エリートとはフランス語のéliteが由来で、「選び抜かれた人」という意味だ。

東京大学出身、その後大学院を経て世界的IT企業のアメリカ本社への転職が決まっている亮介は、まさに世に言う”エリート”。

ビザ取得のため、日本に一時帰国している半年の間に、亮介は日本での婚活を決意する。

やり直そうと思っていた元カノの里緒の噂に一時は振り回されるものの、大事なのは今の自分の気持ちだと気がつき、里緒に思いを伝えようと決心する。

しかし、亮介が思いを伝える前に、里緒が口火を切った。




里緒の思い


「不倫の噂、本当なの。」

私がそう言ったとき、亮介はとても驚いていた。

彼に昔の話をされた時、何で今さら2年以上も前の事を…と少し腹立たしく感じた。けれどそれは、私自身が過去と向き合えていなかったから、聞かれたくなかったのだ。でも、いつまでも過去から逃げてばかりはいられない。

亮介はすぐに穏やかな、優しい表情に戻り、こう言った。

「そっか…。でも、過去は関係ないって気がついたし、里緒が考え無しに、人や自分を傷つけるとは思わない。話したくなければ、言わなくて良いんだ。」

「うん、ありがとう。でも私が…亮介に聞いて欲しいの。」

そうして私は亮介に、なるべく思い出さないようにしていた過去の話を始めた。

亮介と別れた後、私はしばらく彼のことを引きずっていた。考えることから逃れるように、以前にもまして仕事に力を注ぐうち、部署異動することになった。

それまでは、営業兼事務だったのだが、専務の藤堂から抜擢され、専務直属の営業戦略部という、主にマーケット調査や数値目標の設定を行う部署に移った。

その会社では花形部署の一つで、営業戦略部は出世コースとされていた。

ー仕事が認められたんだ。

昔から誤解されることが多かった私は、人間関係を築くのが少し下手だった。

だから、成果を出せば認めてもらえるのではないかと、ずっと必死に仕事に取り組んで来た。その結果を認められたようで、心底嬉しく感じたのだ。

ーこれからはもっと頑張ろう。藤堂さんの期待に応えられるように。

しかし、そんな私を面白く思わない人達がいたようだ。小さな嫌がらせが徐々に目立つようになって来た。

ー大丈夫、気にしない。見てくれている人がちゃんといる。

そう思って気にも留めていなかったが、それが逆に気に入らなかったのだろう。さらに嫌がらせや身に覚えの無い噂は続いた。

段々と周りが敵ばかりに思えて、仕事上彼らに協力を仰がなければいけないときも、思うようにいかない。

気にしないと思っていても、やはり精神的ダメージが大きくなった。それを見かねた藤堂が、「相談に乗ってやる」と、食事に誘ってくれるようになった。

しかし、それが間違いの始まりだった。


里緒の言う間違いとは…?


藤堂という男


それから藤堂は、何度か食事に誘ってくれた。「旨いものを食べれば、嫌なことも忘れられるよ」と。

彼は人望が厚く、部下からも慕われていた。その上、社内でも有名な愛妻家だとして、女性たちの憧れでもあった。

けれども、私が部署を異動した頃からだったろうか?藤堂の左手薬指からは、指輪が消えていた。

一部の女性たちの間では「離婚したのではないか」との噂があったが、“あの藤堂さんが、まさか”と気にしていなかった。

しかしある夜、一杯だけ飲もうと行った先の『バー ハイ タイド』で、藤堂が神妙な面持ちで言った。




「実は、数ヶ月前に妻が出て行ったんだ。離婚届だけを置いて。」

藤堂からそう告白された時、私は心底驚いた。いつもの、自信に満ち溢れ、大きな懐で部下達を纏める藤堂とは別人のような、弱々しい声と寂しそうな横顔に、本能的に“放っておけない”と思ってしまった。

「それはお辛いですね…。私にできることがあれば力になりますので、言って下さいね。」

ただ自分を助けてくれた上司に少しでも恩返しがしたい、そんな思いから出た言葉だった。

「ありがとう、たまにこうして一緒にご飯を食べてくれるだけで、十分だよ。」

それから自然と一緒にいる時間が増えていった。上司と部下という関係だったので、この状況が周りから良く思われないとは分かっていたが、傷ついた者同士、離れることができなかったのだ。

そんなある日、私は酷く荒れていた。自分が進めていたシステム不具合の調査を発表した際、開発側にこっ酷く叩かれたからだ。

「その条件での使用には対応していないときちんと説明するように、と営業にきちんと言ったはずですが。お忙しくて忘れちゃいましたか?いつも色んな人のご機嫌取り、大変そうですもんね。」

そんな話は一切聞いていないし、明らかに開発側のミスだった。にも関わらず、認めたくない開発部長は、”一ノ瀬さんは取締役の愛人””取引先の常務とも寝ているらしい”などの、下らない噂を利用して、ミスを押しつけてきたのだ。

その場は何とか冷静に収めたが、私は悔しさで一杯だった。

夜、藤堂に誘われて食事に行った。すると彼は帰りのタクシーで、「俺もそっちに用があるから」と、一緒に乗り込んで来た。

それまでは全く触れることのなかった藤堂が、その日初めて私を優しく抱き寄せ、キスをした。

その途端、私は悔し涙が溢れて止まらなくなった。藤堂は私を落ち着かせるためとホテルに連れて行き、そのまま、一夜を過ごしてしまう。

「やってしまった…。」

朝、目が覚めて我に返った時、隣にいる藤堂を見てそう思った。正直に言うと、この時の私は藤堂が好きだった。でも、今の仕事を続ける以上、この関係は良くない。

「藤堂さんのことは本当に尊敬していますし、色々と助けて頂いて、心から感謝しています。けれど…仕事のことを考えると、今後は上司と部下以上の関係にはなれません。」

藤堂は、これまで見たことのないような表情をした。呆れたような、怒りに満ちたような。

藤堂と気まずくなってしまった頃、社内で私と藤堂の不倫の噂が広まった。藤堂と頻繁に食事に行くようになった時点で、二人の噂を覚悟していた私は、呑気にこう思っていた。

ー藤堂さんは半年前に離婚したと言っていたし、そのうち収まるだろう。

しかし噂は収まらないどころか、どんどんと私を責めるような内容に変わっていく。実は藤堂が裏で、何食わぬ顔でこう言っていたのだ。

「少し前から、彼女は僕に対して上司以上の感情を持っていたようで…。何度も断ったんだが、一方的に付きまとわれて、僕も妻も困っているんだ。」

なんと藤堂は、離婚などしていなかった。前から私を狙っていた藤堂が、弱った私なら簡単に騙せると、演技してのことだった。

全員がそんな言葉を鵜呑みにした訳ではないが、人望の厚い藤堂と、前から良くない噂のあった私とでは、必然的に悪者となるのは私だ。

「一ノ瀬さんって、結局藤堂さんに取り入って仕事を取って、最低な女だな。」

今まで良くしてくれていた同僚からも影でそんな風に言われるようになり、精神的に参った私は、会社を辞めることにした。


真実を知った亮介は…?


亮介に話せなかった理由


「そんな…まさかそんな事があったなんて…。」

亮介は心底驚いたように声を漏らした。それも無理はない、藤堂がそんなことをするなんて、誰も思わないだろう。

「辞めてからもずっと自分を責め続けたの。知らなかったとは言え、ご家族を裏切るような真似をしてしまった…。藤堂さんが離婚をしていないって気づく余地は、いくらでもあったんじゃないかって…。だから亮介にも怖くて言えなかったの。亮介にまで責められたらどうしようって。」

亮介は悲しそうな悔しそうな顔をして、私の目を見つめた。

「責める訳がない。里緒は何も悪くないし、自分を責める必要なんてない 。辛い過去を思い出させるような事を言って悪かった。…でも、話してくれてありがとう。」

優しい亮介なら味方をしてくれるだろうと思っていたが、きっと私自身が、この出来事をきちんと消化できていなかったのだろう。

「ありがとう。でもやっぱり…、上司とそんな関係になるべきじゃなかったのよ。私が浅はかだった。」

これまで思い出したくないと、心の奥にしまい込んでいたが、改めて亮介に話す事で、やっと今、きちんと過去と向き合えているような気がする。

「聞いてくれてありがとう、亮介にはちゃんと話しておきたかったの。ごめんね、失望した?私ね、亮介が思っているほど大人でも強くもないの。」

あの頃私がもっと大人であれば、きっと周りと上手くやって、噂になんか負けなかっただろう。もっと強ければ、藤堂とあんな間違いを起こすことはなかっただろう。

「失望なんてしないよ。僕の気持ちは何も変わらない。」

そうして亮介が私を真っ直ぐに見つめる。この目にずっと憧れ続けていた。いつだって曇りがなく、強くて純粋なこの目に。

「僕と結婚を前提にやり直してもらえないか?絶対に幸せにする。」

別れてからも、幾度この言葉を夢に思い描いただろうか。けれど今の私では、彼の目を真っ直ぐに見返すことができない。

「ありがとう、亮介。そんな風に思ってもらえて、本当に嬉しい。でも…。」

一瞬弱い自分が顔を出す。“このまま彼の申し出を受け入れれば、楽に幸せになれるのでは?”と。しかし、それは本当の私の望みではないのだ。

「私は、あなたのそばにはいられない。」

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次週、最終話!亮介と里緒の出した答えとは…?