人口が減少するこれからの時代は定年退職者も貴重な労働力だ(写真はイメージ)


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研修講師でよみがえった元窓際族

 定年まで残すところ数年となり、役職からも外されてくすぶっていた「窓際族」の社員に研修の講師をさせたら見違えるように生気を取り戻したという。若手社員の相談相手、アドバイザーの役割を与えたら張り切って仕事をするようになった例もある。彼らの口からは、「若い人たちから感謝され、会社の役に立てることが何より励みになる」という声が聞かれる。

 人間には他人や周囲から認められたいという承認欲求がある。承認欲求は、注目してほしい、実力を認めてほしいといった願望になって表れる場合もあれば、職場や社会の一員として役立っていることを評価してほしいという気持ちとなって表れる場合もある(拙著『承認欲求―「認められたい」をどう活かすか?』東洋経済新報社)。

 前回述べたように若者は活躍の場を与えてほしい、自分に注目してほしい、というように積極的な承認を求める傾向が強い。それに対して中高年はもっと控えめな承認、すなわち自分の存在や周囲の役に立っていることを認めてほしいという意識が強い。子どもの通学を見守るボランティアや、地域の防犯・防災活動に参加しようとする人が多いことからも、彼らがいかに役立ちたい、そして消極的な形でよいから認められ、自分の存在感を確認したいと思っているかがうかがえる。

役職と「偉さ」を切り離す

 ところ近年、職場では年功序列が少しずつ崩れるにつれ、中高年の承認欲求が十分に満たされないケースが増えてきた。その典型が、部下よりも上司の年齢が若いという逆転現象である。欧米ならドライに割り切れるだろうが、「長幼の序」の文化が残るわが国では上司からすると年長の部下を扱いにくいし、部下はやる気を失うという事例がしばしば発生している。

 問題は上司のほうが部下よりも「偉い」という暗黙の前提にある。年功序列を見直す際には、この「偉さ」と職位とを切り離す必要がある。上司と部下は単に役割の違いであり、「偉さ」とは無関係であるという割り切ったマネジメントを徹底させなければならない。

 そして口の利き方から仕事を離れたつきあいまで、「偉さ」の序列を前提にした旧来の慣習はあらためる必要がある。たとえ地位は低くても、年長者を敬う態度を捨ててはいけない。

 また、とりわけ役職に就いていない年配者には、自分が会社のために役立っていないのではないか、報酬に見合った貢献ができていないのではないか、という負い目を持っている人が少なくない。成果主義で若年層の年配者を見る目が厳しくなってからはなおさらである。

 そこで効果的なのは特定の領域や仕事を任せることである。ただし、その範囲や仕事の重要性は、当人の能力に見合ったものでなければならない。また本人だけでなく周囲にも会社にとって欠かせない人であると周知させることが大切だ。

「長幼の序」を逆手に

 ところで「長幼の序」の文化は障害になるばかりではない。むしろ、それを逆手にとって年配者を活用することもできる。

 ホテルのフロントや営業の仕事に他社で定年を迎えた人を採用したところ、客とのトラブルが大幅に減ったという。年配の社員をクレーム処理の担当に据えているところもある。彼らの経験がものをいっているだけでなく、年配者ゆえに客も一目置くという面があるようだ。

 またベンチャー企業のなかには、若い経営者の補佐役として大企業の管理職経験者を採用している例がある。とくに対外関係では若手経営者だと軽く見られがちだが、年配の補佐役が付いているとそれが補える。しかも経営者と親子ほど年齢が離れていると互いに相手の立場が理解しやすく、人間関係も良好に保てるそうだ。

 中高年になると仕事の能力が低下すると信じられているが、人間の知的能力は使い続けているかぎり、いくつになっても伸長するといわれている。ところがわが国では年功序列があるため、彼らの意欲と能力を十分に生かしきれていない。発想さえ変えれば年長者を敬う文化は障害にならないばかりか、むしろチャンスを広げることにもつながる。

 わが国の人口が減少するこれからの時代に中高年は貴重な労働力であり、彼らをどれだけ活用できるかが企業にとっても、社会にとっても重要な課題である。「不可欠な存在である」という意識を本人も周囲も共有できるようにすれば、彼らの潜在的な意欲と能力を引き出せるに違いない。

筆者:太田 肇