東京には、いろいろな妻達がいる。

良き妻であり、賢い母でもある良妻賢母。

夫に愛される術を心得た、愛され妻。

そして、あまり公には語られることのない、悪妻ー。

これは、期せずして「悪妻」を娶ってしまった男の物語である。

女性の美に並々ならぬ執着を持つ藤田は、若く美しい妻・絵里子と結婚する。

だが、奔放すぎる妻との暮らしに限界を感じ、ついに離婚。そして、気の合う同僚女性・友里江と再婚した。




藤田友里江の独白


去年は一人、また一人と友人たちが結婚していった年でした。

最後の砦だと思っていた同じ部署の先輩ですら、結婚相談所で出会ったという男性とスピード婚を決めたので…さすがに焦りましたよね。気がつくと、部署内で独身なのは自分だけになってしまったんです。

33歳。岐阜県から大学進学と同時に東京に出てきて、地道な努力が実り、無事大手と呼ばれる企業に入社することができました。

コツコツ真面目に生きてきた甲斐あって、都会でそれなりの生活をするのに困ったことはありません。

なんでも自分の裁量で自由にできる生活はすごく新鮮で毎日があっというまに過ぎて、気がつけば33歳になっていました。

すると私は段々、独りで暮らす寂しさを持て余すようになったんです。

フルタイムで仕事をし続ける辛さも感じ始め婚活をしようと街へ出ても、こちらがいいな、と思う男性は私に見向きもしません。

華やかで社交的でとびきりの美人か、不器量でも無垢で若い女の子ばかりが、次々に「見初められて」いきました。

そのどちらでもない私は、東京という大都会で、毎日自分の自尊心をすり減らすようにして暮らしていたんです。

だから…外での婚活に疲れ、今度は社内で結婚相手になり得るような素敵な人がいないかを改めて探しました。

そして目をつけたのが、藤田さんです。

藤田直樹さん。

39歳。中肉中背で、特に印象的な顔立ちでもないけれど、清潔感のある人でした。

私は、藤田さんのことを徹底的に観察することに決めたのです。


小野から見た、藤田直樹とは?


若くて綺麗な女への憎悪


まずは社内の人に、それとなく藤田さんのことを聞いて回りました。

藤田さんはSNSなどもやっていなくて自分から発信している情報は少ない上に、社内では「変わり者」で有名でした。

今まで表立った社内恋愛の歴史がないという情報も得ました。

これは、これから結婚し共に同じ会社で働くとしたらかなりポイントが高いです。

また、藤田さんは真面目でコツコツ仕事に打ち込むタイプで、変わり者とはいえ部署内では出世株として有望視されていました。

同じく地道に真面目にコツコツ頑張るタイプの私とは、気が合うんじゃないかと勝手に思ったりもしました。

そして、外で婚活を頑張って結果が得られない日々で藤田さんを見返すと、彼がものすごく結婚向きのいわゆる「優良物件」であることがますます実感されたのです。




そして、ちょっと打算的かもしれませんが、藤田さんの暮らしぶりもとても良いことも確認できました。

聞けば、やはりまずまずの家の息子さんだったということもわかり…。

これはすぐに行動を起こさないと、と思っていた矢先に、衝撃のニュースが飛び込んできました。

そう、藤田さんが一回り以上年下のものすごい美人と結婚したらしい、というニュースです。

もちろんショックでした。

でも、ショックに加え、好奇心が抑えられず奥さんの写真を見せて貰った私は、ふとこんなことを思いました。

どうして若く、美しい女だけがこんなに良い思いをするんだろう?と。

美しく生まれたという、ただそれだけで彼女たちは勝手に「見初め」られ、私は見向きもされない。

そんな卑屈な気持ちから、会ったこともないその奥さんのことが、憎たらしくて仕方がなくなっていったんです。

不思議なもので、人のものになったと思った瞬間、これまで以上に藤田さんのことが頭から離れなくなりました。

結婚した、と分かっていても藤田さんの姿を目で追うのがやめられなかった。

でも、そうやってずっと藤田さんのことを追い続けていたからこそ、私はこうして彼の妻になれたんだ、と思っています。

見初められないなら、自分から目にとまるように動く。

私みたいな女は、美人ができないこと、やろうとしないことを、とことん極めないと、自分の欲しいものを得ることが出来ません。

私が欲しくて欲しくてたまらなかったものをすんなりと奪っておいて、その人のプライドをめちゃくちゃにするような女。

そんな女に彼は勿体無い、という一心で、私は藤田さんに近づいて行ったんです。


絵里子と藤田のその後


本当の悪妻は、誰?




友里江との結婚では、絵里子との時とは正反対にすべてが「現実的」だった。

入籍、新居購入、結婚式、新婚旅行。

そのすべては友里江が段取りをしてくれ、自分はただ金を払うだけだった。

入籍後すぐ、白金にある中古の一軒家のローンを組んだのは時期尚早だったかもしれないが、友里江が見つけてきたこの物件は、5丁目という立地と坪数の狭さ、売主が売り急いでいたこともあり白金にしてはそう馬鹿高くない金額で購入できた。

局所的な不動産バブルに沸く今の東京では、同じエリアでマンションを買うよりもぐっと予算も現実的だったが、やはり身分不相応な買い物だったかもしれないと後悔することもある。

しかし、友里江は「まさか私が白金マダムになれるなんて」と嬉々として部屋を掃除してくれるし、毎日欠かさず味噌汁、ご飯とメイン一品の朝食を用意してくれる。

こんな風に尽くされると、35年ローンを組んだ甲斐もあったかもしれない、なんて思えてくるから不思議だ。

家を買ったこともあって以前よりは外食できる頻度が減っているが、友里江は一向に気にしない。

久しぶりの外食で『だし秀 西麻布』に行った時も、友里江はこう言っていた。




「ねぇ直樹さん、私ね、お家で細々としたことをするのも好きだし、こんな風に贅沢するのも、たまにでも平気なのよ。何より、お料理や直樹さんのお世話をするのもとっても楽しいの。」

そんな風に言う友里江のことを、両親や友人は皆が口を揃えて「いい奥さんだね」と言った。

確かに友里江は申し分ない。絵里子と違い、男の影もない。

ソファでくつろいでいれば、グラスにワインが注がれる。感情をむき出しにしてこちらに怒鳴ってきたりすることなど一度もない。

自分は、間違いなく幸せなはずだ。

夫に従順で、貞淑で、倹約家で、まるで絵里子とは比べものにならない女性を妻に迎えることが出来たのだから。

絵里子との結婚は、もしかしたら夢だったんじゃないかと思える時もある。

あまりにも非現実的で、刺激的過ぎる夢。

悪夢だったのか、それとも一時的にでも男の夢を叶えたのか。すべてが過ぎ去ってしまった今、自分には何もわからない。

最近、友里江が寝てしまってから、ベッドの上で絵里子の近況を見ることが癖になってしまっていた。

Instagramの絵里子のアカウント。

絵里子を見るためだけにアカウントを作り、日課のようにチェックしてしまう。

相変わらず、豪華な食事やホームパーティーの様子、そして時たま鏡越しに自分の姿を撮る絵里子の様子がわかる。

華やかな毎日を送っているようだし、デートに連れて行ってくれる男たちもいるようだ。

勝手だが、安心してしまう。

女には、特に妻という人生のパートナーには、確かにここまでの美しさは必要ない。

絵里子のことは、こうして眺めているくらいがちょうど良いのかもしれない。

夜中に、ひっそりと。

果たして絵里子の方は、自分のことを思い出したりするのだろうかー。

そんな想いにふけっていると、ふと寝ていたはずの友里江が、見たこともないような恐ろしい形相でこちらを睨んでいた。

(Fin.)