大きくなり始めたお腹に、その前にはアイスティー。順調に人生の駒を進める親友に、夫に愛されない女の荒んだ気持ちが分かるはずない。

「......実は、離婚も本気で考えてる」

一瞬、空気に亀裂が入るような沈黙が走った。親友の顔を見るのが怖い。

「......あんなに大恋愛で結ばれた二人なのに......。本当に本当に、それがきちんと考えた上での結論なの...?」

咲子の声は、涙声だった。

しかし、いくら劇的なハッピーエンドを迎えたカップルでも、その幸せが続く保証などない。そして、永遠と信じて疑わなかった情熱が徐々に失われていくのも、また現実だった。



-離婚-

何度も頭に浮かんだ言葉ではあるが、実際に口にしてしまうと、それは重い現実味を帯びて英里にのしかかり始めた。

-次の週末あたり、そろそろ吾郎くんと話さないと...。

自宅に向かいトボトボと歩いていると、マンションのエントランスに1台のタクシーが止まる。

ドクンと、心臓が嫌な音を立てた。

出てきたのは偶然にも吾郎であったが、車内にはまだ人影が見える。そのタクシーが、車寄せをぐるりと周り、こちらに近づいてくる。

そして目に入った光景に、英里は全身が凍りつくようなショックを受けると同時に、最近夫が一段と自分に冷たくなった理由を知ってしまった気がした。

タクシーの中から、夫に笑顔で手を振っている人物。それは、どう見ても英里より若く、美しい女だった。

▶NEXT:1月20日 土曜日更新予定
最悪のタイミングと、重なり続ける誤解。二人はついに離婚話に突入する...?!