結論を出さない思考法を探ります(写真:bee / PIXTA)

『英語でしゃべらナイト』『爆笑問題のニッポンの教養(爆問学問)』『みんなでニホンGO!』『ネコメンタリー 猫も、杓子も。』『欲望の資本主義/民主主義/経済史』……。時代のテーマを掬い取り、「NHKらしい」のに「NHKらしくない」異色のコンセプトで番組を企画し続けるプロデューサーの丸山俊一氏。『結論は出さなくていい』を著した丸山氏が、「正解のない時代」における思考のヒントをお届けします。

プロデューサーは最後尾にいる

「丸山さんは、とても変な人だ。面白いことを、自信なさげにぼそっという。『仕事ができます』オーラもあまり出さない」

古市憲寿さんが、拙著『すべての仕事は「肯定」から始まる』(大和書房)を著した時に、推薦文として書いてくれたものだ。この後、「だけど人の記憶に残る変な番組を、定期的に生み出している」とフォローはしてくれているのだが、なるほど、さすがの人物描写、苦笑しつつも受け入れざるを得ない。

じっさい、たしかに他の出演者たちからも、お会いした時に、「プロデューサーっていうから、もっとブイブイいわせてる人かと思っていた」「もっとイケイケで濃いキャラの人かと思っていた」と、想像されていたイメージとの相違を伝えていただくことが多い。

どうやらテレビプロデューサーというと、エネルギッシュな押しの強いタイプ、脂ぎったお調子者タイプなどを連想する方が多いようだ。ちょっと複雑な気分だ。

世間でのプロデューサーのイメージといえば、口八丁手八丁で、多くの人々から企画への賛同を引き出し、制作現場でも中心となってスタッフを統率する姿だったり、キャラが強く、大声で指示を出し、先頭に立って皆をグイグイひっぱっていく姿が定番らしい。ドラマなどでもそんなふうに描かれているのを見ると、苦笑してしまう。

しかし、当然といえば当然なのだが、ちゃんとコンスタントにさまざまなジャンルの仕事を継続させていくプロデューサーは、バリバリ前面に立って……というより、どちらかといえば寡黙、むしろ最後列から全体を見渡しているような人が多い気がする。

そもそも、仕事の中身自体が、本当に多くのさまざまな人々に関わってもらうことで、たったひとつの企画書から映像作品を立ちあげていくのだから、オンエアーの瞬間まで、さらには放送後の反響に対してもブレない胆力、情緒の安定、しなやかな精神の強さが重要になってくるはずなのだ。今まで出会った多くの先達たちの後ろ姿、そのたたずまいを思い浮かべながら、そう確信する。

リーダーシップの取り方にもいろいろある。登山の時、リーダーは脱落者が出ないよう、最後尾から登る。皆の背中を押しながら、励ましながら、山頂を目指すのだ。もちろん、いろいろなタイプがいてよいのだが、全体を俯瞰で見ることができる冷静さは、僕が考えるプロデューサーの、まずは必要条件だ。

無理はしなくていい

何を大事にして番組制作をしているのか? 時々、プロデューサーとしての立ち位置をインタビューなどで問われることがある。もちろん大事にするものはいろいろとあるのだが、ひとことで言えといわれれば、「場を作ること」ということに尽きる。

もちろん、「時代を読む」などの、後でも触れる発想の根本の話は別として、まずは場作り。自由闊達な、風通しの良い「場」だ。

場作りというと、「現場に差し入れを欠かさない」「スタッフをねぎらう」……など、チームワークをよくするための気づかいなどをイメージする方もいるかもしれないが、そういうことではない。もっとシンプルにして、本質的なことだ。

関わってくれている人々が、その資質の最も良質な部分、本来持っている能力を発揮してくれているかどうか、さらにいえば、その場を無理なく楽しむ気分になることができているかどうか……そういう場を作ることが最も大事だ、ということになる。

人間、本当にいろいろなタイプがいる。コツコツと計画的にことをなす几帳面な人、気まぐれな気分屋、普段はのんびりしているが、ここ一番の集中力は持っているタイプ……。

出演者やスタッフ、仕事を共に進める彼ら、彼女らの姿を見ている時、「いったいどんな子どもだったのだろうか?」とぼんやり想像することがある。

たとえば、小学生の頃、夏休みの宿題を最終日に一気に仕上げてつじつまを合わせるタイプだったディレクターに、仕事の進捗をあまりせっついて報告を求めても仕方がない。逆に、日々きちんきちんとこなすことが喜びのスタッフを、あまり放っておくのもよろしくない。三つ子の魂百まで、とはよく言ったものだが、幼少期の姿、無邪気な立ち居振る舞いのなかに、人それぞれの資質というものはすでに表れているものだと思う。

やはり理想は、人それぞれが持っている資質、気質、才能が、自然な形で発揮されることだ。せっかち、のんびり屋、直感派、論理派、飽きっぽい、粘り強い、閃きに長ける、記憶力に長ける……などなど、それらが個性となり、組み合わさって、全体として番組の力となっていくことだろう。

それぞれがそれぞれのスタイルで、リラックスし参加できる場。スタッフだけでなく、出演してくださる方々にもそう思っていただくことは、本当に重要だ。

たとえば、「バラエティーだから、ハキハキと明るく」などという固定観念が、そのまま強迫観念になってしまったら、最悪だ。「お仕事」として「明るく振る舞う」のは、その本人にも無意識に歪んだストレスを残し、その引きつった笑顔は、決して番組のためにもならないだろう。映像は正直だからだ。

たとえば、『ニッポンのジレンマ』のような、対話が主軸となる番組の収録を思い浮かべてほしい。さまざまな言葉が自由に行き交うよう、出演者もスタッフも、無理な繕いをすることに無駄なエネルギーを使うことなく、自分の心に正直に関わってほしいのだ。そしてそのためには、そのテーマ、内容を自らのことに引きつけ、自らの言葉で考えてもらえるようなゆとりを生むことが大切になる。ちゃんとテーマを消化する時間、腑に落ちるまでご自身で考え、自分の言葉にしてもらう時間だ。

仮にその話題に気が乗らない出演者がいたとする。そこでも無理はしなくていい。「大事なテーマだから、皆で考える」……、もちろん、そういう目的があるからこそ、番組サイドとしてはそのテーマを設定しているわけだが、その「大事さ」を、出演者も、自分自身の生理感覚、皮膚感覚で納得できるところまで考えて落とし込んでもらうプロセスが大切だからだ。

あるいは、テーマに納得できなければ、「どうして今日はこの話から始めるんですか?」という発言から始まってもいい。MC(司会者)である古市憲寿さんが、開口一番、すでに疑問として提示してくれることもある。

テレビは空気を映し出す


番組のメインの司会者だからといって、「良い子」になる必要はないのだ。このひとことのおかげで、皆、楽になり、何を言ってもよい場として、さらに空気がほぐれるのだ。

こうしたやりとりがあるおかげで、中途半端に納得して話に加わってもらうより、むしろ、その壁を越えていこうとする過程での発見があるかもしれない。そして、なにより、こうした開放度が、映像には定着される。テレビは空気を映し出すのだ。

仕事の要には、人間への洞察がある。心理的な抵抗があれば、それを口にできる、また自分のやりやすい形を提示できる、流儀を見つけられる……大事なのは、そんな開放的な場を作ること。みんな、無理をしなくていい。