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作者はミュージカル「ハミルトン」の原作者

 年末から年始にかけて米国内で売れに売れている本がある。米大統領経験者として初めて日本を訪問したこともあるユリシーズ・グラント第18代米大統領の一生を描いた「Grant」である。965ページの超大作だ。

 著者はロン・チャーナウ氏。大ヒットのブロードウェー・ミュージカル「ハミルトン」(アレキサンダー・ハミルトン第1代財務長官の物語)の原作者。

 これまでにもジョージ・ワシントン初代大統領をはじめモルガン財閥の創始者ジュニアス・モルガンやジョン・D・ロックフィラーの伝記を書いている。2010年にはワシントンの伝記でピューリッツアー賞を受賞している。

 歴史上の人物を徹底的に調べ上げ、新たな視点から人物像を絶妙の筆致で描き出す伝記は多くの読者を引きつけてきた。日本で言うと、さしずめ司馬遼太郎のような作家だ。

 目下各紙ベストセラーのランキングではトップの座を占めている。

「書けば売れるチャーナウ」は「米国の司馬遼太郎」

Grant by Ron Chernow Penguin Press; First Edition edition (October 10, 2017)


 売れる理由は、まず第1にチャーナウ氏の新作だということ。今や彼が書けば読者は飛びつくのだ。これまで手がけてきた本はすべてベストセラーになっている。

 第2の理由は、グラント氏が、どこか、就任1年を迎えようとしているドナルド・トランプ大統領によく似ているからという声を聞いた。

 読書家の中学校英語教師、ボブ・ローリンさん(42)。ロサンゼルス在住の公立中学校で歴史を教える白人教師はこう筆者に語っている。

 「毎日テレビや新聞で連日報道されるトランプの妄言に皆あきれ返っているんですよ。待てよ、俺たちの大統領の中にこんなひどいのがいたかな、と思う」

 「これまで大統領と言えば、みなジョージ・ワシントン初代大統領とか、エイブラハム・リンカーン第17代、ジョン・F・ケネディ第35代大統領を思い浮かべる。何冊もの伝記も出ているし、米一般国民は彼らについては何となく分かる」

 そんな中、史上最悪の大統領の1人といったイメージのあるユリシーズ・グラント第18代大統領の本が出た。読んでみようじゃないか、っていう感じなんですね」

 「どれほどひどかったのか。トランプと比較したらと、興味が湧いてくるんです」

 確かにトランプ政権発足後、米経済は順調に推移している。経営者出身の大統領が何をやり出すかという期待感もある。年末やっと議会を通過成立した税制改正が追い風となるとの見方も出ている。

 一部に熱狂的な白人支持者がいる一方で、米国民の60%近くの人たちはトランプ氏に落第点をつけている。

 支持率は就任以降、4割を超えるか超えないか。2017年12月28日現在の各種世論調査機関の平均支持率は39.8%、不支持率は55.8%。

 政策もさることながら、むしろトランプ氏の人品骨柄と言うか、言動に皆、辟易しているのだ。

南北戦争の「英雄」必ずしも大統領には適さず

 オハイオ州の製皮業者の息子として生まれたグラント氏は陸軍士官学校を卒業し、南北戦争では武勲を重ね、英雄となる。その後、北軍勝利の英雄として絶大なる人気を浴び、推されて大統領になってみたもののだった。政治経験はゼロ。

 閣僚人事ではウォール街の金融業界の大物や陸軍時代の旧友などを集めた。この「仲良し内閣」が政治音痴の「将軍大統領」の足を引っ張る。閣僚や補佐官たちが次々とスキャンダルを起こし、汚職を繰り返す。

 グラント大統領自身は、リンカーン大統領による奴隷解放宣言(1863年)以降の「リコンストラクション期」(南北戦争後の再建期)における諸問題の解決に奔走する。

 しかし北部と南部諸州との「しこり」解消や黒人の法的地位の確立などまったくうまくいかなった。さらに原住民(アメリカインディアン)の保留地政策を推進するが、強引な囲い込み策が裏目に出る。

 当時の国内分裂の状況は、トランプ政権下の米国の現状にそっくりなのだ。「仲良し内閣」内のスキャンダル騒動もロシアゲート疑惑に振りまわれるトランプ政権によく似ている。

明治天皇に「民主主義とは何たるか」をご進講

 ところがこのグラント氏は、大統領を辞めてから外交面で大活躍するのだ。

 特に日本との関係では、グラント氏は1879年、米大統領経験者として初めて訪日した歴史上の人物として知られている。

 滞在中は、当時26歳だった明治天皇に会い、訪日前に訪問した欧州情勢にはじまり、諸外国からの借款問題、対日不平等条約、教育や招聘外国人教師の問題に至るまで進講したとされている。

 これに対し、明治天皇はグラント氏に「発言を多とする。よく検討させてもらう」と感謝の意を表したとも言われている。

("Remembering Ulysses S. Grant's visit Japan," Hiroshi Chida, Stars and  Stripes, 4/8/2004)(参照=https://www.stripes.com/travel/remembering-ulysses-s-grant-s-visit-to-japan-1.22915)

 本書は、このグラント氏の訪日について詳しく記述している。

 大統領を引退したグラントはリチャード・トンプソン海軍長官から地中海からスエズ運河を経てインド、中国、日本を訪れる政府所有の汽船に乗って世界旅行をしないかとの誘いを受ける。1877年5月から1879年9月までの2年間の旅だった。

 友好親善と通商促進を目的した米代表団の団長に『武勲のある前大統領』を据えることで米国の「威厳」を示そうとしたわけだ。ある意味では失意のうちにホワイトハウスを去った前大統領の名誉挽回を狙ったとも言える。

 それをグラント氏は快諾したのだ。2年にわたる外遊で最後の訪問先日本を訪れる前に清国を訪れ、恭親王と会う。

 親王は当時日本との間で外交論争になっていた琉球(沖縄)帰属問題*1でグラント氏に調停役を依頼する。グラント氏はその要請を受けて、伊藤博文内務卿(当時)ら政府高官とこの問題でついて協議。日本側から日清交渉合意を取りつけた。

*1=清国は琉球の帰属を主張、グランド氏の調停で日本は中国国内での欧米並み通商権を認めさせることを条件に宮古・八重山を清国に引き渡す「分島・増約案」で合意。日本は1895年、日清戦争で勝利したため琉球問題はあいまいなまま日本に帰属。

日本は前大統領を礼砲21発で元首級待遇

 「グラント前大統領を乗せた『リッチモンド』が長崎に到着したのは1879年6月21日(9月3日に離日)だった。

 日本政府は礼砲21発*2で同氏に最大級の敬意を表した。天皇の特使が出迎えに出た。その夜は由緒ある寺で歓迎の宴が開かれた55品のコースが出された。

 グラント氏は近くの公園にベンガル産菩提樹を植えた。その横に建てられる石碑に刻まれる銘文にこう記した。

 『この樹木が立派に育ち、未来永劫、生き続けること、そして日本国の末永い繁栄と成長を象徴することを心より望む』

 グラント氏は米国を発って約半年の外遊で多くの諸国を訪れたが、ことのほか日本が気に入ったようだった。彼はそこに美しさ、調和、洗練さの典型を見出したのだ」

 「自然の美しさとともに日本人の優しさと清潔さに魅了されたのだ。それは世界中で最高のものだった。視察した学校での水準の高い、規律正しい授業。それらが東アジアで最も優れた人々を創り出していることを実感したのだった」

*2=礼砲21発は、当該国の国旗および元首(天皇、国王、大統領など)に対して行われる最大級の歓迎を意味する。

病床のグラント氏に駐米大使を4回も遣わせた明治天皇

 米国内では「最低の大統領」といったイメージの強いグラント氏だが、日本では「米歴代大統領としては最も尊敬された人物」だった。特に明治天皇がグラント氏に抱く尊敬の念、親近感は絶大だった。

 半年にわたる外遊から6年後の1885年、グラント氏は病に倒れた。その知らせは聞いた明治天皇は直ちに駐米大使を見舞いに遣わした。その年、グラント氏は他界する。駐米大使はその間、明治天皇の命を受け4回もお見舞いに行っている。

 1929年、グラント氏の訪問50周年を記念して上野公園内に石碑が建立された。35年には同氏の没後50周年の式典がそこで催された。47年以降、毎年、同氏の命日には追悼式が行われている。

(参考=https://wiki.samurai-archives.com/index.php?title=Ulysses_S._Grant)

 大統領を辞めた後のグラント氏の「外交手腕」は日本でも今も生き続けている。

 明治天皇との「絆」のなせる業なのだろうが、米国内で一般向けに評価されるのはおそらくチャーナウ氏の手による本書が初めてではないだろうか。

 2018年も厳しい政権運営が迫られているトランプ大統領。安倍晋三首相は積極的なアプローチで「ドナルド・シンゾー」関係を築き上げ、トランプ大統領はにわかに「親日大統領」になったわけだが、米国内ではそのことを評価する声はあまり聞かない。

 それよりも「トランプと親しい国はイスラエルと日本だけ」(国務省担当の主要紙記者)と皮肉を言う者もいるくらいだ。

 さて、そのトランプ大統領は、これから10年後、50年後、米国ではどのような評価を受けるのだろうか。そして日本ではどのような大統領として歴史に刻まれるのだろうか。

筆者:高濱 賛