東京を生きる女たちは、もう気がついている。

「素敵な男の隣には、既に女がいる」という事実に。

自分が好きになるくらいの男を、他の目ざとい女たちが見過ごすはずがないのだ。

不動産会社で秘書をしている繭子は、商社勤務の洋平と付き合って2年になる。

しかし彼からプロポーズの気配がなく、さらには他の女の影を感じた繭子は、ある夜既読にならないLINEに嫉妬心を募らせ深夜に家を飛び出す

帰宅した洋平は繭子を優しく宥め、ふたりの関係は改善したように思われた。

しかし30歳の誕生日、「まだ結婚は考えられない」と言われてしまい、洋平と別れることを考え始める。




不器用な男


「小柳さん。できるだけ直近で、常務の空いてる時間を教えてもらえないかな」

声をかけられ振り返ると、角ばった顔をした大柄の男が私を見下ろしていた。彼が呼んだ小柳という名は、私の苗字である。

「…あ、はい。今、調べます」

急いで常務のカレンダーを確認する視界の隅に、シバユカの目線を感じる。

-経営企画部の日高さん。彼、絶対に繭子さんに気がありますよ。

洋平から「まだ結婚は考えられない」と断言され落ち込む私に、シバユカは突然そんなことを言い出した。

まったく、何を根拠にそんなことを…。

変に意識してしまう自分を消し去るように、私は平常心で日高さんに向き直った。

「明日の、15時から30分なら時間取れそうですが」

「よかった!じゃあそこを押さえてください」

日高さんは大げさに膝を打ち、無駄に大きな声で私に礼を言う。

これまでしっかり彼の顔を見たこともなかったが、今改めて真正面から向き合っても、一つだけ言えるのはまったく好みではない、ということだ。

しかし顔を見上げたことで彼と目がばっちり合ってしまい、私は仕方なく首を傾げて会釈する。

-余計なこと、したかも。

そう思った時には、もう遅かった。

私の普段と違う反応に彼は柄にもなく頬をみるみる赤くし、なぜか腰をデスクにぶつけたりしながらバタバタとフロアを出て行ってしまった。


洋平と真逆、不器用すぎる日高さんからまさかの猛アプローチ?


二つに一つ


「見ました!?あの慌てよう。日高さんってわかりやすくて可愛い」

「声も動作も、無駄に大きいのよね」

すっかり恒例となった、同期の優奈と後輩シバユカとのランチタイム。

新丸ビルの『欧風小皿料理 沢村 丸の内』で、今朝の私と日高さんのやり取りが可笑しくて仕方なかったらしい二人は、再現付きでネタにしている。

「私から言わせてもらえば、繭子さんが今まで気づかなかったことが不思議です。もう随分前から、繭子さんのところに来るとき、やたらソワソワしてたもの」

シバユカが笑いながら「繭子さん、鈍感すぎ」と付け加えるので、私は「だって」と唇を尖らせた。

「好みじゃないから、気にもしなかったのよ」

そう、日高さんは洋平とまるで真逆だ。

角ばった顔に、手入れ不要の短い髪。切れ長の細い目は見ようによっては男らしいのかもしれないが、残念ながら私の好みではない。

洋平だって絶世の美男子というわけではないが、鼻筋が通っているし目がくりっと大きくて、それに何より人懐っこい笑顔と裏腹に身のこなしがスマートなのだ。

洋平はもっと上手に、器用に私の心を惹きつける。それに比べて日高さんは…あまりにも不器用で、まったく惹かれない。

日高さんの角ばった顔を思い出してため息をついていたら、それに気づいたシバユカが、考えを見透かすような目で私の顔を覗き込んだ。

「繭子さんは結婚したいんですよね?だったら、駆け引きでもなんでもして相手に結婚したいと思わせるか、もしくは自分と結婚したいと思ってくれる男性を選ぶか。二つに一つです。…私が思うに繭子さんは、後者を選んだ方が幸せだと思いますよ」




ランチを終えて席に戻った私は、メールボックスをチェックして思わず声を出した。

「え!」

***
To Mayuko Koyanagi
From Shinichiro Hidaka
件名:先ほどはありがとうございました。
本文

小柳様

先ほどはお忙しい中、小職のために常務の予定を押さえてくださりありがとうございました。明日15:00にお伺いいたしますので、よろしくお願い致します。

それで突然なのですが、週末どちらかご都合の合う日に、良かったら映画を見に行きませんか。でももし映画があまり好きでなければ、ドライブでも食事でも、なんでも構いません。

お返事をお待ちしております。
経営企画部 日高

***

-なんて、直球なの…。

あまりにも不器用な距離の詰め方に、私はしばらくまじまじとメールを見つめてしまった。

ツッコミどころ満載の文面を眺めているうち、次第に呆れるのを通り越して笑いさえ込み上げてくる。

-ドライブでも食事でも、なんでも構いませんって…どういう誘い方(笑)

シバユカが彼のことを「可愛い」と評していたのが、少しだけわかる気がする。ちなみに年齢はシバユカ(26歳)の方が彼より10歳近く下だけれど。

しかしそうだとしても、女心を少しもくすぐらない日高さんの誘いに乗る気には、やっぱりなれなかった。


日高さんのアピール開始。しかし繭子は、まだ洋平を諦められずにいた。


駆け引きのつもりだったのに


-今夜、洋平の家に行ってもいい?

仕事終わりに思い切って送ったLINEは、すぐに既読になった。

21時前には帰れると思うと返事が来たのでホッとして、私はお鍋の材料を買いにスーパーに立ち寄ろう、などと考える。

「結婚はまだ考えられない」

あろうことか30歳の誕生日に聞かされた、洋平の本音。

あれから2週間近く経つが、その間、私からも、そして洋平からも連絡はなかった。

本当は、彼から連絡が欲しかった。しかし一向に連絡がこない。

もしかして洋平は、このまま自然消滅してもいいと思っているのだろうか…?そんな風にさえ思えてきて、結局、我慢の限界に達した私から連絡をした形になってしまった。

-結婚したいなら、駆け引きでもなんでもして相手に結婚したいと思わせるか、もしくは結婚したいと思ってくれる男性を選ぶか。二つに一つです。

昼間、シバユカが言っていた言葉が思い出される。

-どちらにせよ、もうはっきりさせなければ。

私は、スーパーで洋平の好きなチゲ鍋の材料を揃えながら、最後の賭けに出ることを心に決めた。




「お、チゲ鍋の匂いがする。嬉しい!」

家に戻って来た洋平は、キッチンに立つ私に屈託のない笑顔を向けた。…2週間も音沙汰なしだったのに、まるで何事もなかったかのように。

-結婚のことさえ考えなければ、このまま仲良くいられるのかも。

以前と何ら変わらぬ態度で接してくる洋平を前にそんな考えが頭をよぎって、私は絆されそうになる心を振り払うように口を開いた。

「あのね、洋平」

冷蔵庫から缶ビールを取り出しながら、洋平が私を振り返る。彼はそのまま黙ってプルタブを開け、ぷしゅう、という音がはっきり響くのを聞いてから、私は続けた。

「…私も、あれから色々考えたの。私は洋平のことが好きだし、ずっと一緒にいたいと思ってる。でもそれと同じくらい、早く結婚して子育てがしたいの。だから…」

洋平は私の言葉をうつむきながら聞いていて、そのせいで表情を読み取ることができない。

「洋平が結婚できないって言うなら私、洋平とは…別れます」

それはこの2週間、何度も考えて用意したセリフだった。

私なりに、覚悟だって決めていた。それなのに…最後の「別れる」という言葉を口にするときは、やはり躊躇わずにいられなかった。

-言ってしまった。

後悔の念を覚えたのと、洋平が沈黙を破ったのは、ほぼ同時だった。

「それは…俺と別れて、別の男を探すってこと?」

その言い方はゆっくりで、そしてどこか冷たく響いた。

「…洋平が結婚できないって言うなら、そうするしかないと思ってる」

-引き止めて欲しい。お願いだから、引き止めて!

祈るような思いで、言ったのに。

洋平が次に発した言葉は、私がかろうじて繋いでいた希望を、あっけなく打ち砕いたのだった。

「そっか…わかった」

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あっさり受け入れられてしまった別れ。洋平は繭子の言葉を、どう受け止めたのか?