【執筆】ピースマインド・イープ 若尾秀美

努力の結果が出ないのはなぜ?

「仕事はうまくいくのに、なぜか恋愛はうまくいかない」「いつも嫌な上司の下になる」「いつまでたっても子どもが自立しようとしない」こういった人間関係のパターンを耳にすることがあります。

努力をしてもなかなか改善が見られない。頭で考えても原因が分からない。どうして自分だけがいつもこんな目に…。そんな思いを抱えている人は少なくないように思えます。こういったパターンはなぜ生まれるのでしょうか。ただの偶然といえるのでしょうか。

ユング心理学における「シャドウ」とは

スイスの精神科医・心理学者であり、ユング心理学の創始者であるC・G・ユングは、「影(シャドウ)」という概念を提唱しました。ユングによれば、人は社会に適応して生きていくために、善人の「仮面(ペルソナ)」をかぶって日常生活を送っています。その過程で、「持っていない方がいい」「認めたくない」と感じた自分の側面、つまり、性格のネガティブな傾向や、善人のペルソナとは両立しがたい傾向などは、意識から切り離され、なかったことにされます。一方で、それらの「切り離された自分」は無意識の中に存在し続けています。そして無意識への抑圧が限界に達した時などをきっかけに目を覚まし、私たちに強く働きかけ始めます。

他人を嫌うのは、抑圧された人格が影響してる?

そのひとつに、他者への「投影」があります。抑圧しきれなくなったシャドウを、無意識に他者のものとして映し出しはじめます。そして、相手に映し出した自分のシャドウに自分の存在が脅かされるような危機感を感じ始めます。それが、「嫌いだ」「許せない」といった強い感情を引き起こすとユングは考えます。

例えば、ある人が支配的な父親の元で育ったとします。その人は父親のそういった側面に強く反発し、自分の中で他者への共感性や受容能力を大きく育みます。そして、共感性や受容能力に高い価値をおき、程度の差はあれ、誰しもが持っている支配的な側面を「自分のものではない」と切り離します。切り離された支配性は、目の前に現われる上司に投影されます。そして、上司にうつされた支配性に対し、自分のものとは知らずに反応します。これはあくまでひとつの例ですが、シャドウはこのような形で私たちの前に現われうるのです。

こういった投影が起きていると、環境を変えても同じことが起こりがちになります。たとえ周囲の人が変わっても、同じように相手の中に自分のシャドウを見出すことになるからです。

社会的地位の高い親の子どもが問題児な訳

一方で、シャドウを抑圧していながらも、その影響をうけずに生きているように見える人もいます。ユング派分析家で前文化庁長官の河合隼雄氏は、例えば教育者や医師などの、社会的意義も高く聖人君子のように見られることの多い職業の親の子どもに、社会との適応が難しく、問題行動を起こす子どもが多いことを例にあげ、「シャドウの肩代わり」について述べています。河合氏によると、「たとえ親子関係に一般的な意味で問題がないとしても、親の『影のない』生き方自身に、子供の肩代わりの現象を呼び起こす力が存在して」いるのだそうです。なかったことにしても決してなくならない、シャドウは抗いがたいパワーをもった存在のようです。

〜自分のシャドウと向き合う〜

こうして見てくると、シャドウの恐ろしい面のみが目につき、なおさら受け入れがたく感じられてきます。しかしユングは、個人的なシャドウは必ずしも「悪」ではないと言います。そして、シャドウの目線で自分自身を見つめなおすことで人生に幅と深みがもたらされるといいます。つまり、自分のシャドウを自分のものとして受け入れることで、人生に変容が始まるということです。

シャドウは無意識の領域が関わっている為、意識的な試みだけで全てを把握するのは難しいでしょう。しかし、必要があるのに何故だか先延ばしにしていること、強いネガティブな感覚を感じる人やことがあるとしたら、それは自分自身のシャドウと向かい合うヒントになるかもしれません。

それらを自分のものとして捉えなおした時に、どんな感じがするのか確かめてみましょう。とても受け入れられない感じ、腑に落ちる感じ、様々だと思います。光に影がつきもののように、シャドウを含めて初めて人が存在することを受け入れた時に、変容の扉が開くのかもしれません。

参考文献:河合隼雄 『影の現象学』 講談社学術文庫 1987年

※この記事は2010年5月に配信された記事です