「らぁ麺屋 飯田商店」は、全国からラーメンファンが集まる(筆者撮影)

東京から車で約2時間、JRなら新幹線を使っても1時間半弱、在来線だと約1時間40分。神奈川県南西部にある湯河原温泉で有名な湯河原町に、いつも大行列を成しているラーメン店がある。「らぁ麺屋 飯田商店」。JR湯河原駅より徒歩9分と住宅街の真ん中にたたずむお店である。

2010年3月オープン以来、口コミで徐々に客足を伸ばし、昨年にはラーメン業界で最高権威とも言われる「TRYラーメン大賞」で大賞を受賞した。今年1月7日にTBS系で放送された「情熱大陸」(制作は毎日放送=MBS)で、店主の飯田将太さん(40歳)が取り上げられるほど話題になっている。食べログの平均点は4.00点、ラーメン部門では全国4位、神奈川県1位(2018年1月8日現在)となっている。


いつも大行列を成している(筆者撮影)

飯田商店の営業時間は午前11時〜午後3時までのたった4時間。それも行列が長くなりすぎたら、午後3時前でも並べなくなる(毎週月曜と毎月第3火曜<祝日の場合は翌日>が定休日)という希少性も手伝ってか、全国からラーメンファンが集まる。

特にTRYラーメン大賞の受賞後はメディアの取材も殺到。行列も日増しに長くなっている。近隣への配慮で、開店待ちの早朝からの行列を防ぐために整理券制を導入しているが、その整理券を求めるための順番争いも熾烈になっているほどだ。

1日のお客さんは200人程度が限界

飯田商店の出すメニューは、醤油、塩、にぼしのラーメン(800〜1400円)と、つけ麺(1000円)だ。スープ、具材、自家製麺を作り込むのはもちろんのこと、ラーメンをつくる工程すべて(タレ、麺、スープ、盛り付け)を飯田さんが1人で行うというこだわりようだ。


醤油らぁ麺(筆者撮影)

たとえば、醤油らぁ麺。スープは鶏と水のみ。比内地鶏・名古屋コーチン・山水地鶏の丸鶏、比内地鶏・名古屋コーチンのガラを使用している。自家製麺は国産小麦にこだわり、はるゆたか・春よ恋・きたほなみ・チクゴイズミ・さぬきの夢などをブレンド、内モンゴル産のかんすいと沖縄の塩「ぬちまーす」で、小麦の味を最大限に引き出している。醤油は6種類の生醤油を合わせる。上には黄金の鶏油がかかる。チャーシューはオーブンで焼いたモモと低温調理のロースの2枚が乗る。器は有田焼だ。

そんな飯田さんはどのように、この人気店をつくりあげたのか。飯田さんの半生を追ってみよう。

ラーメンしか道がなかった

飯田さんは20代前半に、和食の料理人を志して上京。東京のお店で修業した。だが、25歳のとき、実家の営んでいた水産加工会社「飯田商店」に1億円以上の負債があることを知り、湯河原に戻る。そう、「飯田商店」とはもともと飯田氏の実家が営んでいた水産加工の会社の名前だったのだ。

実家の借金返済のため、叔父が営むラーメンチェーン「ガキ大将ラーメン」の湯河原店のFC(フランチャイズチェーン)オーナーとして契約する。


飯田さん(筆者撮影)

「もともと『ラーメン屋をやりたい!』という思いはなく、東京で和食の料理人をやりたかったけど帰ってこざるをえなくなった。ラーメンしか道がなかったんです」(飯田さん)

FC系の外食店は本部の運営するセントラルキッチンで生産された食材を使うケースが多い。飯田さんの加盟していたFCラーメン店チェーンもスープや麺、具材などは自分でつくらなくてもよく、店長の責務は効率的にお客を集め、さばき、売り上げを高めることにあった。当時は朝9時から翌朝5時までほとんど休みなく働いていたという。


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一方、自分のお店の売り上げがだんだん上がっていく中で、飯田さんにはある思いがわいてきた。「自分のラーメンを作りたい」。

ここから飯田さんのラーメン食べ歩きがスタートする。しばらく食べ歩きを続けていたが、ある日、運命の一杯に出合う。それは、神奈川・藤沢にある“ラーメンの鬼”故・佐野実さんの営む「支那そばや本店」(現在は戸塚)のラーメンだ。

「麺にとにかく衝撃を受けました。ラーメンといったらスープだとずっと思っていましたが、麺がこんなに旨いものなんだということを知りましたね」(飯田さん)


「自分のラーメンを作りたい」という思い(筆者撮影)

その後、「支那そばや」にとにかく通い、その麺の構造や味を研究する。閉店するラーメン屋さんから製麺機を10万円で譲り受け、自家製麺の勉強をスタートさせる。お店の定休日である月曜日に「つけ麺 醤太」をオープンし、自家製麺のつけ麺の提供を始めた。

飯田さんは佐野氏の弟子や「支那そばや」に影響を受けたお店にも通うなど、その後もラーメン食べ歩きを続けた。同じく大きな転機となったのが、神奈川・相模原の「69’N’ ROLL ONE」(現在は尼崎の「ロックンビリーS1」)が出す、鶏と水だけで作ったスープが自慢の「2号ラーメン」との出合いだった。休みの日にとにかく通い、店主の嶋崎順一さんとも交流が生まれる。

「店主の嶋崎さんと一度3〜4時間お話しさせていただいていたら、急に『2号ラーメン』のレシピを教えてくださったんです。ビックリしましたよ。これはもう作るしかないだろ!と」(飯田さん)

それからというもの、飯田氏は体と舌をとにかく「2号ラーメン」に染めようと、「69’N’ ROLL ONE」へ行くと必ず「2号ラーメン」を3杯注文。嶋崎さんのレシピをできるだけ再現できるように模索した。

こうしてオリジナルのラーメンが完成。2010年3月に、実家である「飯田商店」の倉庫があった場所に「らぁ麺屋 飯田商店」をオープンした。32歳のときだった。


自家製麺は国産小麦にこだわっている(筆者撮影)

当初は思ったようにお客は集まらなかった。開店後の1年間は鳴かず飛ばず。1日にお客が2人という日もあったほどだったが、ラーメンファンがだんだんとお店を訪れるようになり、ネットの口コミが広がる。その後は、ラーメン評論家も来店してくれるようになり、さらに人気を増した。今では、「飯田商店」のラーメンを食べるために湯河原を訪れる観光客も増えている。

年に4〜5回訪れるというある常連客は、飯田商店に通う理由を「おいしさはもちろん、店主の人柄ですね。ラーメンにまじめすぎる飯田さんに会いに来るのが楽しみなんです」と語る。近隣の真鶴町(まなづるまち)に住み、週に2〜3回通う別の常連客は「まさに地元の誇り。年下だが本当に尊敬できる人間です」と語っていた。

湯河原にこだわる理由は?

これだけ評価されているメニューをどう後世に残していくかは、飯田さんにとって今後の課題だ。湯河原にとどまらず、暖簾(のれん)分けでもっと広げてほしいというラーメンファンの願いもあるだろう。

飯田さんは東京に進出したり、お店を増やしたりということには興味がないという。湯河原にこだわる理由を聞いてみた。


東京進出や、お店を増やすことには興味がないという(筆者撮影)

「東京は住む場所ではないな、と。父親が遺してくれた土地への愛ということもありますし。『どこかで勝負するぞ』というより、お客さんに湯河原に来てほしいなという気持ちのほうが大きいですね。3万円、5万円の高級料理じゃなかなか食べに来られないけれど、ラーメンなら食べに来られる。800〜900円で人を感動させられる。ラーメンの魅力ですね」(飯田さん)

今、このラーメンは飯田氏にしか作れない。お弟子さんたちにはこれから伝えていくのか、後継者についてはどう考えているのか。飯田さんはまだ40歳と若いが、いずれはこの問題にも直面することになりそうだ。多店舗経営はなさそうだし、らしくない感じがする。とはいえ、一代一店ではあまりにもったいない。