「自分が面白いと思う映画を作りたい」(筆者撮影)

これまでにないジャンルに根を張って、長年自営で生活している人や組織を経営している人がいる。「会社員ではない」彼ら彼女らはどのように生計を立てているのか。自分で敷いたレールの上にあるマネタイズ方法が知りたい。特殊分野で自営を続けるライター・村田らむと古田雄介が神髄を紡ぐ連載の第21回。

白石晃士氏(44歳)はホラー映画を中心に製作する映画監督だ。

『ノロイ』『口裂け女』『貞子vs伽椰子』などの劇場公開作品も評価が高いが、『戦慄怪奇ファイル コワすぎ!』は低予算のビデオシリーズにもかかわらず、回が重ねられるたびにナゾがナゾを呼ぶモキュメンタリー作品(ドキュメンタリー作品に見せかけたフィクション作品)として、数多くのマニアックなファンを獲得した。第1作であるFILE-01【口裂け女捕獲作戦】から5年経った今でも新作が待ち望まれている。

白石監督に、現在にいたるまでの道筋を伺った。

生まれた場所は、車の中だった


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「小さい頃は福岡県の……どこに住んでたのかな? 細かい場所はよくわからないんですけど。生まれた場所は、車の中だったらしいです」

父親は自衛隊員で自衛隊の官舎に住んでいた。2人の兄と姉に次ぐ4人目の子供だった。母親は自衛隊の官舎で産気づいたがなかなか救急車が来ない。仕方なく父親の車でかかりつけの病院まで向かった。

「病院に着くちょっと手前で出てきちゃったらしくて。父親は片手でハンドルを握ったまま、片手で私を落っこちないように支えたらしいです。車は血が飛び散って大変だったそうです」

しばらくは自衛隊の官舎で生活していたが、炭鉱町の小さな長屋に引っ越した。

ホラー監督らしい壮絶な産まれ方をしてきた白石監督だったが、子供の頃は大人しい性格だった。

「今も大人しいですけど、子供の頃はちょっと対人恐怖症的なところがありましたね」

親に「アイスを買ってきて」と言われて売店に行っても、お店の人に声をかけられず家に帰館。親にバレるのが恥ずかしくてずっと押入れに隠れていたという。

大きな影響を受けた作品

初めて映画にハマったのは小学校3年生頃だった。家にビデオが導入されて、テレビで放映された『ジョーズ』(スティーブン・スピルバーグ監督)を録画した。そして毎週休みのたびに繰り返し見ていた。そのうち、紙でサメ型のオモチャを自作して遊んだりした。

同じ時期に、必殺シリーズ(テレビ朝日系ドラマ)にもハマって、学校から帰って来ると初期シリーズの再放送を毎日見ていた。

「必殺シリーズの綺麗事じゃない、偽善を嫌うところが好きでしたね。聞こえの良いことだけじゃこの世の中やっていけないぜ!!って感じが良かったです」

そのうち近所にレンタルビデオ店ができた。当時は入会料金1800円、レンタル料金1本1泊1500円という非常に高い値段設定だった。

『遊星からの物体X』(ジョン・カーペンター監督)が貸し出されていたので、どうしても見たくて父親に頼んでみると、あっさり入会して借りてくれた。

「なんでもないふうを装ってましたけど、3300円は高いですよね。今思えば、父親はたぶん後で個人的にエッチなビデオを借りようと思って入会したんだと思うんです(笑)」

家族みんな集まった居間で、電気を消して『遊星からの物体X』を上映しながら夕食を食べた。

映画監督として、大きな影響を受けた作品になった。


B級のテイストあふれるアメリカ映画が好きだったという(筆者撮影)

その頃は、親に頼んで連れて行ってもらった『ターミネーター』(ジェームズ・キャメロン監督)をはじめ『バタリアン』(ダン・オバノン監督)、『コマンドー』(マーク・L・レスター監督)、『死霊のはらわた』(サム・ライミ監督)など、B級のテイストあふれるアメリカ映画が好きだった。

「『死霊のはらわた』にはずいぶん影響を受けて、小学校5年生のお楽しみ会のときに演劇をしましたね。段ボールに穴をあけて、後ろから手がバーン!!と出てくるとか。人がゾンビに襲われているって設定でしたけど、途中で白塗りになったりしたんで、先生や同級生たちには前衛芸術でもやっているように見えたかもしれません(笑)」

白石監督の父親はあまりおカネの使い方がうまくない人だった。

長屋住まいの後、一軒家に引っ越したのだが、父親の自衛隊の給料と、内緒でしていたアルバイト代、母親のパート代合わせてギリギリ払えるローンを組んでいた。

「電気とか水道はよく止まってましたね。借金取りからの電話もちょくちょくありました。休みの日は父親がパチンコ屋に行っているので、借金取りから電話があったときはパチンコ屋に電話をして予め決めていた偽名で父親を呼び出してました」

金銭的に厳しい環境で育ったためか、小学校の卒業文集に書いた未来年表もおカネの稼ぎ方が書かれていた。

「小学生の頃は漫画家になりたかったんですが、卒業文集には映画監督になりたいって書いてますね。

まずは働きながらビデオを買い集めて、レンタルビデオ屋をはじめる。レンタルビデオ屋で儲かったおカネで映画館を作り、買い集めたビデオを上映する。それで儲けたおカネで『童夢』(大友克洋)を実写映画化する。それで儲かったおカネで『AKIRA』(大友克洋)を実写映画化する……って書いてました。買ったビデオを貸したり上映したりしてる時点で違法なんですが(笑)。それでも小学生にしては妙にカネの流れに具体的な夢ですよね」

中学校に入ると、中洲にある映画館に通うようになった。

中学2年生の夏休みにレンタルで見た『狂い咲きサンダーロード』(石井聰亙監督)と深夜テレビで見た『ファントム・オブ・パラダイス』(ブライアン・デ・パルマ監督)に大きな影響を受けた。白石監督はこの2本の作品が、その後の方向性を決定づけたと語る。

教科書やノートに描いた漫画

小学校時代から勉強に力を入れたことはなく、宿題にも取り組めない性格だった。


『悪魔の教頭モンスター』(筆者撮影)

初めての達成感を得たのは、中学時代にノートに描いた漫画だった。『悪魔の教頭モンスター』というタイトルで、青年と廃棄物に突っ込んでバケモノ化した教頭先生が死闘を繰り広げるという、映画『悪魔の毒々モンスター』(ロイド・カウフマン、マイケル・ハーツ監督)のパロディを基本にした内容だった。

なぜ教頭先生が敵かというと、白石監督が教頭先生に叩かれたのを根に持っていたからだ。漫画『BE FREE!』(江川達也)、『うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー』(押井守)など当時、白石監督がハマっていた作品の要素を取り入れながら最後まで描いた。


『丸顔くん』(筆者撮影)

次に達成感を得たのは高校時代、授業の合間に数学の教科書のスミに描いた『丸顔くん』という漫画だった。

丸顔の男が歩いていて、好戦的な野良猫と出会いただただ戦うという内容だった。1年の数学の授業中、授業はそっちのけで丁寧に描いた。1年以上かけて2年のときに最後まで描ききった。

「宿題はできないけど、漫画なら最後までやれるんだなって手応えはありました。ただ漫画は、雑誌に応募してる人たちのレベルがものすごく高いですから、どう考えても勝てるわけないなって見切りをつけました」

そして高校2年のとき、初めて映像作品を作った。

学校で文化発表会という催しがありクラスで何かをやらなければならなかったのだが、誰も意見を出さないので手を挙げた。

『売店の男』という20分弱の作品だった。

校舎の中にあるプレハブの売店にナゾの大男が出てジュースを奪うというウワサが流れる。それを聞いた生徒たちが、超能力者の力を借りて大男と戦うという話だった。

当時の編集はビデオとビデオをつないでダビングするという手間のかかる手法しかなかったため、想像以上に時間がかかって完成は翌年になった。しかし時間はかかったけれど完成した。

映画ならプロになれるかもしれないと感じた。

映画作りに活発なサークルがある大学へ

高校卒業後は映画の専門学校に行こうと思っていた。だが両親からは「どうしても大学に行ってほしい」と言われた。兄弟は誰も大学に行っていなかったので、末っ子である白石監督にはどうしても大学に行ってほしかったようだ。

九州産業大学の美術学科ならばデッサンだけで入れるのがわかり、入学した。

九州産業大学に入ったのには、もう1つ理由があった。以前、西日本新聞に映画研究部の映画製作活動が取り上げられていたのを目にしたことがあり、映画作りに活発なサークルがあるんだなと気になっていたのだ。


映画研究部に入部し、すぐに映画を撮り始めた(筆者撮影)

「入学後はすぐに映画研究部に入りました。高校のときまで、満足するまで映画の話ができる相手がいなかったですから、そういう人たちが何人もいただけで楽しかったですね」

映画研究部に入った後はすぐに映画を撮り始めた。最初に撮った映画は『出会い』という5分ほどの短編映画だった。高校時代に描いた『丸顔くん』の実写版といえる作品だ。男が歩いている途中にもう1人の男と出会う。そして問答無用で殺し合いになる。ただそれだけの映画だ。

当時ハマっていた『その男、凶暴につき』(北野武監督)に影響を受け、バイオレンスに傾倒した作品になった。

大学へは実家から通っていたが、すぐに友人宅を泊まり歩くようになり、ほとんど家には帰らなくなった。

大学2年生になって友人と共同監督で『エディプスの失敗』という映画を撮った。石井聰互監督(現・石井岳龍監督)が開いていた実践映画塾という活動の一環で撮った作品だった。

自主製作の映画監督が、わがままな役者やスタッフに翻弄されて、最後はブチ切れて暴力を振るうというストーリーだ。主役である、映画監督役は白石監督本人が出演している。

映画の構造としては『戦慄怪奇ファイル コワすぎ!』に近い作品だ。

ぴあフィルムフェスティバルに応募したが、2次審査で落選してしまった。

その頃、実家の家計が逼迫し親が学校に授業料を支払わなかったので、そのまま大学を退学になってしまった。ただ大学は首になってしまったけれど、映画研究部には行き続けた。めんどくさい授業を受ける必要はなくなっただけで、特に困ったことはなかった。

その後、福岡では『水の中の八月』(石井聰亙監督)に制作部として参加したり、『袋小路に愛は猛烈』『暴力人間』などの自主製作作品を作ったりした。

「福岡で活動するうちに人脈はできましたけど、でもこのまま福岡にいてもらちが明かないなって思いました」

1997年10月、すでに東京に住んでいた先輩を頼り上京した。

最初は居候をしていたが、三鷹台に2万9000円の部屋を借りて住み始めた。

工場や荷揚げ屋のアルバイトをしながら映画を撮った。

福岡時代に出会った近藤太監督と共同監督で『風は吹くだろう』という作品を作った。モキュメンタリーとフィクションを織り交ぜたほろ苦い青春譚だ。

そして、この作品でぴあフィルムフェスティバルの準グランプリを獲得する。

「ぴあの準グランプリはとても良かったですね。次につながりました」

受賞後、プロとして初の仕事が来た。

『ウォーターボーイズ』(矢口史靖監督)のメイキング制作だった。DVDの特別版の付録用の映像だ。

「準備段階から撮影をはじめました。矢口史靖監督率いるプロの映画製作現場を客観的に見られたのはすごく勉強になりました。

『ウォーターボーイズ』の役者の中では、妻夫木聡君や玉木宏君など、いまだに活躍している人たちが多くて、いつも作品を見るたびに頼もしいなと思っています」

自分が作りたい作品とのズレがストレスに…

そしてついに現在の仕事にもつながる、心霊ビデオのドキュメンタリー作品のオファーが来た。

「正直、心霊モノにもドキュメンタリーにもあまり興味はなかったので、数秒だけ迷いました。でもアルバイトして生活するより、映像を撮って生活するほうが絶対良いですから、すぐに決めました」


心霊モノにもドキュメンタリーにもあまり興味はなかったという(筆者撮影)

そこからの2年間は、年間1週間も休めないほど忙しくなった。

心霊ビデオは2〜3カ月に1本のペースで撮影をした。その後アダルトビデオの監督のオファーもあり、そちらも引き受けることにした。この段階で、やっとアルバイトをしないでも食べていくことができるようになったが、それでも年収300万円には達していなかった。

身体的にはキツかったが、つねに映像を作っていられたのは楽しかった。ただ、自分が作りたい作品とはズレていた。そのズレがおりのようにたまり、ストレスになっていく。

「2年経った時点で、心霊ドキュメントもアダルトビデオも両方ともやめました。その後はフィクション作品しか撮らないことにしました」

そして『呪霊 THE MOVIE 黒呪霊』『日野日出志の怪奇劇場 怪奇!死人少女』などのフィクション作品を撮った。楽しかったが、全然おカネは儲からなかった。

生活するために借金を重ねて徐々に苦しくなっていく。

四苦八苦しているところに、白石監督の心霊ドキュメンタリーを見たプロデューサーから連絡が入った。話しているうち、一緒に企画をやりましょうということになった。

そうしてできた『ノロイ』は初の全国公開の映画になる。

上京して8年で全国映画の監督になれたのは、比較的早いといえる。

「おカネはそこそこ入ったので借金を減らすことができたのはありがたかったです。映画監督としてやっていけそうだなと思い結婚もしました。ただし達成感はあまりなかったですね。自分の評価が上がったとも感じませんでした。実際それ以降仕事が増えたということもないし、周りが変わるということもなかったですね」

以後『口裂け女』『タカダワタル的ゼロ』と劇場映画が続いた。白石監督的には満足な出来にはならなかった。劇場映画といえば聞こえはいいが1本の作品を作って稼げる額は決して楽な生活ができるものではない。

「共働きだったのでなんとかなりました。妻のほうが収入がよくてずいぶん助けられましたね。執筆しかすることがない時期は、駅まで奥さんを自転車で送ってました。朝ごはん、昼の妻の弁当、晩ごはんも作ってました。それくらいしかできることもないので(笑)」

なかなか自分の撮りたい作品を作るチャンスは回ってこなかった。

少しでも新しいことをやろうとするとプロデューサーから

「前例がないからダメ」

「ちょっと難しすぎる」

みたいな理由で却下されてしまう。

どんな提案をしても、結局プロデューサーがやりたいと思うことしかやらせてもらえない。自由がきくのは枝葉の部分だけだった。

「自分が面白いと思うものを、思うがままに作らせてもらえれば、きっとみんなが面白がってくれる作品になるのに……。そういう作品を作れていないままの状態なのをずっとまずいなあと思ってました」

低予算ホラーOVの企画が舞い込む

こうなったら自主製作で自分の作りたい作品を撮るか……と思っていたところへ低予算ホラーOVの企画が舞い込んできた。

この企画はほかでやれなかったことをやってほしいという、比較的自由度の高い依頼だった。

それまでの仕事は、

「ホラーを撮ってる監督みたいだしホラー作品をやらせてみるかな」

くらいの感覚しかプロデューサー側になかったがこの企画のプロデューサーは白石監督作品の面白さをわかったうえで依頼してきた。

これが『オカルト』という作品になり、劇場公開もされることになった。


『オカルト』(筆者撮影)

「予算は少なかったですけど、かなり好きに撮らせてもらえました。『オカルト』でやっと自分のやりたいことがやれたと思いました」

その直後に撮影した『グロテスク』も「上映できないくらい残酷なことをやってほしい」という依頼だったので、楽しく撮影することができた。

その後も学生時代に撮った『暴力人間』のリファイン作品である『バチアタリ暴力人間』をはじめ、『テケテケ』『シロメ』など定期的に作品は世に出していた。

「ただ興行的には鳴かず飛ばずな感じが続き、なかなか大きい作品が撮れなくてイライラしていました」

そんなとき『戦慄怪奇ファイル コワすぎ!』の依頼が来る。


『戦慄怪奇ファイル コワすぎ!』

それまでの作品よりもずっと予算が少ない作品だった。ほとんどが人件費で消えてしまう金額だ。

ただし、自由が与えられた。

「これは『伝説のシリーズ』にするしかないな、と思いました。伝説的な作品にならないなら、その予算で作る意味がない。自由に撮れるという部分を最大限に生かすことにしました」

普通の心霊モノのように始まるが、どんどん違う話になっていく。1作ごとに作品世界のルールが変わっていくという裏設定を作った。つまり映画のジャンルが変わっていくのだ。

見るたびにシリーズのイメージが更新されていく、そういう映画にしたかった。

「これは元をたどると『BE FREE!』(江川達也)の影響が強いですね。学園物ではじまったのに、アクション物になったり、宗教的な話になったり……章ごとにジャンルが変わるのがとても面白かったんです」

最初の契約は2本のみだったが、なんとか続編の製作が決まった。

回を重ねるごとに内容をエスカレートさせていった。

面白い映画を作りたいという「執念」

シリーズ初期はネット上にはほとんど反応がなかったが、3本目をリリースした後に反響が出始めた。

「ブログを見ると、私の作品をものすごくよく見てくれて、ものすごく理解してくれているファンの方がいました。そんなに自分の作品を理解してくれている人の言葉を目にするのは初めてで……。届いているな!!って思いました」

名古屋や北海道にて限定の劇場公開をしたりしてファンは増えていっていたが、劇的に知名度が上がったのは2014年だった。

「『戦慄怪奇ファイル コワすぎ! 史上最恐の劇場版』が劇場公開されるのにちなんで、ニコニコ動画で過去の作品を無料で流したら、思った以上の数の人に見てもらえました。見てもらいさえすれば、わかってもらえるんだと実感してうれしかったです」

かつて、

「自分が面白いと思うものを、思うがままに作らせてもらえれば、きっとみんなが面白がってくれる作品になるのに……」

と悔しい思いをした白石監督だったが、数年後に思うがままに作った作品で多くの人の心をつかんだ。

面白い映画を作りたいという白石監督の“執念”がシリーズを伝説にしたのだろう。

そして現在もシリーズは続いている。

「完結編を作ろうとしているのですが、私がなかなか脚本が書けなくて……。もちろん作るつもりではあるんですが」

その後は日韓で公開された『ある優しき殺人者の記録』や、『リング』(中田秀夫監督)シリーズに登場する貞子と『呪怨』(清水崇監督)シリーズに登場する伽椰子が激突する『貞子vs伽椰子』など、話題作を監督している。

「人智を超えた異世界」がある世界が舞台

白石監督の作品を見ていると、登場人物や世界観につながりを感じる場合が多い。

意識してつなげているのだろうか?


白石監督の作品は、登場人物や世界観につながりを感じる(筆者撮影)

「物語をリンクさせるのは、低予算で面白く見せていく方法の1つですね。視聴者がどこかでリンクに気づくと全部見たくなりますから。ただ無理やりつなげたりはしません。作っていてキャラクターの類似性に気づいたりしたときに、自然につながって面白いなと思えたらつなげてます」

白石監督は、幽霊を描くことにあまり興味がわかないという。「死んだ人間の呪い」というけれど、結局のところは人間にすぎないだろうと思う。

もっと人間を超越した力があったほうが面白い。

「私の作品は『人智を超えた異世界』がある世界を舞台にしています。

考え方としては、クトゥルー神話的なものが母体になっています」

クトゥルー神話とは、アメリカの作家ハワード・フィリップス・ラヴクラフトが作品のモチーフとした「太古に地球を支配していたおそるべき力を持つ異形の神々」の話だ。

クトゥルー神話は、日本でも人気が高く、ゲームや漫画のモチーフにされる場合が多い。


『貞子vs伽椰子』(筆者撮影)

たとえば『貞子vs伽椰子』の場合、貞子や伽椰子は幽霊に見えるが、白石監督のイメージの中では「異世界の霊的エネルギーに人間がイメージによって形を与えてしまった存在」ととらえている。

「クトゥルー神話はたしかに人気がありますが、クトゥルー神話をベースにホラー映画を撮っている人は日本では少ないんですよ。クトゥルー神話ってわかりづらいですから、プロデューサーに企画を通すのが難しいんです。

私の作品を見ている人には、同じ世界観の中で起こった話なんだな、と思ってもらえると思います」

新作『不能犯』も、公式には語られていないが、白石監督の中では白石ワールドにリンクさせている部分があるという。

白石監督は仕事の依頼が来なくなることに対する不安はあまりないという。仕事の依頼はなくならないという確信があるし、もしなくなっても自主製作で映画を撮ればいい。自主製作なら面白い映画が撮れるはずだから、そこから新しい映画を撮れるチャンスも必ず来るはずだと思っている。

映画監督としての身分や目先のおカネを追い求めるのではなく、“面白い作品”を作るという一点に執着する白石監督に好感が持てた。