肉が食べられるまでには、肉ごとの工程がある。その始まりには生き物がいる。


 日本では長らく“肉ブーム”が続いているようだ。1人あたりの年間消費量は右肩上がり。農林水産省の「Monthly食肉鶏卵速報」によると、2016年の1人あたりの肉の年間消費量(概算)は、牛肉が6.0キログラム、豚肉が12.4キログラム、鶏肉が13.0キログラムだったという。

 肉をよく食べる。それは、私たちがいとも簡単に肉を入手できることの表れだろう。巷は肉で溢れている。だが、もしこの肉を、自分自身で生き物を殺し、捌き、切って、煮て焼いて、食べるとしたら、どれだけの手間がかかるだろう。そしてどんな感覚を抱くだろう・・・。

 そんなことを考える人は多くはいまい。ましてや実践するなんて・・・。ところが、2年にわたりそれを試みた非狩猟業の人物がいる。『生き物を殺して食べる』という本の著者だ。

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獣を狩り、食肉解体の現場を訪ねる

2017年12月に刊行された、ルイーズ・グレイ著、宮粼真紀訳『』。原題は“The Ethical Carnivore”(道徳的な肉食者)。


『生き物を殺して食べる』は、英国人の環境ジャーナリストであるルイーズ・グレイが、2014年7月から2年間、ほぼ自分で鳥獣や魚を屠ることで肉食を貫いた経験をまとめたもの。彼女はその動機を<平気な顔でぱくぱく肉を食べるような無神経な人間にはなりたくなかった><自分で殺した動物だけを食べるというのがいちばんまっとうなやり方に思えた>と述べる。

 ウサギ、ハト、キジ、ニジマス、そしてまたウサギ・・・著者は自身での狩りの成果を綴っていく。狩りから食までの生き生きとした描写で、読者は自給による肉食を疑似体験できる。

 だが、それだけではない。豚や牛の屠畜場、養鶏場、サケの養殖場などを取材し、動物たちが解体されていく様子を目の当たりにし、それらも描写する。<豚が大型剪定ハサミぐらいの大きさの電気ゴテで頭を挟まれ、ほとんど抵抗もせずにすぐ倒れたが、念のためにもう少し長く電流は流される>といった具合に。<二度と見たくない>とも書いた。だが、屠畜業者の<ここにいるみんなはどうしたらいい? ここで屠畜される動物たちは人道的に扱われていると、俺は一〇〇パーセント確信している>といった声にも耳を傾け、伝える。

エネルギー効率と気候変動という視点からの肉食是非

 筆者もそうだが、肉食について深く考えることなく生活を送っている人は多いだろう。読者に立ち止まって考えてもらうため、著者はいくつかの論点を提示する。

 1つは、肉食の効率の悪さ。たとえば牛肉は、おなじ熱量のベジタリアン食を作るのに使うエネルギーの10倍を要するという。また、豚の飼料要求率(体重1キログラム増に必要な飼料量)は4、鶏は2.2といった数値も示す。簡単には行かないだろうが、穀物を飼料用でなく食用にすれば、より効率よく人はエネルギーを得られることになるというわけだ。

 また、口から出すメタンガスなどにより、家畜が温室効果ガスの大きな原因になっているという話も持ち出す。英国の王立国際問題研究所が2015年に公表した報告書『Changing Climate, Changing Diets』(気候を変えたいなら食事を変えよう)を紹介し、家畜の温室効果ガス排出量は「全世界の飛行機、車、列車をひっくるめた数値より高い」と述べる(ただし報告書では「同等(equivalent)」との表現も見られる)。

 こうした情報は、たしかに肉を食べる人々の手を、少しだけ止めるかもしれない。

「野生を剥奪している」

 だが、本書における著者の主張としてもっと大きいのは、そしてこれは最も言葉で説明しづらい主張でもあるのだが、今の人間がしている肉食の方法が、あまりに自然の状態から乖離してしまっている、というものだ。それは理論的に導かれる主張というより、人として抱く違和感からくる主張と取れる。

 たとえば、養殖場のサケは、川を遡上することなく陸に上げられ、打撃で気絶させられ、エラを取られる。これを知った著者は「わたしが問題視するのは、このみごとな生き物たちの殺し方だけでなく、野生を剥奪していることなのだ」と嘆く。

 けっして、ベジタリアンでも、より厳格なビーガン(完全菜食主義者)でもない。自分が狩りで獣を仕留めたときには、自分に誇りを感じ、死んだ獣に感謝し、そしてその肉を食べて味わう。それを基準だとすれば、人間の作ったシステムのなかで屠られていく生き物たちの姿は、あまりに不自然と感じたのだろう。

気づかぬまま広まっている過去と現代の隔たり

 人類はもともと肉食性の生き物だ。生物界では、食物連鎖の頂点の1つに立つ。だから、肉食をやめることのほうが、むしろ生物としてのヒトらしさから遠ざかるように筆者には思える。

 だが、長きにわたりヒトの営みとして自然に続いてきた肉食の方法と、現代に入りヒトの編み出した肉食の方法には大きな隔たりができてしまった。そして、社会に顕れる新たな技術に「時代はここまで来たのか」と驚くのとは違って、私たちが現代の肉食の方法が昔とずいぶん異なってしまったことに気づく機会は少ない。

「自分で生き物を屠らなくても、せめてそれがどうやってそこにたどりついた肉なのか知る努力をすべきだ」というのが著者のメッセージだ。食べる肉を、そして肉を食べることを見つめ直す機会はそうそう多くない。

筆者:漆原 次郎