桂文枝師匠の愛人の存在が明らかに

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桂文枝」芸の肥やしは最後の愛人(上)

「将来は一緒に住んで、俺の介護をしてほしいんや」。そんな男の言葉を、女はつい本気にしてしまった。だが、所詮“女遊びは芸の肥やし”とばかりに、身体を弄ばれただけだったのか。「最後の愛人」が明かす関西落語界の大御所・桂文枝師匠(74)との愛憎8年間――。

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 桂文枝師匠の創作落語に「湯けむりが目にしみる」という一題がある。

 ある日のこと、夫が海外出張すると言っていそいそと外出する。実は出張というのは嘘で愛人と由布院に旅行に出かけたのだ。ところが、折悪しく妻も友達と由布院に来ており、夫は大慌て。自宅に戻って妻に言い訳すると大きな温泉饅頭を渡される。自分には大きすぎると言うと、

「それはあなたが買い忘れた、お・み・や・げ」

桂文枝師匠の愛人の存在が明らかに

 妻にはすべてお見通しだったのだ。

 その文枝師匠も、2016年2月には歌手との不倫が報じられたことがある。「女遊びは芸の肥やし」とは、桂春団治から続く上方落語界の伝統とも言われるが、文枝師匠にとっては、夏目恵美子さん(仮名)のことも単なる火遊びだったのだろうか。

 現在、56歳の彼女は、日舞の先生である。若い頃の八千草薫に似ていて、和服がぴったりくる女性だ。

 神戸市内で一人住まいの恵美子さんが、ふと寄席に足を運んだのが08年12月。場所は大阪の演芸場「天満天神 繁昌亭」である。ここは、文枝師匠が「関西にも定席寄席を」と奔走の末に出来た施設だ。

 恵美子さんが振り返る。

「繁昌亭の横にある喫茶コーナーにいると、文枝さんが現れて一緒に写真を撮ってくれたんです。それをメールで送ってもらったので、お礼を言うために再び繁昌亭を訪れると、今度は文枝さんの部屋(会長室)に通されました。彼は私の手を取ってエスコートしてくれて、私はもう緊張しっぱなしでした」

 恵美子さんが、がんで亡くなった母のことなど身の上話をすると、文枝師匠は「明日も来てね」とやさしく送り出してくれた。

「嬉しくなった私は翌日も師匠に会いに行ってしまったのです。すると、文枝さんは“ゆっくり話がしたいから君の家に行きたい”と言うじゃないですか。咄嗟に“修理中なので”と、ごまかしたのですが、文枝さんは“きれいや〜”“着物が似合うなあ”“品がええわ”などと言ってくれる。正直いって悪い気はしませんでした」

“俺の介護をしてほしい”

 下心が見え見えの申し出に一度は断りを入れたものの、メールや電話でのやりとりは続いた。

「私は料理を作るのが好きなので、文枝さんにメールで写真を送ってあげていたのです。すると、“今度食べに行くわ”と連絡があって、お弟子さんを連れて本当に家にやって来たんです。料理を振る舞ったら“美味しい美味しい”と食べてくれて。それから、文枝さんは1人でも訪ねて来るようになったのです」

 当時、文枝師匠はすでに60代なかば。一人暮らしの女性の家に上がり込む術も、老練の域に達していたと言えようか。

「文枝さんがやって来るとマッサージしてあげて、添い寝をしてキスをするんです。この頃から彼は“将来は一緒に住んで、俺の介護をしてほしい”と言うようになっていました。“最期ぐらいは恵美子がいいんだ”とも話してくれて、私も夢見心地になっていました」

 2人が男女の仲になったのは09年の3月のこと。

「実を言えば、母親が厳しかったこともあって、それまで私は男性経験がありませんでした。文枝さんが初めての男性だったのです。でも、文枝さんは“こんな乙女がいるとは思わなかった”と言って喜んでくれたんです」

 以後、文枝師匠は、恵美子さんの家で、たびたび身体の関係を持つようになる。

「文枝さんが家に来るのは2カ月に1回ぐらい。いつも食事をして寝室で過ごすというパターンでした。当時の私は文枝さんに夢中で“月に1度は来てほしい!”とお願いをしていたのですが、文枝さんは“束縛されたくないんや”と言うのです。家に来られない日は繁昌亭の会長室で会ったり、外でデートしたり。彼は私が寂しがらないように電話を一日3回、メールも写真付きで送ってくれました」

 恵美子さんにすれば、せっかくの逢瀬だというのに、文枝師匠は平気で弟子も連れてやって来た。

「お弟子さんは入れ替わりで2人ぐらい連れて来たでしょうか。車を運転させて “ご飯食べさせてや”とやって来る。食事をしてから、2階の寝室で文枝さんと過ごすのです。その間、お弟子さんが階下で落語の稽古をしていたこともありました。でも、私と文枝さんが抱き合っていたのを分かっていたと思います。そんな時は“下に若い子(弟子)がおると燃えてくるやろ”とからかうのです」

(下)へつづく

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「週刊新潮」2018年1月4・11日号 掲載