働き女子の30代といえば、20代で種まきをしてコツコツやってきたことがやっと実を結び花が開く時期。

そんな「仕事も人生もこれから」という時期にがんを発症したら……。「仕事はどうなるの?」「生活はどう変わるの?」といった疑問が一気に湧いてくるのではないでしょうか。

今日はがんじゃないかもしれない。でも、明日がんになったら--。

去年の6月に乳がんで亡くなった小林麻央さんの追悼番組を見ながら何気なく胸を触ったところ、しこりに気づき乳がんが発覚したという装花デザイナーの関尚美さん(34)。

乳がんになったとわかってはじめに思ったのは「自分が死んでしまうということよりも、日常生活を送れなくなってしまうかもしれない」ことだったと言います。

前回は乳がん発覚と手術について話を聞きました。今回は、手術をして変わったことや仕事について聞きます。

【第1回】乳がんを告知された私が思ったこと
【第3回】がんになってもオシャレをしたい 私が乳がんのことを発信する理由

装花デザイナーの関尚美さん

がん治療と同時並行で卵子凍結

--乳房はすべて摘出したんですか?

関尚美(以下、関):部分摘出です。主治医がすごいベテランの方で、病気を治すという“内容”ももちろんなんですが、手術後の胸の外見もすごく気にしてくださってありがたかったですね。

あと、妊娠できなくなる可能性が高いから、採卵して凍結するという不妊治療も同時進行でやる必要があって、手術前はやることがたくさんあってバタバタでした。セカンドオピニオンの相談先を探したり、仕事の調整もしたり、家族にいつ話すかを考えたりと忙しかったです。

--卵子凍結も試みたんですね。

関:はい。私の場合、ホルモン由来のガンだったので、ホルモン誘発剤が打てなかったんです。普通はホルモン誘発剤を打って、7〜10個とれるところを、私は自然採卵で1個しかとれない。通院も大変で、体にも心にも負担は大きい。

それを分かっていながら、ほぼゼロに近い確率の卵子をとるのに、50万近くかけるのはどうなのかなと悩んだのですが、やらないよりはやったほうがよいかなと主人と2人で話し合い、一応とって凍結のための治療をしました。

--がん治療と同時に卵子凍結というのはすごく負担が大きいのではないかと思うのですが……。

関:私はがん治療よりも卵子凍結のほうが辛かったです。がん治療は生きるためなのでがんばれるけれど、子どもについてはまだ決意ができてない中で、リミットは迫るし、無麻酔で卵巣に針を刺すというのが精神的にも辛かった。

結局、私は、主治医から抗がん剤治療のスタートをこれ以上待てないと言われて1回しかできなかったですが、手術の傷もあって移動自体も辛い中、何度も不妊治療に行かなきゃいけなかったことが辛かったですね。

採卵には成功したけれど、その後育たなかったので凍結には至りませんでした。採卵した卵を映像で見たときは思わず「かわいい!」と思いました。その感情は知りたくなかったのかもな、と思っています。

がんにかかわらず不妊治療は非常にデリケートで、心の負担は大きかった。母になろうと決めた女性は強いなと思いました。

--卵子凍結は手術後?

関:8月の後半に退院して、一週間くらい動けなくて、そこから病院に通い始めて9月末に摂りました。その後、抗がん剤治療をスタートしたのが10月中旬ですね。

--抗がん剤治療の副作用はどうでしたか?

関:抗がん剤の吐き気止めも進化しているらしくて、イメージしていたよりも大丈夫でした。

医学は日々進歩しているんだなと思いました。抗がん剤のイメージも実際とは全然違うし、そんなに怖がる必要性もないし、1日生き延びれば、1日分がんの研究が進むわけですよね。

とはいえ、私の場合、抗がん剤の気持ち悪さを抑える薬の副作用で頭痛がひどかったんです。それと、まったく動けなくなる。正直、呼吸するだけでも辛い日もある。抗ガン剤投与後、そのまま会社に行ける人もいるらしいので、人それぞれですよね。

関:抗がん剤の1回目は、薬の副作用でクローゼットにパジャマを取りに行くこともできなかった。数日後に同じことをやったら5分で終わって「これが病気ということか」と思いました。

また、仕事で送らなきゃいけないものを送るときに住所を書いて一筆添える必要もあったんですが、その作業に3時間もかかって「事務作業もできないなら、制作の仕事なんてもうできないかもしれない」と絶望的な気持ちになったんですが、2回目の抗がん剤のときは「1回目のときに何もできなかったから、2回目は何もしないでおこう」と決めたら気持ちがすごく楽になった。

できないことは他人に任せる

--「何もしない」と決めたんですね。

関:要は気持ちの切り替えかなと。最近は有機野菜やオーガニックに夫婦でハマって「お野菜だけなのにこんなに美味しい!」と楽しんで買い物やお料理をしていますね。

--夫は病気をする前と変わらないですか?

関:変わらないですね。少しは変わってくれよ、と思うんですけれど(笑)

--家事はもともとどちらがやっていたんですか?

関:もともと私しか家事ができなくて、夫は食器を洗うくらいはできるようになったんですが。なので、短時間で家事代行サービスを利用しています。

--いいですね! 

関:お風呂のカビ取りをやってもらったり、布団を干してもらったり、飲み会に行くよりも安い値段でやってもらえます。

--病気をしている、していないにかかわらず、みなさん何もかも「自分でやらなきゃ!」と思っている人も多いのかなと思うんですが、他人に任せるってすごく大事だなと思います。

関:親にお願いするのも考えたんですが、いろいろ気を遣ってしまうので……。サッシを拭いてもらったり、自分では手が回らないところをやってもらったりしていますね。

作ることを続けていきたい

関さんが一番気に入っているという作品「偶然と必然」。長野の山で見た、つくしが枯葉を突き破りながら成長する様にインスピレーションを得た作品。「自然が生み出す美しさには敵わないと落胆をしながらも、溢れる生命力を表現したく、制作をした」そう。

--闘病生活はいかがですか? 

関:抗がん剤治療を始めてみたら、思ってたよりめっちゃ忙しくて思ってた闘病生活と違うなーと思いました(笑)。3週間に一度の投与の繰り返しで、10日間は動けないから完全に休むんですが、逆に10日間は動けるのですごく忙しい。動ける時間が限られているので、「この10日間でどう終わらせるか」みたいな感じになってくるんです。

薬の副作用でしんどいときや気分が落ち込むときは動けないけれど「それは私じゃない」「私のせいじゃない」と思いながら過ごしています。

ただ、今のところは大丈夫だけど、ホルモン剤治療をやっていくうちに更年期障害の症状が出るらしく、自分がどう変化するのか、しないのかはわからない。なので、今のうちからまわりの人に「私の様子がおかしかったら教えてね!」と言っています。

--今は装花デザイナーとしてフリーで活動をしているんですよね?

関:はい。あと自宅ネイルサロンと主人のデザイン事務所のアシスタントをしています。

--病気になって仕事はどのように進めているんですか?

関:フリーなので、自分のペースでやってはいるんですが、仕事のオファーをいただいてもお断りせざるを得ないときもあります。仕方がないと思う反面、元気だったらやれたのに! 悔しい! という思いも強い。

3年ほど前に装花デザインの仕事に再び熱を注ぎ始め、ブランクを取り戻し始めてきた矢先だったので、病気で半年間行動できなくなるのは悔しくて悔しくてしょうがないです。

乳がんを患う前、花嫁のために「ジャイアントフラワー」を制作する関さん。


関さんの作品「ビッグフラワー」を携えて挙式したカップル。

関:でも、がんになって思ったのは、自分の感情と感覚に素直に従って生きていきたいということです。自分を満足させてあげたいから、ゆっくりでもいいから作ることを続けていきたいなって。私がこれまでやってきた「朽ちゆく素材を美しく魅せる」ことは引き続き考えていきたいですね。

私の制作の発端は小さいころに母が褒めてくれたことなんですが、やっぱりあのとき母が喜んでくれたように人が喜ぶものを作っていきたいし、できればそれが誰かの感情や琴線に触れて、さらには誰かの、何かの役に立つのならば私の生きる意味になるのかなというのを感じます。

熊本地震で役目を果たしたブルーシートをコサージュにする「BLUE BLOOM」プロジェクトで制作したコサージュ。

撮影協力:「モンブラン」〒152-0035 東京都目黒区自由が丘1丁目29-3

(聞き手:ウートピ編集部・堀池沙知子、写真:宇高尚弘/HEADS)