エディ・クラーク逝去、モーターヘッド立役者の一人が歩んだ音楽人生

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ゥ侫.好琵ゥ┘妊・クラークはモーターヘッドの過去の作品に数多く参加していたギタリストであり、ファストウェイの創立メンバー。米国時間1月10日(水)肺炎で入院中に67歳で他界した。

モーターヘッドはFacebookで、クラークが肺炎で入院中に亡くなったと彼の死去を発表した。

「俺たちも今夜、ついさっき聞いたばかりのニュースに衝撃を受けて悲しみながら、このニュースをみんなに伝えている。俺たちみんなが慣れ親しんで愛したファスト・エディ・クラーク、本名エドワード・アラン・クラークが昨日穏やかに永眠した。ファスト・エディ、そこでも大声で叫び、ロックし、ロールし続けてくれ、全力でな。お前のモーターファミリーがお前に望むのはそれだけだ!!!」と声明を出した。

モーターヘッドでのクラークのギターは、フロントマンだったレミー・キルミスターのリード・ベースに絡むように、ゆるくロックンロールする自由奔放なプレイだった。彼のギター・ソロは78回転にしたチャック・ベリーのようだった。このスタイルをさらにメタル寄りにしたのがファストウェイでのプレイだ。このバンドは、元UFOのベーシスト、ピート・ウェイと結成したモータ―ヘッドよりも商業的なハードロック・バンドである。モーターヘッドのロックな気概がイギリス国内で受けた一方、ファストウェイの都会ずれしたイメージ、クラークのロックンロール・リフを中心に据えた楽曲は、80年代半ばにアメリカのヘッドバンガーたちの心に強く響いたのだった。

クラークの後釜としてモーターヘッドに加入したギタリストのフィル・キャンベルはこんなふうに書いている。「なんという衝撃だ。彼のアイコニックなリフは彼自身とともに永遠に語り継がれるだろう。彼は本物のロックンローラーだった。エディ、安らかに眠ってくれ」

元モーターヘッドのドラマー、ミッキー・ディーの投稿は次の通り。「なんてことだよ。本当につらい知らせだ。スリー・アミーゴスの三人目までが逝っちまった。最後にエディに会ったのはそれほど前じゃなくて、その時はとても元気そうだったから、このニュースの衝撃度はハンパない。俺とエディはいつだってウマが合っていた。今年の夏に(スコーピオンズで)彼と再会することを楽しみにしていたのに。レムとフィルシーはあっちでまたエディとジャムれるじゃないか。耳を澄ましてみれば、連中のジャムが聞こえるはずだ。みんな、気を抜くなよ!!! エディの家族と親しい人たちのことを思っている」

メタリカのカーク・ハメットは次にようにツイートした。「最後のエースが去ってしまった。ファスト・エディは彼の音楽と共に生き続ける。安らかに眠って欲しい」 これにラーズ・ウルリッヒが付け加えた。「君のソロに感謝する。君の姿勢に感謝する。世界で一番クールなバンドだったことに感謝する。同じ道を歩こうと俺に決意させてくれたことに感謝する」

1950年ロンドンで生を受けたクラークが真剣にギターを弾き始めたのが15歳。彼はモーターヘッドのオリジナルの黄金トリオの最後の生き残りだった。トリオのメンバー、(レミー・)キルミスターとドラマーのフィル”フィルシー・アニマル”テイラーは共に2015年に他界している。モーターヘッド加入前に彼が参加していたバンドには、ビター・エンド、カーティス・ナイト・ゼウスなどがある。1976年にモーターヘッドに加入。これはモーターヘッドが結成されて1年後のことで、テイラーとの出会いによってオリジナル・ギタリストのラリー・ウォリスのサウンドを補強することになったためだ。テイラーはクラークが修理していたボートハウスの仕事に応募したのがきっかけで、彼らの知り合うこととなった。ウォリス脱退後、1977年にモーターヘッドはセルフタイトルのデビューアルバムをリリース。クラークはバンド初期の頃に行ったマンチェスターでのギグで「ファスト・エディ」というニックネームを貰った(「あれは理に適っていた。エディは速弾きギタリストだったから」とキルミスターが自叙伝で記している) モーターヘッドでの役割は主にギタリストだったが、時にはボーカルも担当し、デビュー後の5年間、モーターヘッドの人気はうなぎ登りとなった。