鈴木宗男氏が『オリバー・ストーン オン プーチン』を読み解いた(編集部撮影)

2018年は3月18日にロシアの大統領選挙がある。ウラジーミル・プーチンが四たび大統領になることは確実だ。そのプーチンにオリバー・ストーンが1年8カ月をかけて密着取材をしたドキュメンタリーが、2017年6月、米、英、仏などで放送され大きな話題を呼んだ。
日本でもNHK「BS世界のドキュメンタリー」が3月1日、2日の2夜連続で放送する予定。なぜ、ロシアは米国に対抗するほぼ唯一の国たりえたのか? ドキュメンタリーを完全書籍化した『オリバー・ストーン オン プーチン』を読んだ鈴木宗男が、ここから北方領土交渉におけるプーチンの呼吸を読み解く。
(本記事は同書の解説記事の転載です)

べトナム戦争帰還兵であり、アメリカでもバーニー・サンダースなどの民主党の左にシンパシーを持つオリバー・ストーンがプーチン大統領に投げかけているのは、大国アメリカの過ちです。極東情勢についてこの本『オリバー・ストーン オン プーチン』では直接は触れられてはいません。

しかし、直接は語っていなくとも、日本との関係を考えるうえで示唆的な大統領のコメントが散在しています。本稿では、北方領土交渉に実際に携わり、プーチン大統領とも何度も会った日本の政治家として、そうした日ロ関係を考えるうえで重要な発言を読み解いていきたいと思います。

小渕総理からの特命を受けて

実はプーチンさんが大統領に当選して初めて会った外国の政治家は私でした。小渕恵三政権時代に私は小渕総理に呼ばれ、日ロ関係の特使としてロシアに行って新しく当選したプーチン大統領に会うことを厳命されました。2000年3月に行われた大統領選挙の9日後には、私はモスクワでその人と握手を交わしていたのです。

小渕さんが私に特命したのは長らく日本の悲願であった「北方領土」の交渉を進展させることでした。

「北方領土」は第2次世界大戦の前には日本の領土で日本人が住んでいた択捉島、国後島、色丹島、歯舞群島のことで、私の選挙区である北海道の根室の北にあります。日本は1952年のサンフランシスコ平和条約でアメリカの占領下から独立を回復し各国と国交を結びましたが、このサンフランシスコ平和条約に当時のソ連は参加していませんでした。ソ連との間には1956年の日ソ共同宣言で国交が回復します。この時、ソ連が歯舞・色丹の二島を日本に引き渡すことでいったんは妥結しかかりますが、日本側が国後、択捉も含めた四島の返還を求めるようになったため、平和条約の締結には至りませんでした。共同宣言では、第9項で平和条約締結後に、歯舞・色丹が日本に返ってくるということが日ソ両国で確認されたのです。

しかし、それ以降の厳しい東西冷戦対立のもと、日本でも四島一括返還を求める右バネが働き、交渉はまったく進展していませんでした。

ソ連が崩壊し、ロシアとなると、これが好機と、1996年に総理となった橋本龍太郎さんが、エリツィン政権と交渉をし、川奈提案と言われる大胆な提案をします。これは択捉島とウルップ島の間に国境線を引くというもので、エリツィンは「たいへん興味深い提案だ」と言っていたのですが、その後、エリツィンの健康状態が悪化、それもついえてしまっていました。

そうした中、小渕政権と森政権で、私は当時外務省の主任分析官だった佐藤優さんとともに、「北方領土特命交渉」を行ったのです。

当初、アメリカの同盟国として生きようとしたロシア

『オリバー・ストーン オン プーチン』を読むとよくわかるのは、エリツィン政権時代、ロシアはアメリカの同盟国になることで生きていこうとしていたということです。KGBは暗号の鍵をアメリカ側に渡し、経済はアメリカ型市場主義を一気に導入する形でソ連の社会主義経済からの移行が行われたことがわかります。しかし、そうしたウォール街流の資本主義を一気に導入することでロシア経済は混乱しました。政権と密着に結びつくオリガルヒと呼ばれる資本家が跋扈(ばっこ)し、国自体は、破産しかかります。

そうした時に、健康状態が悪化したエリツィンに代わって登場したのがプーチンだったのです。プーチンは、急激な市場主義を改めて、もういちど統制経済に戻します。オリガルヒたちも法のルールに基づいて経済活動をするように、統制されるのです。それをよしとしなかったオリガルヒは潰され、そのあたりから市場主義を信奉するアメリカとの関係があやしくなってきた、とこのインタビューを読むとわかります。

が、本書に書かれているように、統制型経済に戻したプーチン流の舵取りのほうが、ロシア国民にとってはよかったことは数字の上からも歴然としています。本書によれば、2000年のロシア国民の平均所得は2700ルーブルだったのが、2012年までには2万9000ルーブルにまで増えました。エリツィンから政権を引き継いだ時に、破産しかかった国家は、2006年にはIMFからの借り入れを完済するまでになるのです。

そうです。プーチンは何より経済に強い大統領でした。まず、ロシアは石油という武器がある。世界一のエネルギー資源を持っている。それを利用する国と戦略的関係をつくっていく、という明確な意志がありました。その意味において日本が重要で、極東の開発をし、極東に人を住まわせるということを重視していた。そのためには、自動車工場でもよい、電機工場でもよい、日本に出てきてほしい、そうしたメッセージを私は交渉の中で受け取っていったのです。

プーチンが尊敬する政治家の1人に帝政ロシア時代のピョートル・ストルイピンという人がいます。ロシア皇帝の下で戒厳令を施行し、革命派を容赦なく弾圧した首相でした。裁判の迅速化を図って軍事法廷を導入し、死刑になった人は即日処刑されるという苛烈な政策をとりましたが、「まずは平静を、しかるのちに改革を」という自身の言葉どおりに、さまざまな経済改革を行いました。

そのうちの1つに極東の開発がありました。プーチンはストルイピンの「極東に人を住まわせることがロシアの力だ」という言葉を2期目の大統領選挙の際、しばしばひいて、極東開発の重要性を訴えていました。

小渕・森政権と続いた私の北方領土の交渉のスタンスもそこにありました。ロシアとさまざまな経済協力を約束し、そのうえで、平和条約の締結にもっていく、そのようにして北方領土を日本に返すという道筋です。

そうした働きかけが実り、2000年9月にプーチンは、1956年の日ソ共同宣言の有効性をロシアの最高指導者として初めて認めてくれたのです。記者会見で、平和条約締結のあとに歯舞・色丹の二島は日本に引き渡すということで、ソ連の最高会議も日本の国会も批准している、これは約束そして義務だ、ということを言ってくれたのでした。

そして、森政権下の2001年3月に、この発言を文書化しました。イルクーツクで行われた首脳会談で、日ロ両国によって発表されたイルクーツク声明です。

このイルクーツク声明の日ロ両国の認識に従って交渉をしていれば平和条約の締結にまでいき、少なくとも二島は返ってきたと私は考えています。しかし、小泉政権に変わり、外務大臣が田中眞紀子になって、田中眞紀子と私の論争がボヤから火事になり、外務省の一部がそれに乗っかって、私が外交の現場からパージされてしまう。

この政変による権力の移動と、外務省の官僚たちの自己保身のおかしさについては、当時一緒に北方領土特命交渉で汗をかいてくれた佐藤優氏の『国家の罠』などの一連の著作、そして私と佐藤さんとの共著『北方領土「特命交渉」』に詳しく書いてあるので、ここでは触れません。

が、いずれにせよ、私と佐藤さんは東京地検特捜部の国策捜査によって逮捕・起訴され、そこからは、北方領土交渉の蚊帳の外でした。「蚊帳の外」どころか、小泉政権で、川口順子外務大臣が、イルクーツク声明について否定的な発言をして、プーチンは、あっ、もうこんな者とは付き合いきれないと、交渉がストップしてしまう。

それに続く第1次安倍、福田、麻生、民主党政権でも「北方領土交渉」が進んだわけではないので、日ロは「空白の10年」を迎えることになります。

プーチンはイスラム原理主義の台頭に気がついていた

それでも第2次安倍政権になったあとの2015年から再び日ロで交渉が始まった理由の1つに、西側の中で日本だけが小渕・森政権の時代に、チェチェンを人権問題としてとらえずにロシアの内政問題だとして、干渉しないという立場を表明したからです。

本書の1つの読みどころは、チェチェンを含むコーカサス地方で活動しているのはアルカイーダ系のイスラム原理主義者で、国際テロ活動の一環として紛争を起こしているのだ、ということをプーチンが証拠を持ってブッシュ大統領を説得するくだりです。

プーチンは、アメリカの諜報機関がそれらのテロリストたちを支援していることを諜報員の実名とその支援方法まで書いた書類を見せてブッシュ大統領に示し、解決を望みます。ブッシュ大統領は、「私がすべて解決する」と約束します。しかし、その後、何の対応もとられず、結局はCIAから『わが国は反体制派を含めたあらゆる政治勢力を支援する。その方針は継続』するという手紙がロシアの諜報機関に来て、終わりになってしまったことをプーチンは本書で嘆いています。

プーチンは、イスラム原理主義の国際的テロ活動に早い時期から敏感でした。まだ首相だった1999年8月にニュージーランドのAPECで小渕・プーチン会談が行われますが、この時キルギスで日本人4人が人質になる事件が起きていました。その事件のことに小渕さんが触れた時に、プーチンは「私は犯人が誰かわかっている」とすぐさま反応したのです。

さらにチェチェンからダゲスタンに武装勢力が進出しているがどうなっているのか、という小渕さんの疑問にプーチンは身を乗り出し、「キルギスの日本人人質事件も根は一緒だ」と畳み掛けます。

つまり9・11でワールドトレードセンターが破壊されるはるか前から、プーチンはイスラム過激派の国際テロネットワークというものが脅威だということがわかっていて、西側に警告し、協力してテロ対策に当たるよう働きかけていたのです。米国はそうしたプーチンの主張に耳を傾けなかったことがこの本では語られていますが、日本の外務省も同じでした。チェチェン紛争に関してプーチン政権がチェチェンの独立運動を弾圧している、という欧米の認識を日本の立場として表明しようとしたのです。

その時の外務省総合外交政策局長が竹内行夫氏でした。私は「プーチンの言うことには客観的証拠がある」と厳しく問いただし、日本はロシアの内政問題としてチェチェンに干渉すべきではない、と主張しました。竹内氏は、後に小泉政権で外務事務次官になり、私の最高裁判決が出た際の最高裁判事ですが、この時、面子を潰されたと感じたのではないか。

しかし、いずれにせよ、あの時日本が米国や欧州に倣わず、「チェチェンはロシアの国内問題である」と言い続けたおかげで「北方領土交渉」は細々といえどもつながっていくわけです。

日本のチャンスはここにある

プーチンは反米であったわけではありません。この本の中でオリバー・ストーンが、9・11の後のアフガニスタンの戦争で、勢力圏下にある中央アジアの国々に米軍が駐留することをロシアが許したのはなぜか、と詰め寄っている箇所がありますが、あくまで反国際テロの戦線を米国と張っていこうということだったのでしょう。

当時私は、タジキスタンのエモマリ・ラフモノフ(現、エモマリ・ラフモン)大統領と親交があり、アフガニスタンで戦争が始まる前日に、会談をしたことがありました。そこでラフモノフは私に、米国に制空権を与え、基地の使用を認めると初めて明かしました。そのことを記者会見で私は話しますが、これはCNNが1日じゅうトップニュースで流すような大きなニュースでした。タジキスタンとしては、そのことを米国でもプーチンでもなく、日本の政治家の私に伝えることで米ロのバランスを取ったのです。

『オリバー・ストーン オン プーチン』でのプーチン大統領のインタビューの言葉を読みながら強く印象を受けるのは、チェチェン・ウクライナ・シリアと続く紛争で、アメリカとの関係が非常に難しくなったことです。しかしだからこそ私は日本にチャンスがあると考えています。

日本が米ロの仲立ちをしながら動き、一方で北方領土問題の解決に向けて前進をするという戦略です。

2015年12月に私は安倍首相に呼ばれてこう言われました。

「来年は日ロをやりたい。ついては先生、協力してくれないか」

しかし、民主党が政権にいた時、私が党首を務める「新党大地」は民主党との選挙協力をしており、娘の鈴木貴子は民主党の議員でした。そのことを言うと、安倍総理は「心配しないでください。娘さんは自民党でしっかり育てます」と言ってくれました。私は民主党が共産党と全国的な選挙協力を始めていたことに筋の通らないものを感じていたことと、もう一度日ロのために働けるのならばということで安倍首相の話に納得したのでした。

「空白の10年」を経て、もう一度日ロ関係が動き出したのです。安倍政権は米国と違うスタンスでロシアと交渉する、しかも、交渉の基盤は森政権が枠組みをつくった経済協力をしながら、北方四島のことを考えていこうというものでした。

その交渉で、2016年の12月には、北方領土での共同経済活動をすることがまとまりました。読売新聞や日本経済新聞が二島返還か、三島返還かとあおって書いたものだから、期待値が上がってしまいましたが、この共同で経済活動をするということが合意できたということは大きな進歩なのです。

というのは、プーチンは1956年の日ソ共同宣言の認識に立っていることを認めているわけですから、平和条約が結べれば領土問題は解決する。平和条約の中に共同経済活動というのは含まれている。つまり平和条約への道が一歩進んだということなのです。

この本からまったく違う世界が見えてくる

米国とロシアの仲立ちという立場からの外交という意味では、北朝鮮の核問題もそうした外交方針が成功していると言っていいでしょう。あくまで話し合いをと主張していたロシアが国連での制裁決議に賛成したのは、2017年9月のウラジオストクでの安倍首相のプーチン大統領への説得が大きかったと私はみています。


『オリバー・ストーン オン プーチン』の面白いところは、西側の画一的な報道が描く「独裁者プーチン」とはまったく違うプーチン像が、プーチンの言葉を追っていくうちに浮かび上がっていくところです。私の逮捕に至るまでの報道もそうでしたが、米国一辺倒ではない、多角的な外交を本当に志すものは、西側では、さまざまな形でパージされていきます。それは官庁やマスコミの枢要な箇所が、アメリカ一辺倒の人々によって押さえられているからです。しかし、実は当事者であるプーチンの側から見える世界を素直に受け止めてみると、まったく違う道筋が見えてくるものなのです。

この本の基となったオリバー・ストーンのドキュメンタリーの評は、米国や英国では「独裁者の代弁者か」と厳しいものだったと聞きます。はたしてそうでしょうか? まずはプーチンの言葉に耳を傾けてみる。そうすると、日本にとっても違う世界が見えてくるはずです。