人事部ー。

社内の人間模様や、人間の黒い欲望に直接触れることもある部署。

人事部から見た社内、それは人の業が蠢く社会の縮図であった。

涼子が働く恵比寿のベンチャー企業では、管理本部長・坂上の社内システム入れ替えのミスを、総務課長の後藤になすり付けるための、黒い思惑にまみれた人事異動が発表された。

後藤も、坂上の保身のための人事異動と気付いているが、涼子に「これ以上深入りするな」と意味深な発言を残したのだった。




ハメられた総務部


後藤さんが部長になって、新年を迎えた。

涼子は去年の飲み会で、後藤さんと別れた後に誠と合流したが、結局大した情報は得られずに終わり、そのまま年を越すこととなった。

1月になり、最近の総務部は、人事部の涼子から見てもかなり忙しそうにしている。

普段であれば綺麗に髪を巻き、デートだ食事会だと浮かれている女子社員が、遅くまで残業している姿を目にすることも多い。

たしかに今のこの時期は、年始の行事や来年度に向けて忙しくなることは理解しているが、それにしても横の人事部にいても伝わる程、忙しそうなのである。

普段、後藤さんの周りにはゆったりとした雰囲気が流れている。

「僕が忙しそうにしてたら、みんな話しかけにくいじゃないですか」というのは、後藤さんの口癖の1つだ。

他部署からの、キャビネットの奥に書類が落ちて取れないといった、誰でも出来そうな面倒な依頼も引き受け、キャビネットを分解することも、嫌がらずに丁寧に対応していた。

ベンチャー企業にも、落ち着いた総務は必要だなと改めて感じさせる存在である。

そんな後藤さんの雰囲気が、殺伐としている。

―きっと何かが起こってるんだわ…

涼子は、その理由を探ることにした。



「最近総務部忙しそうだけど…誰か総務に依頼してる?」

午後のチームミーティングで、涼子は最後に聞いてみた。

「いえ、人事からはしていません。むしろ忙しそうなので頼みにくいというか…なんでも、他部署からの依頼が増えているようです」

「他部署からの?」


忙しさの原因。ハメられた総務部


「はい、書類を届けに行ったときに、内線で話しているのを聞いただけですが。初めて聞きました、とか、一旦持ち帰って返答します、とか…何か難しそうな依頼が来ているように聞こえました…」

「そうなのね…この後、後藤さんと話してくるわ。もし人手が必要だったら手を貸そうと思うけど、今忙しくて他の仕事頼めない人いるかな?あ、もちろん、今忙しさのピークの新卒インターンの企画組と、年末調整組にはお願いしないから安心して。」

総務と人事は隣同士という事もあって、人手を貸し合う事がよくあり、現場の判断に任されている。今回もひとまず涼子から後藤さんに聞いてみて、いつものように人事部長にはその後に報告すれば問題ない。

普段は総務の人手を借りることの方が圧倒的に多いのだが、人事部だってたまには総務部の役に立ちたい。

チームのメンバーもそう思ってくれているようで、笑顔で頷いてくれた。異論は無いようだ。

「じゃあ、後藤さんと話して、もし必要だったら個別に依頼させてもらうね」

そう締めくってミーティングは解散し、涼子はピンヒールを鳴らし後藤さんの元を訪れた。

「おや、高橋さんじゃないですか。どうなさいました?」

いつもは近付くだけで気付いてくれる後藤さんが、今日は涼子が話しかけるまで気付かなかった。

それだけでも何かが起こっていることは分かる。

「お忙しいところ恐れ入りますが、少しお話させて頂きたいのですが…」

「では、30分後に会議室でお願いします。」

後藤さんも何かを察したのか、すぐさま会議室を手配してくれた。

30分後、涼子は後藤さんの分と自分の分のコーヒーをガーデンプレイス内のスターバックスで2つ買い、会議室に向かった。




すると会議室の前で、同じようにスタバのコーヒーを2つ持った後藤さんと出会い、2人して笑った。

「最近、総務部がかなり忙しそうですが、何か大きな動きがあるんですか?」

「大きな事はないんですが、ちょっと面倒な依頼が立て続けに来ていまして…」

和んだ雰囲気でスタートした打ち合わせだったが、だんだんと空気が重く、後藤さんも眉尻が下がって困り顔になっていく。

「坂上さんが総務部長を兼任していた時に残していた…というか手を付けていなかった仕事が、私が部長になったことで、みんなが再度依頼をしてきているんですよね。

しかもみんな、1度は頼んでいるものですから、早くして下さいと言ってくる。他部署の気持ちも分かりますし、対応したい気持ちは山々なのですが…

何せこちらも通常業務もありますし、私自身も部長になったからこその仕事などもあるので、なかなか追い付いてなくて…」

「人事から手を貸しましょうか?」

「いえ、大丈夫です。内容自体は難しいものは多くないのです。私が課長時代のときでも、坂上さんが私に依頼を降ろしておいてくれればよかったのですが…」

普段の坂上さんなら、面倒な仕事はしたくないから、全部後藤さんに投げていたはずである。

それを投げずに自分が持ちっぱなしにしていたという事だろうか。

だがそんなことをしていれば、他部署から催促が来ることが分かっているはずだ。

ーなぜ…?

涼子はしばらく考えた後、あることがピンと頭に浮かんだ。


坂上の画策


涼子の推理


「それって…システム導入の件に、手をつけさせないようにしているのでは?」

後藤さんは苦い顔をする。それが答えだろう。

「システム入れ替えの期限は、既に設定されているんですか?」

「今年度中ですね、4月1日には全社導入が完了していなければなりません」

ーシステム導入の再稼働も3ヶ月頓挫している状況なのに、あと3ヶ月で全社導入を完遂させるだなんて…

ほぼ不可能であるのは明確だ。システム導入に集中できるのならまだしも、通常以上に業務を抱えているこの状況である。

涼子は、坂上さんのニヤリと笑う顔を想像してしまった。




「やっぱり人事部から人を出します。人事部の部長には私から言いますから。」

「ダメですよ。その行動がどういう結果を招くか分かりますか?坂上さんの計画を邪魔するものとして見られた時、どうなるか分かりますか?総務を手伝ってくれた人がどうなるか分かりますか?」

後藤さんの口調は静かだが、力強く、そして震えていた。

「最近では総務のメンバーも坂上さんからの圧力に気付いている気がします。通常であれば人事に応援要請をするのになぜしないのか。メンバーは敏感ですからね。

なのでこのところは、私も総務部メンバーから少し距離を置かれているという状況です。高橋さんの気持ちはとても嬉しいです。でも、今はそっとしておいてください。」

「何で何も言わないんですか?前部長から聞いてないので少し待ってください、とか、部長になりたくなかったっていう気持ちとか…きっとみんな分かってくれますよ。」

涼子が言うと、後藤さんはうつむき首を横に振った。

「確かに、私の気持ちは分かってもらえるかもしれません。でも、結果は変わらないです。むしろ悪化する恐れがあります。

私の気持ちを分かってもらったところで状況は変わりませんし、他部署からは、部長になりたくなかったなんて嫌味かと思われるかもしれません。

であれば、このまま粛々とこなしていくことを選びます。どちらにせよ3ヶ月後には結果が出るでしょうしね。」

後藤さんは悲しそうに微笑んだ。

「私は総務部のみんなが大好きです。それを守りたい。私のせいで総務部のメンバーにまでとばっちりがいくのは避けたい。高橋さんも人事部を守って下さい。」

涼子はただ唇を噛むことしかできなかった。

-なんて自分は無力なんだろう。

後藤さんの最後の言葉と、悲しそうな笑顔が頭の中にずっと響いていた。

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