前橋育英の初優勝で終わった全国高校サッカー選手権。ニュースの視点は、この時期に行われている他のスポーツイベントと同様、どこが勝ったか、だ。しかしサッカーのコンセプトは、他の競技とは違う。世界と常に対峙しているスポーツなので、日本一にあまり大きな意味はない。比較すべき対象は海の向こうに存在する。国内で完結させてしまえば、競技の魅力は減退する。

 実際、そのことに気付いている人は多くいる。サッカー的な視点で語ることに抵抗感を抱く人は減っている。勝った負けた話に終始する報道に、物足りなさを覚える人は少なくないのだ。

「日本一」とは、いったいどれほどのレベルか。ファンが求めているのはその視点だ。どの競技も本来、そうあるべきだと思う。箱根駅伝はその最たるものになるが、それについて言及すれば、盛り上がりに水を差す可能性が高い。だとすれば、新年のおめでたいムードにもそぐわない。

 盛り上がれば、盛り上がるほど、視聴率は伸びる。販売部数も伸びる。ページビューも上がる。世の中は、メディアにとって商売上、喜ばしい方向へと進んでいく。世界との比較。それに基づく諸問題は、避けて通りたいテーマなのだ。つまり、サッカーと日本メディアとの相性はよろしくない。

 かつては楽観論が幅を利かせていた。たとえば、日本が初出場した98年フランスW杯では、専門家の多くが日本の決勝トーナメント進出を予想した。1分2敗と予想したこちらは非国民呼ばわりされたものだが、大会を経る毎に、楽観論は減少の一途を辿っている。サッカーの世界観を知れば知るほど、予想は自ずと厳しめになる。

 それでも何とか盛り上げを図りたいメディア。今回のW杯ほど期待が持てないケースは珍しいが、楽観的な材料を無理してどこからか探し出そうとする。だが、それをすればするほど馬脚が現れる。信頼を失うことになる。
 
 サッカーは他のスポーツとは違う。読者、視聴者はうるさく、したたかだ。ロシアW杯まであと5ヶ月。メディアはこれとどう向き合うべきか。
 
 そこで迎えた全国高校サッカー選手権。出場全選手中、J1入りが内定している選手はわずか4人だ。J2を合わせても10人しかいない。最近は大学経由でJリーグ入りする選手も増えているとはいえ、その大半がプロ予備軍と言うべき金の卵ではない。年々、重要度が低下。向き合い方が難しい大会になっている。

 とはいえ、漠然とではあるが、そこから見えてくるものはある。日本の弱点が、おぼろげながら浮かび上がってくる。ディフェンス、中盤、フォワード。いわゆるフィールドプレーヤーは、日本代表選手を10とするならば6、7のレベルに見える。8、9レベルの選手が見当たらないのは残念だが、全体的には可もなく不可もなくといった印象。しかしGKは別だ。4、5レベル。そのほとんどが、日本代表どころか、Jリーガーにも程遠いレベルにある。紙一重の差で、多くの選手がひしめいているという様子ではないのだ。層の薄さをそこに垣間見た気がした。将来が大いに心配になる。

 高校サッカーの魅力といえば、ハラハラドキドキ感だ。最後までどちらに転ぶか分からないスリルがある。しかし、それは言い換えれば、ペースが長く続かないことを意味する。試合の流れが変わりすぎる。撃ち合いと言えば、攻撃的で聞こえはいいが、実際は「奪われ合い」だ。ボールを奪われてはいけない場所で、簡単に失いすぎる。

 真ん中で難しいパスを繋ごうとして、あるいは無理なプレーをしてボールを失う機会が多すぎるのだ。真ん中で奪われるデメリットについては、これまでにも幾度となく触れてきたので割愛するが、常道から大きく外れたプレーであることは言うまでもない。それが頻繁に目立つと言うことは、指摘されていないからだと考えるのが自然だ。