中国が内外で力を弱めていると言われる。

 それを隠蔽するための世論戦を中国共産党政権が全力を傾けて行い、「アジアでは米国の影響力が衰え、中国の力が増大している」とプロパガンダに尽力しているというのである。

 これは、ワシントンの大手研究機関AEIのアジア研究部長ダン・ブルーメンソールの見解であるが、その細部については古森義久氏「『米国は衰退』を全世界に広めようとしている中国」に詳しい。

 習近平の第2期政権が発足して以降、中国共産党の理論誌「求是」は「中国こそが世界最大の民主国家だ」と喧伝している。

 他方で当局の締めつけは一段と強化されていると言われることなどから、改革派知識人からは批判が挙がっているとされる。「民主国家」と言いながら「締めつけ」では矛盾も甚だしく、批判は当然であろう。

 また、政権が全力を挙げて進める「一帯一路」では、契約の齟齬からあちこちで綻びが出始めている。

 いくつかの国での事業の中断も報道され、信用が失われつつある。そうしたことから、日本をAIIB(アジアインフラ投資銀行)に誘い込み、「信用の回復」につなげようとしているようだ。

 「賢者は歴史に学ぶ」と言われる。中国が日本に接近した歴史に学び、過ちを繰り返さないことが肝要である。

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中国の覚醒と共産党存続に日本を利用

 アヘン戦争で英国に敗北した清朝では、西洋に見習えと富国強兵を目指して洋務運動が起きる。

 しかし清仏戦争に負け、洋務運動の失敗が証明される。続いて日清戦争に敗北すると、「日本に学べ」と日本熱が高まり、留学生が多数押し寄せて来る。日本に亡命していた康有為や梁啓超の啓蒙運動が留学生に与えた影響は無視できないと言われる。

 黄文雄氏は「腐敗した清朝を転覆し、300年近くにわたる中国統治に終止符を打たせたのが1911年の辛亥革命である。

 それを推進した革命思想は日本で醸成され、発展し、そして中国へ発信された。その担い手が、若き清国の留学生たちだった」(『近代中国は日本がつくった』)と記述している。

 梁啓超は東京で「新民叢報」を創刊し、多くの留学生を立憲思想に目覚めさせたとされる。梁は「中国には家庭の倫理はあっても、社会倫理はない」と指摘し、中国の本質を暴いている。

 黄氏は中国本土では新民叢報の海賊版が出るほどで、郭沫若も毛沢東も熱心な愛読者だったと述べ、 清国は国家の再建のために留学生を派遣しながら、かえって国家の逆賊を拡大再生産する形になったともいう。

 佐々木更三日本社会党委員長は1964年の訪中時、人民大会堂で毛沢東と会見した。

 佐々木が「日本軍国主義が中国を侵略して大変ご迷惑をおかけしました」と述べると、毛は「謝ることはありません。日本軍国主義は中国人民に大きな利益をもたらしました。皇軍なしには権力奪取は不可能でした」と述べる。

 毛沢東の戦略は日本軍と蒋介石の国民党軍を戦わせて双方を消耗させ、共産党軍は後方で勢力拡大を図るというものであった。

 国共内戦で一時は消滅の淵に立たされた共産党であったが、コミンテルンの指導もあり、国共合作して日本軍に対処するが、実際に正面で戦ったのは国民党軍であった。

 毛によると、30万人いた共産党軍は内戦で2万5000人まで減る。その後皇軍と戦うために国共合作して120万人の軍隊になったという。

 中国共産党の存続と拡大、そしてその後の政権奪取に日本(軍)はまんまと利用されたわけで、「大きな利益をもたらした」というのは毛沢東の本心でもあったろう。

 しかし、江沢民以降の中国共産党政権は、ナショナリズム高揚のために南京攻略戦で日本軍が大虐殺したなどと歴史の捏造に注力してきた。

 習近平政権になってからはさらに慰安婦や安重根まで登場させるプロパガンダに勤しんでおり、突然露わになった微笑には隠された意図が見え見えのようだ。

「反覇権」をしつこく日本に要求

 覇権主義という用語が出てきたのは1972年2月の米中共同声明(上海コミュニケ)においてが初めてであるとされる。

 その後の1973年8月、中共10全大会における周恩来報告は「米ソ両超大国の覇権主義に反対しなければならない」と述べ、75年1月の新憲法も「超大国の覇権主義に反対しなければならない」と記述する。

 「覇権主義」とは、ソ連のブレジネフによる対外政策や米国がアジアに集団安全保障を実現させようとしたことを非難したものとされる。

 また、米国がソ連と結託して第3世界を押さえつけようとする動きを示すとき、中国は、これを「2つの超大国」の「覇権主義」と呼んで非難した。

 日本と中華人民共和国は、1972年9月の日中共同声明を踏まえて、78年8月12日、北京で平和友好条約を締結する。

 共同声明には「日中両国間の国交正常化は、第三国に対するものではない。両国のいずれも、アジア・太平洋地域において覇権を求めるべきではなく、このような覇権を確立しようとする他のいかなる国あるいは国の集団による試みにも反対する」主旨の文言がある。

 平和条約では第1条で主権・領土の相互尊重、相互不可侵、相互内政不干渉、第2条で反覇権、第3条で両国の経済的・文化的関係の発展、第4条で第三国との関係について記されている。

 当時は中ソ対立が激しい時代であり、中国は主たる敵を米ソと見ていたが、米国とは1972年のニクソン訪中で国交を回復して米中関係を改善する。そしてソ連を牽制するために「反覇権」を文言の中に入れるように強く主張した。

 しかし日本政府は北方領土問題を抱え、日ソ平和条約を視野に入れてソ連と交渉を進める立場から、この「反覇権」条項を日中平和条約に入れることには難色を示した。

 共同声明から条約締結まで6年を要したのは、「反覇権」条項と「第三国」条項で最も論議を呼んだからだとされる。

 中国は自国が弱いときには、日本に対して反覇権の立場支持を強力に求めてきた。

 条約締結2か月後、条約批准書交換のセレモニーに参加するため中国の指導者として正式訪日した臂平は、改革開放の壮大な青写真を心に描き、中国をいかに発展させていくかを考えていたとされ、記者会見で中国の現状と近代化について次のように語っている。

 「正しい政策を作るには、学ぶことがうまくなければならない。そうすれば、海外の進んだ技術と管理方法を我々の発展の起点とすることができる」

 「まず必要なのは、我々が遅れていることを認めることだ。遅れていることを素直に認めれば、希望が生まれる。次に、学ぶことがうまくなければならない」

 「今回日本を訪れたのも、日本に教えを請うためだ。我々はすべての先進国に教えを請う。第三世界の貧しい友人たちが培ってきた価値ある経験にも教えを請う。このような態度・政策・方針に基づいてこそ、希望を持つことができる」

 謙虚そのものである。

 しかし、国力を増大させた今の中国にこうした態度は一切見られない。それどころか、「わが国の社会主義民主は最も広範で真実性があり有用な民主だ」(第19回党大会における習近平総書記発言)と語ったように、「習近平による新時代の中国の特色ある社会主義思想」を語ってやまない。

 その延長線上に、南シナ海や尖閣諸島問題があり、また対馬海峡や津軽海峡などでも平然と領海侵犯を続ける横暴さがある。

 また「太平洋には中国と米国を受け入れるに十分な空間がある」と、太平洋支配の野心を隠そうともしない。

 覇権反対は臂平が「韜光養晦 有所作為」(能力を隠す一方で力を蓄えつつ、取るべきものを最低限取っていく意)といったように、力がつくまでの方便でしかなかったわけで、日本はその片棒を担がされてきたということであろう。

2度にわたる天皇の政治利用

 1985年8月15日、中曽根康弘首相が靖国神社参拝をしたことから日中関係は停滞する。89年には中国人民が民主化を要求して起ち上がるが、戦車を出動させて鎮圧する天安門事件が起きた。

 中国共産党政権は世界で孤立し、先進国からの援助がストップする。経済制裁を受けた中国は、前年の11.3%の高成長から一転して4.1%(中国の数値の信頼性は低く、1%台との数値もある)に急減速する。

 外交的孤立から脱却するため、中国政府は日本に歩み寄ってくる。海部俊樹首相が西側首脳としてはじめて訪中、中国側から天皇訪中の打診を受け、次の宮沢喜一内閣によって92年10月の天皇訪中が実現する。

 天皇訪中には国内の保守強硬派はいっせいに反発した。藤尾正行・元文相は自民党総務会で「天皇陛下が政治に巻き込まれる恐れがある」と反対を表明。

 3月末には「天皇陛下のご訪中延期を願う国民集会」が開かれ、▽天皇の政治利用につながる▽中国は日本の教科書記述や首相の靖国参拝に干渉した▽天安門事件以降、人権抑圧を強める中国への訪問は世界各国から誤解を招きかねない―などとして訪中反対を決議した。

 5月には「日本会議」の前身である「日本を守る国民会議」などの代表者らが、宮沢首相に反対を申し入れた。底流には「朝貢外交になる」との反発もあったとされる。

 銭其琛元副首相(外交担当)は回顧録『中国外交20年の証言(外交十記)』で、1989年の天安門事件を受けた西側諸国の制裁を「打ち破る最良の突破口だった」と記述し、天皇訪中を政治的に利用した事実を認めている。

 中国の狙い通り、 陛下の訪中実現の影響は大きかった。その後、欧米諸国の多くが積極的に中国との政治・経済分野の交流を再会し、中華人民共和国は再び経済成長の道をひた走るようになる。

 靖国参拝や尖閣問題を解決することなく、中国共産党独裁政権の正当化と威信拡大に存分に利用されたわけである。

 2009年12月15日には、習近平副主席(当時)が1か月前までに申し込むルールを無視した陛下との会見要望で政治問題化するが、鳩山由紀夫政府の要請で特例会見として行われた。

 羽毛田信吾宮内庁長官は「陛下に心苦しい思いでお願いした。二度とこういうことがあってはならない」と苦言を呈した。

 陛下の政治的利用につながるという懸念を持っているか?という記者からの質問に対し、「大きく言えばそういうことだ」と述べ、民主党政権と幹部の言動を批判した。

 小沢一郎民主党幹事長は、「あいつこそどうかしている。天皇の権威をカサにきている」「天皇陛下にお伺いすれば、(特例会見を)喜んでやってくださるものと私は思っております」などと述べる。

 大原康男國學院大學教授は、「卑屈な政治的配慮」、「小沢氏は国事行為をよく理解せずに質問者を恫喝しているようだ。天皇は政権のいうことを聞けばいいと言っているようにも聞こえる。いずれにしろ不勉強であり、政治利用そのものの発言だ」などと語っている。

 宮内庁には多数のメールや電話が届き、多くが長官発言を支持するものであり、民主党に対しては批判が殺到したとされる。中国の政治利用に振り回された顛末の国内不協和であった。

習近平の微笑が差し出す「泥舟」

 平成29年11月、ベトナムのダナンで開催されたAPEC(アジア太平洋経済協力会議)時の安倍晋三首相と握手する習近平国家主席の笑顔に吃驚した。それ以前の首相との5回の会談ではそっぽを向いたり、苦虫を噛み潰したような顔ばかりが目立ったからである。

 習政権の5年間は「反日」と「反腐敗」であったとされる。

 「産経新聞」(平成29年11月12日付)によると、首相の地球儀外交で太平洋とインド洋に面した国々による対中包囲網が広がりつつあること、ドナルド・トランプ政権の誕生で日米同盟が強化されたこと、10月の共産党大会で2期目の指導体制を確立したこと、中国経済が変調をきたしていること、そして憲法改正の阻止が日本へ接近させているという。

 首相が昨年5月改憲目標を掲げて以来、中国は駐日大使らを通じて改憲への懸念を何度も伝えてきているという。

 日本側が「自分たちで国を守れるようにするためだ」と説明しても、中国側は「実際には北朝鮮情勢を利用して改憲しようとしているのではないか」と疑念を隠そうとしないそうで、内政干渉もいいところだ。

 また、昨年の19党大会で習近平氏に権力の集中が見られた。

 これは権力闘争の結果だけではなく、自国経済が「中所得国の罠」(中所得国のレベルで停滞し先進国入りが中々できない状態)に突入しつつある経済を回避するための改革が必要であり、権力の一極集中なしには改革を実行できない中国のジレンマを象徴していると宮家邦彦氏は述べる(「産経新聞」平成29年11月3日付「中国に『普遍主義』外交を促せ」)。

 現行の国際法秩序を破壊して、2049年までに「中華民族は世界の諸民族の中で聳え立つ」と豪語する習主席が狙うのは米国をも睥睨する覇権国家で、名づけて「社会主義現代化強国」だそうである。

 自由や人権を含めた、いまの日本人が理解する価値観とは全く異なる価値観をもった国家の登場である。

 「一帯一路」を軸に関係国に投資してインフラ整備を行い、影響力を及ぼそうとしている。

 しかし、資金を賄うAIIBについて、麻生太郎副総理兼財務相は「どれだけノウハウがあるのか、お手並み拝見とみている。金を借りた方も計画を立てて返済しないと、サラ金に取り込まれちゃうみたいな話になったら、元も子もない」と懸念を示している。

 産経新聞の田村秀男編集委員は「死のロードに巻き込まれるな」「大甘の『一帯一路』参加論」(同紙、平成29年12月31日付)で、新規契約は拡大し習政権の意気込みを反映しているが、「プロジェクトの実行を示す完成ベースの伸びは鈍い。中国企業による一帯一路沿線への進出を示す直接投資となると、水準、伸び率とも極めて低調だ」と述べ、一帯一路やAIIBへの参加を「泥舟に乗るようなものだ」と締めくくる。

 英独なども参加して発足したAIIBであったが、最近の評判は必ずしも良くない。東欧の国々では、西欧に対する投資規模に及ばず十分な成果が得られていないとして失望感も出ているとされる。

 また、パキスタン、ネパール、ミャンマーでは、中国が関与するインフラ建設案件が相次いで中止や延期に追い込まれたという。支援の見返り条件が厳しすぎることに加え、軍事転用の懸念が拭えないことなどの様である。

 このほかにも、バングラデシュやインドネシアの案件も計画通り進まず、暗礁に乗り上げていると言われる。専門家は「国際ルール無視で中国方式のみで対外支援を強行し軋轢を生んだ」と指摘している。

 中国は欧州で企業買収を盛んに行っている。しかし、EUは警戒し、買収対策の強化に乗り出している。米国も中国の国営企業による米企業の買収を阻止するよう議会に勧告している。

 中国に展開する内外の企業には中国共産党の介入が公然と行われるように法改正されたため、ドイツの企業は介入方針に抗議し、中国からの撤退も考慮しているとされる。

 また、親中政権と見られていた豪州の政権が中国を念頭に、不当な内政干渉を阻止するための法案を準備していることも判明した。

おわりに

 忘れてならないことは、中国が自由・民主主義否定で社会主義体制の一党独裁国家であるという点だ。

 日本人にとって言論の自由が認められない国での生活は想像できない。『新潮45』(2017年11月号)で保坂正康氏が「『安倍晋三』はCランクの首相である」と書いていた。

 保坂氏は国家の安全や自主性には関心がないようだ。一般には評価が高い岸信介首相はAランクにもBランクにも含めていない。

 「野党の質問に居丈高になり、・・・野次をとばしたり、という態度は、他の首相にはまったく見あたらない」と書く。野党がどんな質問をし、首相がどんな野次を飛ばしたのか、全く詮索しない感覚の持ち主のようだ。

 吉田茂首相が「バカ野郎」と言い、池田勇人首相が「貧乏人は麦を食え」と上から目線で吐いたことも記憶にないようだ。

 権力者を批判するのはジャーナリストや文筆家の特権ではあろうが、日本や自由民主主義国家だから許されるのであって、世界には時の権力者をこき下ろしたら、生きてはいけない国も多い。

 中国で民主化を訴え続けた劉暁波氏のノーベル賞受賞から死に至るまでの報道、そして香港の禁書書店長や人権擁護派の弁護士などに対する迫害等を通して、われわれは中国の在り様を見てきた。自由も人権も全く蔑ろにした国家、それが中国である。

 中国の微笑外交に誤魔化されてはならない。結果的に不本意な中国の発展に寄与してしまったからである。中でも今次の微笑は「特色ある社会主義」を発展させるための日本への接近である。

 中国は南シナ海に関する仲裁裁判所の判決を「紙屑」と称し、香港返還後の50年間は「一国両制」とした英国との協定を一方的に破棄した。フィリピンやベトナム、英国などが日本に接近している現実も、対中嫌悪が関係しているからであろう。

 世界秩序の確立に関係することであり、言論の自由がない国家に世界が牛耳られないためにも、日本は主体的に対処していくことが大切であろう。

筆者:森 清勇